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金の線

 簡潔なノックの後に、返事を待たず(へや)へ颯爽とした風が入った。  ああ。あの色は。やはり目を惹くな、と彼の胸許の線を眩しく仰ぎ見る。  彼の自信、精彩、着実に身に着けていく威厳。  体現するように、(おり)が沈むような病室の、それを取り払うような鮮やかな引き締めを与えてくれる。   「園山(そのやま)先生ね」  声の方を向き、廣さんは短く刈られた髪を少女のように撫でつけた。 「嫌だわ。すっかり園山先生にも、寝乱れた姿を見せてしまう仲になったのね」 「元気そうだな、相変わらず口は」  闊歩という表現が相応しい、すらりとした健脚を運ばせ、園山は俺の隣に腰を下ろした。 「……廣さん、見えますか? 園山先生のバッジに、金の線が入りましたよ」 「ええっ? ……あらやだ、ほんとだわ! 眩しいわねえ、……まさか、とうとう園山看守長に……!?」 「副だよ、副。まだ副看守長だ」 「あらそう、でも随分前から、既に副が取れてる堂々さよねえ。それにしてもあの園山先生が、副とはいえ看守長だなんて。早いわねえ。 入った時は、まあつるりとした顔の坊ちゃんがやって来たわって、上品な顔のわりに、ならず者の挑発にすぐ乗って、正論かざして先生の方が怒鳴られたりしてるもんだから、どうなることやらと思ってたけど、立派になったものよねえ、」  園山は苦く笑っていたが、彼のここ数年の躍進は、疑うものがないことを肌でも感じていた。  ——特に、天川をその手で見送った以降は。  厳しく、内に仁をひめ、常に公正な眼で刑者へ向ける眼差しは、そのまま俺にも注がれ、抜け殻と化した俺のかたどりを、熱く(つよ)く取り戻してくれた。  まだ十分年若いことに変わりはないのに、彼の漲るような上昇は、緩やかすぎる再生を辿る俺には、眩しいが一条のひかりだった。 彼には、ひとを先へ導くちからがある。  そして今際の天川の、手に手を携えたことは、天川の最上の救いであったと、今も願ってやまない。——勿論、俺にも。 「早いといえば、坊ちゃんだと思ってた園山先生も、もう立派なパパでしょう。そういえばお嬢さん……、」  言い掛けて、俺の方を向くまでもなく、廣さんは言い淀んだ。  園山も、見守るような静かな横顔で視線を俯けている。 「……聞かせて下さい。子供の話は、誰のだって好きです」  緩やかに微笑んで、本心だと告げる。  指導者の側だとしても、年若だと思っていた園山の人生の歩みは、感慨深いものがあった。 「……うん。四月から、小学校に通ってる。……そんなことより蛯原。体調の管理は足りているのか? ここでもある程度の設備は揃ってるが、もっと充実した機関に移っていいと、所長にもとっくに話は通しているんだ」 「あらやだ。……とうとうお払い箱の勧告かしら」 「ふざけるんじゃない。真剣な話をしている」 「ごめんなさい。園山先生がいつも真剣なのは、解っています。……でも、叶うならここに置いて頂きたいわ。充分良くして頂いてるのに、ご迷惑なのは承知していますけど、ここを出て、治療(良く)して頂いたところで、待っている家族も老い先もないんです。 加減が良い時は、これまで通り働きますから。……動かなくなったら、それはいつうち棄てて下すっても、構いませんから」 「……」  既に何度か繰り返しているやり取りの、結着をまだ園山は見せられなかった。 「……だって、どうするの? 何でもかんでも九州醤油垂らしたがる園山先生のお膳を、朔は、用意出来るの……?」 「えっ……?」 「……そうだな。高階(たかしな)は歌を詠むが、その辺りの細やかなケアは、不得手なようだからな。周到な引き継ぎを、済ませてからだな」 「え……? 醤油は、ご自分で掛けたら良いのでは……」 「そういうところだ」「よ」  二人声を合わせて、園山は職務上笑いを堪えていて、廣さんは喘ぐように喉を震わせていたが、破顔していた。  出しにされているが、二人が和んでくれるなら幾らでも歓迎で、俺も唇を綻ばせた。  園山が身に着けている金の線と、廣さんが灯している命の光。  窓から、午后(ひる)下がりの陽春のひかりも降りていて、ささやかな温かさに包まれた(へや)の輝きが、長く続いたなら、と願った。

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