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16章(5)
尚紀はうっとりとするまどろみのなかで意識が戻る。それまで何か夢を見ていた気がするのだけど、この暖かさを安心感の中であまり覚えていない。
すごくいい香りがする。
それは廉のフェロモンの香りだと分かっている。
昨日は遅くまで残業して帰宅したようで、尚紀が待ち疲れてベッドでうとうとしていたら、優しい香りが隣に入り込んできたのを覚えている。
「れん……さん?」
微睡みの中の問いかけに温かい何かが尚紀を抱き寄せた。
「ただいま。遅くなってごめんね」
ううん、と首を振ったような気がする。だって、お仕事は忙しいんでしょう……。
「でも尚紀が恋しくてマッハで帰ってきた」
そんな声が幸せで……。
「……尚紀が嬉しそう……幸せだな」
そんな声がして、温もりに包まれて、優しい鼓動に安堵して、尚紀の意識は再び落ちたのだった。
尚紀は、初めて廉と身体を重ねてからというもの、一人で寝るということがほぼなくなった。
廉は書斎に簡易ベッドを置きつつ、寝室のベッドを使用主の尚紀に断りも入れずにセミダブルからダブルに買い替えた。その電光石火の行動は、もう一人で寝かせることはしないという、アルファの無言の独占欲のようで、尚紀は一人で顔が赤くなったり、幸せな気分になったりして、忙しない感情変化を味わった。
寝室の壁に立てかけられているのは、達也の著作。この絵本を寝室で眺められる場所に飾りたいという尚紀の希望を、廉はベッドから眺められる位置にラックを設置して叶えてくれた。
廉さんに甘えてばかり、と思う。
廉は、尚紀がこだわりを見せる絵本について、なにも聞いてこなかった。聞かれたとしても、尚紀はこの感情をうまく説明することはできなかったように思う。あの温かくも危うかったオメガ三人の関係を、そして自分のかつての番である夏木のことを。
かつて信にはその過去を話すことができたが、廉に話す覚悟は、尚紀の中ではまだ固まっていない。
絵本の出版社の連絡先は分かった。しかし、尚紀は、出版社に問い合わせて達也の連絡先を得る、という具体的な一歩を踏み出せていなかった。
達也はもちろんだが、尚紀自身もあの頃と比べ大きく環境が変化した。再会を望むなら達也の方が、連絡を取りやすいと思う。だってスマホの電話番号も所属する事務所も変えていない。
それにモデルとしてナオキが活動しているのは知っているのだろうし。
それでも連絡が来ないということは……。
尚紀は、それ以上考えることを止めた。
「ん……っ」
尚紀を抱き寄せていた廉が目を覚ましかけている。
尚紀は廉の耳元で囁く。
「おはようございます、廉さん」
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