295 / 298

18章(2)

「ナオキ、久しぶり」  その日の午後、尚紀の投薬が終わった頃を見計らったように訪ねてきたのは、マネージャーの庄司だった。 「庄司さん……!」  見知った人がいきなり顔を出してくれて、尚紀は驚くと同時に嬉しくなる。廉と一緒に住むようになり、また体調が芳しくなく仕事が満足にできなかったので、彼女と顔を合わせることは少なくなっていた。それなのに、気にかけてくれてここまで来てくれたことがなにより嬉しい。 「近くに来たので、寄ってみたわ」    入院する時に社長の野上には連絡を入れておいた。それが庄司にも伝わっていたようだ。 「庄司さん……」  久しぶりに病院関係者以外の顔を観ることができて尚紀は安堵する。あまり考えてはいなかったが、思った以上にここでの生活はストレスになっているのかも、と気がつく。 「頑張っていると社長から聞いていました。調子はどう?」  庄司はベッドサイドにある椅子を引き寄せた。 「はい。治療はおそらく順調に進んでるんじゃないかと思います。ただ、副作用で体調に波があって……」  そう尚紀が漏らすと、庄司は顔を曇らせた。しまった、と尚紀は思う。 「あ。でも、すごく良くしていただいているので大丈夫です」  そう言葉を繋いだ。今は仕事での絡みも少ないし、余計な心配をかけたくない。 「……ならいいけど」  庄司の言葉に尚紀は密かに安堵する。柊一ともども心配をかけっぱなしだなと思う。  椅子を引き寄せて腰掛ける姿を見ながら、ふと柊一のことが脳裏をよぎる。  いま、自分が受けている、レムナント香を探す嗅覚反応プロファイルは、ぜひ柊一に受けて欲しかったなと思う。もし、番の香りを特定して夏木の香りをアロマやポプリなどで再現できれば、柊一にとってどれだけ発情期が楽になっただろうと思うのだ。  尚紀はこの治療で医療調香師という仕事を知り、草壁と知り会った。もっと早くにこの仕事のことを知っていればと思う。なぜあの頃はもっと真剣に調べなかったのだろう。もちろんこれは、尚紀の後悔でしかないのだけど……。  尚紀の、深みにハマってしまいそうな思考を、庄司の一言が止めた。 「江上さんは本当にいい病院を紹介してくださったのね」  庄司の言葉に尚紀は頷いた。 「はい。廉さんの親友がこちらの病院のドクターで、僕の主治医をしてくださっています。診てもらってからすごく身体が楽になりましたし、少しずつ将来に目を向けることもできるようになってきました」  いい出会いをしたのね、と庄司に言われて尚紀は頷く。 「社長はお元気ですか」  尚紀がそう問いかけると、変わらないわ、と笑顔。 「そうそう、あなたがやっていた精華コスメティクスのシオンシリーズ。モデルが単年で変わることになって」  尚紀の代表作といわれる、ヘアケアシリーズ、精華コスメティクスの「シオン」。  こちらの大きな広告看板が廉との縁を繋ぐ役割を果たしたものの、不定期の発情期に見舞われるようになり、尚紀はイメージモデルの座を失った。仕方がなかったとはいえ、とても悔いも残った。 「あなたの後任の子が来年変わるということで、うちの事務所の子にオファーがきたわ。社長はとても喜んでるわ」 「そうですか……」  自分の後輩に仕事が舞い込んだ。あのシオンシリーズの仕事が。  体調が悪く手放してしまったのは自分だ。それが、自分の後輩に巡ってきたというのであれば、喜ばしいことだが、それだけでは片付けられない複雑な気持ちがよぎったことも事実だった。

ともだちにシェアしよう!