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門外の景色

 門外へ押し出され、そこから拡がる世界の、瞬時に郷愁へさそわれた俺は、しばし忘我に埋もれて、失われていたこの世界の、再びこの身が地に足を着け五感へ吸収されていくことへの、うちなる悦びに浸っていた。  園山も門に敷かれたレールを踏み越え、高く昇っていく陽で満たされた蒼を仰ぎ、こちらに眼を移す。 「どうだ、久しぶりの『外』は」 「…………怖いですね。正直に」  釈放間際から感じていた胸のうちを、偽りなく漏らしていた。  だが彼がやって来て、そこに言葉そのままの翳りは含まれていない。  容れるように頷き、園山は否定をしなかった。  どの言葉を、どの挨拶を、『最重要の詰め』を、どう伝えたら良いのだろう。  きちんと伝えきる形で、顔を合わせて、永年の謝意を必ず手渡したいと思っていた。   別離(わかれ)をうやむやのまま迎えたくない、悔いのない区切りを残したいと願っていた人物が、いざ目の前に現れて、どこか互いに、口の中に言葉を含んだまま、どこから取り出したらいいのやら、伏し目と含み笑いを繰り返しながら、無言になる。 「何だよ」  ふたりきりになったのが久しぶりで、今までも、正直他の受刑者や刑務官達に較べると、"ありのまま"の(てい)で接してきているな、とは思っていた。  今ふたり、『外』に出て、それがより濃厚になった不遜な腕組みで見上げてくる。 「老けたと思ってるな?」  つい見つめていたからといって、そんなつもりな訳ない。  何を今さら、と吹き出してしまう。「お互い様でしょう、」と。  いやいや、と改まって目の前の彼を見直す。  初めて会った時、彼はまだ二十代で、若いながらも入所は遅咲きのノンキャリア組、銀の階級章に銀線一本、一番下の『看守』だった。  それでも、縦割り社会の上部との軋轢に辟易していただろうが、あの頃から先進的な物の見方と、英邁な眼の輝きは片鱗でなく覗かせていた。  俺も罪と罰を下された三十代、自暴自棄と罪滅ぼしの懊悩を繰り返し、それでも誰かの役に立ちたいと(もが)いていたところ、天川と出会い、彼の世話を焼きたい、彼のまだ純粋な瞳に光が灯ればいいと、仕舞っていた歌まで詠んで気を惹いていた。  それが今、天川を、まだ若くきっと彼も深い傷みを負って見送ったであろうその姿は、金の階級章に三本の金線、その煌めき、名実ともに純然たる看守長の風格を身に纏い、堂々の威風に吹かれている。  もう二度と、この()を踏めないと棄てていたこの身が、門外でこの姿の彼に見送られる、こんな景色を見られるなんて、ひとの辿る巡り合わせの、なんて未知なことだろう。 「……こころの曲がらない若さとひたむきさは、変わらないと思います。 でも、本当に立派になられたと思って…………」  感慨深い、という言葉をまさにこころと唇でしみじみと感じて、口に出していた。  ふん、と満更でもなさそうだが、まだ畏まった振る舞いの俺に何か含みがあるのか、園山は眉を上げていた。 「お前も、変わってないよ」 「……」 「まあ、流石にな。昔のような張りと艶はないよ。負ってきた辛苦が凄まじいからな。常人にはない辛酸が、余計渋みを与えてるというか」 「……枯れ具合は、自分でも身に沁みて解ってますよ」 「うん。だが内の、底に墜ちても、歪まなかった心根の誠実さというか。本来の気質なんだろうな。やさしさ、温かさ、添うのをいとう気がしない心地……。こいつになら、託せるかも知れない、というものは失われなかった。……そこに惹かれる奴も沢山いたし、信じてる人たちも、だからずっといた」 「……」 「……昨年の暮れは、辛かったな。……どうしてこんなことになるんだろうと、見えもしないものを、俺も強く恨んだよ。流石に浮上することが出来るのか、ここまで来て途方に暮れるんじゃないかと、随分気を揉まれたが……」   千景が旅立ったことを(しら)された時も、彼は傍らにいた。  憂うように想いを馳せた視線は、だがすぐ俺の背後の蒼空ごと見上げるような、爽快なそれへと晴れる。 「まだ、いけそうだな? もう何花かは、咲かせられるんじゃないのか?」 「まさか、もうそんなことは……」 「にしては何だこの落ちてない胸筋は? 上腕筋も。脚も、全身か。これ無駄にして到底隠遁は出来ないだろ」  五十過ぎでこの体とは、マシンもない環境で、集中した鍛錬は侮れないんだなと、真剣な顔をしながらぐいぐいひとの全身に指を押し込んで確かめてきて、 結局体力が衰えるのは嫌で、雑念の払拭にもなったし、結果復職にも備えられて続けてきただけで、 やめて下さいよと、門前で中年二人、間際に何を戯れてるんだろうと笑いが零れ落ちてくる。 「……古巣に、戻ることが出来るんだって?」 「はい……。本当に信じられないですが、当然元いた部署でも、現場でも使われはしないでしょうけど、裏でも何でも……。これからの、後任の礎に少しでもなれたら、と思っています」 「うん……。……まずあり得ないな。本来なら」 「そこに届くことなんて、所長や、園山先生たちの力添えがなければ、到底及びもつきませんでした。……有難うございます」 「俺は何もしてない。手近な場所から、突っついてただけだ」  感謝すべきは、陰からも日向からも、残って支え続けていた人たちだろうと、 園山はまた(てん)を仰いだ横顔を、どこかへ馳せるように向けた。 「俺も、明日にはもうここにいないよ」

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