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13章(9)
「尚紀さん? 平気?」
そう身体を揺さぶられて、尚紀の意識は声に引き戻される。
「あ……」
あれ、これはなんだ。現実なのか夢なのか……、それとも幻か。いや、現実なのか? と尚紀は混乱した。潤んだ視界は世界をクリアに見せてくれない。世界も未来も、今の自分には見えないのだと、尚紀は絶望的な気持ちになった。
「あぁ……シュウさん……夏木」
口から想いが溢れ出る。涙が止まらない。ボロボロと熱い涙がこぼれ落ちる。これはなんのための涙なのかも尚紀にはわからない。
思わず口走った彼らのためか。それとも、幸せにはなれない自分のためか。
シュウさんを見捨てた自分が、幸せになんてなれるはずがない、と尚紀は思った。
「あ……僕は幸せになれない、なる資格ないよ」
だって、あの二人は幸せを掴めなかったのだから。自分だけが、廉と結ばれて幸せを享受するわけにはいかないのだ。
「だって……!」
気持ちが昂ってはあはあと息が上がる。涙で前が見えないけど、それでも、耐えられずに言葉となって、溢れ出てしまう。
「僕だけ幸せにはなれないよ……!」
「尚紀! 落ち着け!」
そう言われて温かいものに身体が包まれた。なんだ、潤んだ視界で驚いたが、颯真の声だと、すぐにすとんと入ってきた。
尚紀は徐々に今の自分の立場を取り戻す。
そう、自分は。
「そうま……せんせい」
背中をとんとんと宥めるように叩かれ、優しくさすられる。
「尚紀、君は廉の番だ。変な思いに惑わされるな。君は幸せにならないといけないんだ」
でも、僕は……と尚紀は口を開きかける。
でもじゃないよ、と颯真が止める。
「じゃないと、廉が幸せになれないだろう?」
その言葉は、驚くほどすとんと尚紀の腑に落ち、型に嵌るように落ち着いた。
そうか、愛おしくて大切にしたい、あの人を幸せにするには、自分が幸せにならないとならないのか……。
廉を幸せにするには、自分も幸せに。
その言葉は、本当に希望に満ちていて温かい。
「そうませんせい……少しこのままで……」
「いいよ、いくらでも」
尚紀は、その混乱が落ち着くまで颯真に優しく抱きしめられていた。
その後、番に責められる夢を見たと言ったら、副作用の悪夢だったのかもしれないと、颯真には言われた。
どうやらそのくらい混乱していたようだった。
「とっさに呼び捨てにしたね。ごめんね」
颯真から謝られたが、尚紀は首を横に振る。医師と患者の立場であるのならば、それはあまり好ましいことではないのだろうけど……。
「いいえ。颯真先生に、尚紀って呼ばれて、今の自分を取り戻した気がします」
颯真に力強く呼ばれた名前で、尚紀は自分を取り戻した。
「それに……、颯真先生に呼び捨てにされると、廉さんの番として認められた感じがして……嬉しいです」
それは本音。一気に距離が縮まった気がした。
颯真が表情を緩めて優しく微笑む。
「そっか、じゃあこれからは尚紀って呼ぼうかな」
その言葉に尚紀は頷いた。
「うれしいです……」
尚紀は安堵して、すっと意識が落ちていった。
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