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閑話(45)

 初めて聞いた。自分が初恋の相手。  廉がそう言うと、野上はそうよ、と頷いた。口止めをされていたけど、言ってしまったものは仕方がないわね、と開き直っている。……いいのか。  自分はどこまでも抜けていたのだと廉は自己嫌悪が込み上げたが、ぐっと抑える。 「教えていただきありがとうございます」 「知らなかったわよね」 「はい。好意を持たれていたこと自体……不覚です」 「あの子らしく、ずっと見つめていただけだそうだから、貴方のせいではないわ」  野上はそう慰めてくれた。  廉は考える。  先程、尚紀と夏木は愛し合って番契約を結んだと思っていたと話した廉に、野上は発情期以外は冷めた関係であったと話してくれた。  二人は望み合って番契約を結んだ、と考えるのは無理がありそうだ。  普通に考えて、脅されたか騙されたか、無理矢理か……。  そのように最悪の方向に考えが至り、廉はすっと肝が冷えたのを感じた。それは、怒りの箍が外れる前触れのような、そんな感覚に似ている。  廉はそれを自制することはできなかった。  事実を調べようと思えばいつでもできるが、どちらにしても尚紀の尊厳が損なわれた、非人道的な方法で、番にされたということに変わりはないだろう。そんな考えに至ってしまえば。  逃げる尚紀が、廉の脳裏に不意に浮かんだ。  尚紀……!  そこに手が伸びて、必死な表情の尚紀が振り返り、その手に捕まってしまう。  嫌がる尚紀を……。  涙が溢れ、泣き叫ぶ尚紀の身体を貫き、無情にも項を噛んだその男。  夏木真也。  許さない。 「ちょっと、大丈夫?」  不意に、廉の肩に手が触れた。  驚いて、顔をあげると、身を乗り出した野上の綺麗な顔があった。 「今、すごく怖い顔をしていたわよ」  これ以上考えるとまずいと、意識をぐっと踏みとどめる。野上は顔色が悪いと言った。 「すみません……」 「何を考えていたの」 「……いえ」  言えない。だけど明確に夏木真也に殺意を持った。  江上さん、と野上に呼びかけられる。廉が顔を上げると、真摯な視線をかち合った。 「尚紀の過去をこれ以上探るのはおやめなさい」  少なくとも今は、と言われた。 「なぜです」 「貴方は今知るべきではないから」  確かにそうだと、思った。  正気を保てないのならば、知るべきではない。  尚紀の過去を暴きたいわけではないし、そもそも彼を傷つけたくないから把握したいと思った。だけど、尚紀と夏木の過去が想像したものであったとしたら、今尚紀を愛するために必要な情報だろうか。  尚紀の過去にはこれ以上踏み込まない方がいいのかもしれないと、廉も感覚で察した。  もう少し落ち着いて冷静に考えなければならなそうだ。 「貴方は尚紀と一緒に人生を歩むことを望んでいるのでしょう」  廉は頷く。  なにより、尚紀が自分との番関係を望んでくれているのが嬉しくて、再会を喜んでくれたのが嬉しくて、彼の初恋の相手であったことが嬉しくて。  全力で尚紀を幸せにするために、我を失うような情報は必要ではない。  ありがとうございます、覚悟がつきました、と廉は野上に頭を下げた。 「確かに、今私が知っておかなければならない情報ではないと思います。野上社長から伺ったお話で十分です」 「あえて調べないということね」  野上の言葉に廉は頷く。すると、彼女はそれに少し目を細めた。 「私も全てを知ることが愛だとは思わない。それでも尚紀の人生を丸ごと引き受ける、という覚悟なのね」 「もとよりそのつもりです」  紅いルージュの唇が端的に動く。 「アルファの愛は揺るがないのね」  廉の腹は決まった。 「これ以上は尚紀が話してくれるまで待とうと思います。まずは彼に寄り添いたい」  それに彼女も頷いた。 「それが貴方が尚紀を幸せにするということなのね」

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