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余話・美味しくて、幸せな(廉視点)

※こちらはエブリスタさんでFORBIDDEN余話として公開しているものの転載になります ...................................................... 「らっしゃいー」  まさに鰻の寝床のような、間口が狭くて奥に長い店内に入ると、もくもくとした煙と脂とタレが炭火に焼ける香りがして、江上廉の胃袋が空腹を訴える。  入ってすぐのカウンターの中では、無口な大将が黙々と炭火と相対している。ちらりとこちらを見て、いらっしゃい、と武骨な表情で挨拶した。 「江上さん、お久しぶりです。いらっしゃいませ」  カウンター側には大将似の若大将の姿。 「どうします? カウンターも空いてますけど、お連れ様とお二人なら二階にします?」  そう言われて、廉は頷いた。 「はーい、二階のお座敷に二名様ごあんなーい!」  若大将の元気な声が店内に響いた。  将来の番と定めた西尚紀が、鰻が好きだと知ったのはつい一週間ほど前。二人でテレビを見ていて偶然だった。お互いをよく知る前に、本能で番と見定めてしてしまったものだから、話すたびに尚紀の新たな一面を知ることができる。  モデルなんて華やかな業界で仕事をしていたくせに、美味しい鰻を食べたことがないというので、鰻屋を予約することにした。  今日は土用の丑の日。天然物の鰻重にしようかとも思ったが、そういうのは晩秋の本来の旬の時期の方がいい。この時期はどこの店も混んでいて、予約も取れないし。  そこで廉が行きつけの、安くて旨い、鰻の串焼きを食べさせてくれる店にいくことにしたのだ。駅前のアーケードの商店街の中。自分の年齢よりもはるかに長そうな、年季の入った店構えの、そんな鰻屋だ。  古くて狭いカウンター席を抜けて、急な階段を登ると二階の座敷。時間が早いため、他に客はいない。上がりの座敷にテーブルが三つ。大人が十人も入れば手狭になる空間だ。  座敷に上がり、そのうちの一つのテーブルに向かい合って着く。少し緊張しているのか、尚紀は正座してちょこんと座る。その姿が可愛くて仕方がない。  若大将がおしぼりを持ってきてくれた。 「ビールにします?」  そう聞かれて、廉は頷いた。中瓶とグラスを二つ注文する。程なくして、ビール瓶とメーカーの名前入りのミニグラスが提供された。 「ご注文はあらかじめご連絡いただいている感じで? もう出して良いですか?」  廉は、おまかせするよ、と頷いた。  ビール瓶を手にして、グラスに注ぐ。トクトクトクと琥珀色の液体と泡。この時期のお楽しみだ。目の前の尚紀もにっこり笑った。 「日本酒でなくていんですか?」  廉が日本酒が好きなことを、尚紀はとうに承知している。 「それはあとで。こうやってビールをグラスに注ぎ合いながら、尚紀と食べたくてさ」  そう言うと、尚紀は少し照れたような表情。こういう何気ない表情がとても愛おしい。彼にはいつでも幸せそうな笑顔を浮かべていてほしいと思う。 「ここは、串焼きが有名なんだ。身はもちろんなんだけど、皮や頭や肝も美味しいよ」 「え、肝? 内臓ですか?」  尚紀が驚いていると、四角い皿に乗せられた串焼きが提供された。 「おまち。右から、きも、ひれ、ばら焼きね」  目の前には、六本の串焼きが盛られた皿。  焼き鳥みたいですね、と尚紀が目をぱちくりさせている。 「どうぞ。食べてごらん」  そう廉が薦めると、尚紀はきも焼きを手にしてぱくりと口に入れてみる。  もぐもぐとゆっくり味わい、大きな目がくりくり動いて、美味しいです! とテンションが爆発した。 「鰻とは思えない! え、本当に鰻ですか」  ふわりと柔らかで、旨味が凝縮された串焼き。いや、鰻だと分かっているのだが、蒲焼以外にこんなに美味しく食べる方法があるとは知らなかった、と尚紀が感嘆する。あっという間に一本を完食し、さらにもう一本。  時折ビールを口にしながら、幸せそうに頬張る尚紀の顔を眺めるのが廉の至福だ。 「うちの串、旨いでしょう」  尚紀のハイテンションの反応を見たのだろう。廉が注文した日本酒をグラスに注ぎながら、若大将が楽しそうに尚紀に話しかけてくる。 「美味しいです! こんなに美味しい鰻の食べ方、僕知りませんした」  尚紀の素直な感動に、若大将も嬉しそうだ。 「やっぱり大将の焼き加減が絶妙だよね」  廉がそういうと、若大将も頷く。 「これは大将じゃないと。自分はまだ焼き場には入れません」  いやいや、と廉は首を横に振る。   「気軽に入れるお店の雰囲気づくりは、どう考えても若大将のお陰だよね。大将、頑固親父で喋らないもん。父子で切り盛りしているって感じ」  廉がそう言うと、ありがとうございます、と若大将が礼を言った。 「この串は、最高の酒肴だよね」  そう言って、廉もばら焼きを手にした。 「お待たせしました。鰻丼です」  次に若大将が運んできたのは鰻丼。この店では締めの逸品。どんぶりの上に大きめの鰻の蒲焼きが豪快に乗っている。照りかがやくタレが食欲をそそる、見るからに脂が乗った美味しいやつ。 「おおお!」  尚紀の前に、肝吸いと共に提供される。 「お食べ」 「廉さんは?」 「尚紀の残りを貰うくらいでいいかなって」 「お酒がすすんでいますしね」  気がつけば、ビールと日本酒も二杯目。 「ここに来ると、肴が美味すぎて飲みすぎるんだ」  尚紀がいただきます、と箸を合わせる。  一番厚みがあって美味しそうな場所を豪快に箸で掬い、はい、と廉の口元に寄せた。  廉は驚きつつも、それを口に入れる。ふわりとしたご飯に、程よく絡んだタレと柔らかいホクホクの鰻。 「旨い」  思わずこぼれる言葉に、尚紀も嬉しそうだ。 「こうやって好きな人と同じものを食べて、美味しさを共有できるって幸せですね」  尚紀がしみじみ言う。そして大口を開けて鰻丼を一口。モデルとは思えない、食いっぷりの良さ。浮かべた表情で反応が分かる。 「ここの鰻の串焼きは美味しいし、ビールも美味しいし、鰻丼も。僕、幸せです。それって、廉さんが一緒だから幸せで、相乗効果で美味しいんですよね」  廉さんがこうやって自分の行きつけのお店に僕を連れてってくれるの嬉しいです、と尚紀は言った。 「これまで、僕が知らなかった廉さんを知ることができるし、一緒に辿ってきた気分にもなれるし」  確かに、生涯で唯一とする番にこれまで会えなかったのは振り返っても長かった気がする。 「これまで出会わなかった分、これから一緒に行けばいいんだよ」  廉の言葉に尚紀も頷いた。 「そういえば江上さん、森生さんは最近お元気ですか?」  若大将が颯真の消息を尋ねてきた。 「あ、あいつ最近忙しいみたいで。なかなか飲みに行けないんです。でも、若大将が会いたがってたって伝えますね」  そうそつなく答えると、目の前の尚紀の表情がみるみる変わった。 「颯真先生も? ここに?」  そうだった。愛おしい番候補は、主治医の森生颯真のことが大好きなのだ。 「そう。あいつと一緒に開拓した店」  潤がドイツに赴任している間に行きつけになった店の一つだ。  しかし、尚紀が颯真のことに言及するのは少々妬ける。 「颯真先生がこの雰囲気のお店は、ちょっとびっくり」  尚紀が意外なことを言い出した。 「え、じゃあ俺は?」 「廉さんは好きなそうなお店だなって思う」 「その違いは何なんだ。あいつだってザルなのに」 「そんなにお酒を飲むんですか」 「二人で来るとな。じゃあ今度は三人で……いや、颯真に双子の弟がいてさ、俺の上司なんだけど」 「知ってます! 森生潤さん!」  まさか尚紀が認識しているとは思わなかった。 「廉さんちの本棚にあったビジネス雑誌で見ました! オメガで社長、本当にすごい。僕、尊敬します」  思った以上に尚紀は潤に好意を抱いているみたいだ。将来の番だから、幼馴染で親友で上司の潤にも、いずれ紹介したい。 「僕、潤さんにもお会いしたいです」  そんな積極的な言葉に、廉は安堵する。 「じゃあ、次は颯真と潤と四人で来ような」 「そうですね!」  尚紀は楽しそうに頷いて、再び鰻丼にパクついたのだった。 【了】

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