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第4話 ノンケ?
「エエ店やな」
柳が店内を見渡してお世辞を言う。
カウンターが十席ほどしかない小さな店だ。
「おおきに、もうここで十年やってるんよ。危ない店やないから安心して飲んで行って」
ママがメニューを差し出すと、柳は一番安いウィスキーのボトルをキープした。
ボトルを入れる、ということは気に入ってまた来ようと思っているのだろう。
確かに値段は安く、危ない店ではなさそうだったので、その点は雪本も安心する。
「大阪でもこういう店には行ってたんやけど、こういうママはエエ人が多いんやで。情があってな」
柳がまだ驚いて固まっている雪本に説明すると、ママが嬉しそうに会話に入ってくる。
「嬉しいこと言うてくれるわねえ。お客さん、ひょっとしてソッチの人?」
「ん?ああ、まあな」
「まあ、嬉しいわあ、こんな男前久しぶりっ」
ソッチの人ってなんだ……
雪本は二人の意味不明な会話に首をかしげる。
まさか柳がオネエということはないだろう。
「そちらの若い方は、ノンケさんやね。こんな店は初めてなんと違う?」
「ええ、まあ……初めてです」
「緊張しなくてエエのよ。普通のバーやから。楽しい飲んで行ってね」
柳の言うとおり、ママは気さくないい人でサービスで手料理を出してくれたり、面白い話で笑わせてくれたりする。
その容姿さえ見慣れてしまえば、芸人と話をしているような感じだ。
柳との大阪弁の掛け合いも絶妙で、最初は緊張していた雪本もしばらくすると店の雰囲気に慣れてきた。
営業をやっていれば、こういう店を知っておくのも悪くはないだろうと思う。
なにより柳が楽しそうに伸び伸びとしている様子なので、良かったと思っていた。
「柳さん……ノンケってなんですか?」
雪本は気になって小声で聞いてみる。初めて聞く単語だ。
「ああ、お前みたいなやつのこと」
「だから!俺みたいってどういう意味ですか」
「女が好きな男のことやんか」
「俺、女好きじゃないですよっ」
「でも、男好きじゃないやろ?」
ニヤっと笑った柳の言葉に、雪本は一瞬絶句する。
女に興味がないと柳が言ったのはそういう意味なのか……?
「柳さんは男が好きなんですか?」
「そうやなあ……どっちかっちゅうと女よりは好きやな」
ゲイではないにしても少なくとも柳はバイということか、と雪本は驚く。
けしてマイノリティーを差別する気はないが、自分の知り合いにそういう人は今までいなかった。
「てことは……俺っ、狙われてたりします?」
柳は雪本の声が裏返ったので、声を上げて笑った。
「大丈夫、大丈夫。俺、ノンケには手出さないから。雪ちゃんを襲ったりせぇへんよ」
「あーびっくりした。それだったいいんですけどね。誰を好きになろうとそれはその人の自由ですからね」
「お、雪ちゃんは心が広いなあ。残念やなあ、俺の好みのタイプなんやけど」
「じょ、冗談言わないで下さいよ」
「冗談ちゃうで。雪ちゃんみたいなタイプはバッチリ好みやけどな。ホンマ、残念やわ」
冗談とも本気ともつかない柳の言葉を雪本は聞き流すことにする。
こんな店に来ているのだから、雰囲気に合った冗談というものもあるのだろう。
ママにしても柳にしても性癖に多少違いがあったところで、人格まで否定するつもりはない。
ママと柳が機嫌良く地元の話で盛り上がっているので、雪本もその日は終電近くまでつき合った。
「雪ちゃん、この伝票どうしたらええのん?」
柳が仕事中に精算伝票の処理の仕方を聞いてきた。
「ああ、それは経理に持っていくんですよ。一緒に行きましょうか」
調度一息入れようと思っていた雪本は、別の階にある経理部へ柳を連れていってやる。
経理部の隣には総務があり、雪本はふと総務課にいる同期の男のことを思い出した。
確か彼は大阪出身だったはずだ。
それほど親しい間柄ではないが、顔を見れば挨拶して話ぐらいはする。
彼なら柳のよい話し相手になるのでは、と思い雪本はついでに総務課へ柳を連れて行った。
「佐野ちゃん、今忙しい?」
「いや、暇やで、どうしたん?」
佐野千春、という女みたいな名前の同期は、れっきとした男である。
名前だけではなく華奢でくりっとした目元の愛くるしい雰囲気の男だ。
「ウチに転勤してきた人、紹介しとこうと思って」
「ああ、柳さんやね」
佐野は立ち上がると柳ににっこり笑いかける。
佐野は柳とは違って、普段から大阪弁を隠そうとしない。
総務という部署がら、社外の人間と話すことがないので問題ないのだろう。
「知ってたのか?」
「そりゃ、総務だもん。それに関西支社から転勤してきた、っていうからどんな人やろなあと思ってた」
「よろしく。関西人同士仲良うしてくれると嬉しいわ」
ここでは柳も大阪弁を隠さず話しかける。
二人は意気投合したようで、しばらく仲良く立ち話をしていた。
雪本は少しだけ疎外感を感じたものの、佐野がよい友達になってくれるといいな、と思っていた。
柳はさっそく佐野を飲みに誘っている。
マロンへ一緒に行こうと思っているのだろう。
「な、雪ちゃんも一緒に行くやろ?」
「別に俺に気を使わなくても、二人で行ってくれてもいいですよ」
「何言うてんねん、雪ちゃんと一緒に見つけた店やんか。三人で行こうや」
「へえ、雪ちゃんそういう店、行くんだ」
佐野が意外そうな顔で雪本を見る。
「いや、俺はそのテの店は初めて」
「あ、やっぱり。雪ちゃんそういうタイプじゃないもんねえ。僕は大丈夫だけど」
佐野がちらり、と意味ありげな視線を柳に向ける。
「そしたら、いつにしよかな?」
「僕はいつでも。週末がいいんちゃうかな」
「わかった、ほんなら週末あけといて」
「了解。楽しみにしとくわ」
週末に三人で飲みに行くことになってしまった。
大阪弁の人に囲まれることを考えると、雪本は多少気を使うように感じるが、行きがかり上仕方がない。
佐野を紹介した手前、最初だけは一緒に行こう、と思った。
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