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第9話 酔っ払った

 しばらくしてカクテルを運んできたその若い男が、柳に話しかけた。   「この店、誰かに聞いてきてくれた?」 「えっと、紹介じゃないとダメなのかな?」 「そうじゃないんだけど、できたばかりの店だから」 「マロン、て店のママに聞いた店だと思ったんだけど違うかな」    柳は口からでまかせを言ってみる。   「ああ、マロンのママの紹介」    良かった、と柳は胸をなで下ろす。  マロンのママはどうやらこのあたりでは顔が利いているようだ。  まあ、高い店ではなさそうだが、紹介だと言っておいた方が無難だろう。   「お客さんたち、カップルだよね?」    若い男のセリフに、思わず雪本は口にしたカクテルを吹きそうになる。   「ああ、まあな」    柳がそう答えると、こっちを向いていた客が皆残念そうにそっぽを向いた。  失敗したな……どうやら出会い系のゲイバーに足を踏み入れてしまったようだ、と柳は気がついた。  しかし注文してしまったので、一杯は飲んで帰らないと仕方がない。   「ゆっくりしていって」    若い男はそれ以上は話しかけてこなかった。  雪本は落ち着かない雰囲気で、慌てて酒を飲み干そうとしている。   「大丈夫やよ、雪ちゃん、そんなに慌てなくても」 「でもこの店……」    壁にかけられた大きな画面には、外国のゲイビデオが流れている。  ホンマモンのゲイバーだといくら雪本でも気が付く。  店内にいる客はつまり全員ゲイだ。  雪本以外は。   「カップルやって言うたから、邪魔はしてけぇへんよ。別に普通のバーと変わらへんやんか」    柳はおどおどしている雪本の様子を面白がっているようである。  怯えているように思われるのもシャクで、雪本も開き直って飲むことにした。  周囲など、気にしなければいい。  とは思うのだが、カウンターあたりにいる客が男同士でイチャイチャしていたりして、どうしても気になってしまう。   「店、変えます?」 「俺はどっちでも構へんよ。そやけどもうあんまり探し回ってる時間ももったいないし、雪ちゃんが嫌じゃなかったらここでもええんやけど」    嫌だ、とは言えなかった。  柳の影響なのか、男同士の他のカップルに多少興味を持ってしまう。  ちらっとカウンターの方に目をやると、向こうからもこっちを伺っている男がいる。   「雪ちゃん……アカンで。雪ちゃんみたいなタイプは狙われやすいんやから」    クスクス笑いながら柳は雪本の頬に手をかけて、自分の方を向かせる。   「今は俺が雪ちゃんの彼氏、ということにしとかんとな」 「カンベンして下さいよ」    苦笑いをするものの、ここでは柳の言う通りにしておいた方がよいのだろう。  えらいところに足を踏み入れてしまったものだ。  思えば柳が転勤してくることがなかったら、こんな店とは一生縁がなかったかもしれない、と雪本はため息をつく。   「佐野ちゃんだったら喜びそうな店ですね」 「確かにな。俺はこういう出会い系の店は好かんのやけど」 「柳さんはゲイバーは嫌いなんですか?」 「ゲイバーはエエけど、出会い系は好きやないわ。身体だけの関係なんて不毛やし」    身体だけの関係、と言われて雪本はぎょっとする。  この店はそういう店だったのか、と男たちの視線の意味にやっと気がついた。   「や、やっぱり出ましょうか」 「そうやな。雪ちゃんには合わん店やな」    柳はクスリと笑って同意する。  二人は残っていたカクテルを一気に飲み干すと席を立った。   「あれ……なんか俺、今日は酔ってるような……」    店を出ると雪本が足下をふらつかせたので、柳は慌てて支えてやる。  居酒屋を出てから一杯しか飲んでいないのに、そんなに酔うはずはないのだが、柳自身も酔いが回ってくるのを感じていた。    さっきの店やな、と柳は推測する。  何かきつい酒でもまぜて、酔わせるつもりだったんだろう。  一杯で出て正解だった。   「大丈夫か?雪ちゃん」 「ああ……変だな、俺、そんなに飲んだっけ」 「今飲んだカクテルが強かったんやろ」    柳はふらついている雪本の手を握ってゆっくりと歩いてやる。  周囲には男同士のカップルもいて、ここなら別に構わない、と思った。  雪本は相当酔いが回っているのか、逆らいもせず手をつながれたまま歩いている。   「雪ちゃん、こういうのは嫌やったら振り払わんとアカンやんか」    柳はつないだ手を雪本の顔の前にかざして、からかう。   「えっあっ、すみませんっ、俺っ何やってんだろ」 「俺は構へんよ。可愛い雪ちゃんやったら」    雪本は頭がぼぅっとしているので、不思議と柳と手をつなぐぐらいは構わない、という気になっている。  黙って手を引かれて歩いていると、突然柳がビルの中へと雪本を引っぱった。   「まだどっか行くんですか?俺、もう今日はダメかも……」 「なあ、雪ちゃん、頼みがあるんやけど」 「頼み……ですか?なんでしょう」    突然引っぱられたので、雪本は足下をふらつかせて柳に抱きとめられてしまう。   「キス、させてくれへんかな? アカン?」 「えっ? キスって……あっちょっと、柳さんっ」    人通りのないビルの通路で、あっと言うまに柳に壁に身体を押しつけられてしまう。   「じょ、冗談はやめてくださいっ」 「冗談とちゃうよ。本気」    ふいのことで抵抗もできずに、唇が重ねられてしまう。  ほんの少しだけ触れて、それはすぐに離れた。  

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