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18章(9)

「金曜日の午後にフェロモン負荷テストの予約を入れたから」  翌日、病棟回診で颯真にそのように告げられて、尚紀は固まった。思わずどう反応して良いか分からず戸惑った。  フェロモン負荷テスト。それはペア・ボンド療法に向けた最後の試練だ。  尚紀は入院してすぐに嗅覚反応プロファイリングで番の香りとされる「レムナント香」を辛い思いをしながらも突き止め、以来それを抑える厳格なフェロモン療法を受けてきた。  続くペア結合反応評価では、レムナント香と、番候補の香りとなる「ペア・ボンド香」を評価され、少しずつ身体はレムナント香からペア・ボンド香に反応するような治療が行われている……はず。  はず、というのは尚紀自身にその実感があまりなく、それがペア・ボンド療法への不安とプレッシャーになっているような気がしていたからだ。  フェロモン負荷テストはペア・ボンド療法への可否を判定するテスト。最初で最後の切符と理解している。  具体的には、身体に軽く発情期を起こすことで、番として身体が反応する香りがレムナント香ではなくペア・ボンド香になっているかを確認するのだ。  そのテストが三日後の金曜日だというのだ。「ようやく」と思う一方で「もう」とも感じられる。  ここから金曜日まではフェロモン抑制剤の投与は休みとなるらしい。負荷テストに向けて、少しずつ身体をフラットに戻していくとのこと。 「フェロモン負荷試験は、安全にペア・ボンド療法を実施できるかを調べる試験だね」  端的にいえば、尚紀の身体が廉の香りを選べるかを調べるものだ。しかし、尚紀には自信がない。自分の身体の変化も、自覚も自信が持てない。  そんな本音がダイレクトに表情に現れてしまってのだろう、颯真が「不安?」と聞いてきた。  尚紀は、俯いて、頷く。 「あまり実感もなくて……」    颯真は大丈夫と言ってくれるのだが、それがどうしても尚紀には手応えがないのだ。そればかりか、この入院生活は辛いことの方が多くて、先への不安でしかなかった。 「颯真先生、……廉さんに会いたいです」  尚紀の口からぽつりと本音が漏れ出た。  最初から計画に組み込まれているとはいえ、尚紀にとって廉と一ヶ月会えないのは想像以上に辛いことだっただった。  昨夜、潤とたくさん話したことで、不意に廉のことを思い出してしまった、というのもある。  潤とたくさん話ができたという興奮と、廉への思いを胸に、昨夜は眠ることができたが、その反動がきたのか、今朝から気持ちがすとんと落ちてしまっていた。 「会わせてあげたいけどなぁ……」  颯真が困った様子でそう言った。自分が我儘を言っているのはわかっている。すべて承知の上で、この治験に参加しているのだ。そんな子供みたいなことを言ってどうするのだ。 「……すみません。我儘なのはわかってるんです。ちょっと言ってみただけで……」  言い繕う。だけど、その先は言えなかった。寂しいもしんどいも辛いも、やっぱり自分本位とは思うけど、言葉にすると気持ちが溢れてしまいそうだから。  颯真に言っても困らせるだけ。 「尚紀……」 「大丈夫です。あともう少し……ですからね。僕……頑張ります」  颯真が、尚紀の手の甲にそっと温かい手を添え、ぐっと握った。  力強い目が、尚紀を見据える。 「尚紀は強いな。うん、もう少しの辛抱だ」  颯真の気持ちは痛いほど伝わってくる。尚紀も頷いた。こうして寄り添って、気持ちを鼓舞してくれるだけで嬉しい。  目の前が不意にじわっと潤んだ。だけど、尚紀は構わずに頷く。 「……はい」  颯真がティッシュを差し出してくれたので、尚紀は小さく礼をいって目頭を抑える。とんとんと背中を叩いて励ましてくれる暖かい手にも優しさを感じる。  この先を言葉にしたらどうにもならない気持ちが溢れてしまう。だからこれでいいのだと尚紀は思った。

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