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最上につつまれて

「……ごめっ……、…………ごめ……っ……」  何を詫びているのか。赦しのすえに、何を求めているのか。  最早判らず、情けなく、惨めったらしい啜り泣きを馬鹿みたいにあげて、 俺たちは、向かい合わせの鏡のように、互いの姿を、こんなに間近に認めているのに、 どこまでも頑強に断つ見えない障壁に阻まれながら、言葉のかたちをぼろぼろに崩壊させて、ただ、むせび続けた。  くぐもった嗚咽と、断罪されただ愚かな男の、二人分の哭き声が室内にほとばしり、満ちる。  傍らに、陰のように控えていた、無感情を貫いていた園山は、 やがてはあ、と小さな吐息を漏らし、音もなく背後の壁へ歩み寄り、 片腕を、ぐっと押しつけたのだろう、音と衝動を最小限まで抑えつけて、 こぶしで壁を鈍く撲つ音が、押し殺した彼の感情ごと、掠れて漏れ響いた。  仕事をしてくれ、園山。  でも、良かった。  ついていてくれたのが、あんたで。  ずっと傍で、俺を、俺たちを見守ってくれていたのが、 他ならぬ いつだってあんたで、良かった。  そう、思えることが出来たのも、ずっとずっと時間の享受を経て、覚えのない癒えに、いつしか気づいてからだった。  全部、全部持って行ったの。  慟哭の狭間で未景は、途切れ途切れに、だけど俺への託す情景を、漏らそうとせず懸命に伝えてくれた。  全部持って行ったの。  指輪も、馬蹄のネックレスも。あんなに大きなダイヤが付いた、婚約指輪も。  朔さんのマフラーも。陽まりが描いた似顔絵も。お手紙も。  朔さんと陽まりの七五三の写真も。結婚式の写真も。  朔さんが詠んだ、歌の手紙も。  メリークリスマスって、クリスマスの前に伝えてくれた、あの葉書も。    大丈夫。全部見たの。  全部、全部見て、嬉しそうに全部抱えて、抱きしめて、 沢山の花に囲まれて、まるで、 お姫様みたいに綺麗にして、王子様いつまでも待ってるみたいな、 しあわせそうな顔して、いっちゃったの。  イヴを迎える前から、千景は眠りに落ちていることが多くなった。  だけどその日は、年老いた両親、親族、親しい人たちの訪れが珍しく重なって、 きちんと目を開けて、満足そうに皆と言葉を交わし、 『ああ、疲れたから、ちょっとお昼寝するね』。  そう言って、寒いけど、その日の午後はぽかぽか日和で、窓からのお陽様が本当に穏やかで、 みんなから貰ったお花を挿して部屋に戻ったら、本当にお昼寝しているみたいに、 本当にふらっと、ちょっと陽まりのとこ行ってくるねみたいにして、 いっちゃったの。  未景が笑っていたから、その時の温かな優しい午后のひかりが、本当に伝わってきたから、俺も思わず、泣きながら笑っていた。  でも、ごめんなさい。  連れて来られなくて、ごめんなさい。  会わせてあげられなくて、ごめんなさい。  本当は、ちかちゃん痛かったり苦しかったり、絶対辛かったと思うの。  でも、そういうの全然見せなかった。  だから、私、当たった。ちかちゃんに。本当に最低。  辛いなら辛いって、そういうの見せてよって。私だって家族でしょって。  なのに、ごめんって、困った顔してただ笑って。  ごめんなさいと、子どものように許しを乞うて泣く未景に、俺はただただ首を振り続ける。  身内とはいえ、だからこそ、血を分けた親しい姉が病と闘う姿を間近に見守っていくことは、どんなにか辛いことだったろうと、彼女には最上の感謝と労りの念しか思い至らない。  俺と過ごした時も、千景は闘病の苦しさを俺に辛辣にぶつけたりしなかった。  改めて彼女の芯の強さ、そして彼女の救いになり得たのかと、悔恨に目が眩む。  でも。でもね、朔さん。未景は、啜りあげながら口をつく。  私は、あんなにしあわせそうな顔して、旅立つことって、これ以上のことは、ないと思うの。  可愛い娘に出会えて、素敵な旦那様に、こんなに沢山愛されて。  ちかちゃんの眠っている顔が、何よりそう伝えてた。  そりゃ、何でこんな目に遭うんだって、何度も思ったよ。  あんなに綺麗で可愛い、生まれながらのお姫様みたいだったちかちゃんを、 ちかちゃんばっかり何でこんな突き墜とすみたいな目に遭うんだって。  朔さんのことだって、恨まなかったって言ったら、嘘だよ。  だけど、そんなの、それごと全部ちかちゃん  持って行って、ちかちゃんには問題なかった。  愛してるひとがずっとこころにいて、それを守っているから、きっときっと問題なかったんだ。  私は、陽まりとか、ちかちゃんが可哀想だとか、 朔さんのことを、たとえ罪は犯したとしても、きちんと全てをこめて償ってる。  悪く言う奴がいたら、許さない。  何も見もしないで、ちかちゃんを、ちかちゃんが愛してるものを貶める奴がいたら、 私がそいつを、殴りに行ってやる。  もういい。解った。有難う。  有難う。ごめん。有難う。  園山は、いつの間にか退室していて、未景のふれることの出来ない手へ包むように伸べながら、うわ言のように俺はその言葉を繰り返していた。  いつか、必ず逢いに行くから。  あと、少しだけ。  少しだけ、陽まりと、待っていてくれ。  もう、これで最後にしたい。  千景も、未景も、誰かの未来図を奪うことを、もう最後に。  悔恨、惜別、思慕。いたる最上の、愛への希求。  けれど未景が語った千景の背は、羽根のように、尊くこの上ない光に包まれている気がして、 俺には、確かにそれが、見えたんだ。

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