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16章(10)
颯真の説明は、ペア・ボンド療法の概要から始まった。どのような患者を想定していて、どのような治療がとられるものなのか。その際に使用する薬剤、具体的な方法。そして、どのような行程を経て、想定される効果と副作用などの説明。海外での治験実績など。
わからないことや疑問点があったら聞いてね、と言われたものの、押し寄せる情報が複雑で難しすぎて、早々に尚紀の脳内のキャパシティはいっぱいになってしまった。情報の波に溺れて、めまいがしそう。
尚紀には、わからないことや疑問点を整理する余裕もない。しかし、そういうときに頼りになるのが廉で。
彼は颯真にいちいち確認を取り、時には尚紀にはわからないような専門用語を使って、颯真に確認を入れていく。
完全に尚紀は置いて行かれているが、信頼する廉が把握しているのだから、と尚紀は早々に理解することを諦め、二人のハイレベルなやり取りを見守ることにした。自分が入るべきではないし、このやりとりを眺めているほうが楽しい。
「尚紀、聞いてる?」
そう颯真に苦笑されて、尚紀は我にかえった。
「え……」
「なんかふわふわしてるなって俺も思ってた」
廉も笑みを浮かべてそう言う。
「僕ですか?」
さりげなく二人に注目されていたみたい。
すみません、と尚紀は素直に謝った。難しくて途中で迷子になりました、と白状した。
「迷子か」
廉が苦笑した。
「かっこいいお二人を眺めるのが楽しくなってしまって」
そう言い訳すると、廉と颯真は顔を見合わせた。そして、廉がふふっと笑った。
「だからふわふわしていたのか」
「ごめんごめん。尚紀を置き去りにしたね」
颯真も謝る。
尚紀としては廉が把握してくれていれば問題ないし、自分は廉と颯真の二人のハイレベルな会話を聞くのが心地よかったのだが、颯真はきちんと説明してくれた。
ペア・ボンド療法とは、現状は番と死別してなお項に噛み跡が残るオメガと、そのオメガと番うことを希望するアルファがいて成り立つ治療法であること。
治験の参加は、適性者の選別が行われた上で、さらに両者の了解が必要であること。
被験者はオメガであり、番となるアルファは協力者という立場になること。
「だから、この場合の被験者は尚紀、協力者は廉ということになるね」
そして、ペア・ボンド療法の治験計画書によると、被験者は、厳密にフェロモンを抑えてコントロールするために、少し長めの入院が必要であるということ、その際に番となるアルファと会うことは叶わないということなどを聞いた。
とたんに不安になる。
「どのくらいの入院が必要になるんですか」
颯真は少し考える。
「人によるけど、尚紀の場合はやっぱりフェロモンが不安定だから治験実施前、一ヶ月から一ヶ月半くらいかな。近くにアルファがいると不安定になるから、少し廉と離れることになるけど、がんばろうね」
颯真に慰められる。颯真の意識は次に廉に向いた。
「ま、お前も大変だよ。尚紀が入院してフェロモン治療をする間、お前はヒート抑制剤を制限される。近くにオメガがいるし、精神的にも結構しんどいと思うぞ」
「弊社はオメガが多いんだが……」
「そう。お前の場合は仕事に支障を来たしそうだし、俺も心配だから短めで済ませたい。制限期間は半月くらいだと思う」
「二週間……十四日か」
「それが精一杯だ」
「それ、ひょっとして周囲の番がいないオメガにも影響が出たりするか」
「おそらく。だから、気をつけてくれ」
「会社にも上司にも事情も話せないしな……」
「頼むから耐えてくれよ」
考え込む廉を見るが、少し自分が不安そうな表情をしていたのかもしれないと尚紀は自覚した。彼は優しい笑みを浮かべた。優しい手のひらが尚紀の頬に触れる。
「大丈夫。長期入院する尚紀ほどの苦労じゃないよ」
そういわれて、尚紀はそうだったと思い直す。廉と番になるためには、事前治療として一ヶ月以上の入院が必要……。
こんなに甘やかされてしまっているのに、廉と離れねばならなくなるのかと思うと、その一点だけで尚紀の気持ちは沈んだ。
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