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14章(13)

 一度は奈落の底を見た人生だが、這い上がる道を間違えたわけではなかった。いくつかあったであろう人生の選択を踏み外すことなく、ここまで辿り着けたのだと思えた。  こんな「もしも」から始まる可能性を考えること自体が健全ではないと思うけど。  夏木の番にされたことは、避け難い巡り合わせ、だったと言えるのかもしれない。  順風満帆の人生では決してなかった。人生の山も谷も見た気がした。だけど、それでも悪くはなかったかもしれない。夏木のようなアルファに拾われたことは「良かった」とは言いたくはないが、死にたいと願い続けることはなく、前を向くことはできた。  高校生のあの時、あのまま西家で燻っていたら、自分はどんな人生を送っていただろうと思う。  自分を知らず世間を知らず、オメガであることを言い訳にして、始める前からすべてを諦めていた。あんなに無防備で投げやりでは、辿る道はおおよそ変わらないかもしれない。  もしもの可能性で、選ばなかった人生を考えることは無駄であると分かっている。だけど、人生の分岐点を踏み違えて、敷かれたレールを滑り落ち、ドロップアウトした可能性は十分に考えられる。そのくらい自分は無知で無防備で危うかったと、尚紀は当時を振り返って思うのだ。  柊一と達也と人生を重ね、モデルという仕事を得て、野上や庄司と出会った。大切な達也との絆が途絶え、柊一を失った直後に廉と再会して、自分の人生は大きく様変わりした。  奈落の底から這い上がることができたのは、自分の力だけではなかった。落ちてから繋いだ絆が、ここまでの自分を作ってくれたのだ。  そう思うと、これまでの人生は捨てたものではなく……いや、むしろとても愛おしい。  尚紀は墓石を見上げる。  この十年、得たものもあれば、失ったものもあって、とくに大きかったのは柊一との別れだ。  今だけでなく、この先も、ずっと燻り続ける後悔だろう。挽回は叶わないのだから、自分が背負い続けるしかない。  だけど、きっと彼は今、夏木と一緒にいるのだろうという、確信のような希望を持った。この間の発情期での出来事だ。  あなたは僕からシュウさんを奪っていきました。今一緒にいますよね、知ってます。  シュウさんを幸せにしないと許しません。 「くそ。お前はここにきてもシュウのことばかりだな」  そんな声が聞こえた気がした。 「うふふ。うらやましい?」  そんな柊一の声も聞こえた気がした。  廉の姿を思い浮かべながら、夏木に向けて話しかける。  僕は今、本当に優しい人と一緒にいます。その人は、僕があなたと番っていることを受け入れてくれているんです。アルファなのに、すごい包容力でしょう。僕は甘えっぱなしです。  だからこそ、僕は貴方から離れて、廉さんと新たな絆を結び直したいと思っています、と報告した。  尚紀には颯真がいる。夏木の忘れ形見のような発情期からもいずれは解放されるに違いない。  僕は前を向いて生きます。廉さんの横を歩きたいから。  尚紀は墓前に手を合わせる。  湿った梅雨の空気に、線香の香りが乗り、空の上まで上がっていった。  ちょうど、チロリンとメッセージが鳴った。  スマホを見ると、廉から。もういい時間。そろそろ彼の仕事も定時になろうという時刻だった。 「用事が終わったら、待ち合わせをしないか? 美味しい鰻屋を予約した」  あいにくの雨模様だけど、今日は土用丑の日だ。  以前美味しい鰻を食べたことはないといったのを廉は覚えていてくれたのだろう。  一気に現実に戻った感じがする。  そう戻る日常は、廉との生活なのだ。  尚紀は立ち上がると、墓地を後にした。 ୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ この後、尚紀が廉と一緒にうなぎを食べに行くお話があるので、明日はそちらの余話をアップします。

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