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第7話
「ごめんなさい」
90度どころか、膝に頭がつくんじゃないかと言うほど深く頭を下げた友哉の前で、事務所のソファに座っている榊は、腕を組んだまま黙って目を瞑っていた。
昼頃に友哉を伴って事務所入りした佐伯と姫木は、榊が来るのを待って友哉自身の口から榊に話しをさせた。
「やってしまった事は仕方がないが…今度から…いやあっては困るんだが、こう言う時は真っ先に俺に話すように」
隣室の戸叶たちは榊の怒る声がいつ聞こえてくるかとビクビクと様子を伺っているし、同じ部屋で榊と友哉を目の前にしている佐伯と姫木も、いざとなったら友哉を庇ってやらないと…などと考えるほどに空気は重かった。
だが榊の声は存外静かだ。
事情がわかり、こうして友哉が目の前に無事なのを確認したからもういいのだが、ここで甘い顔をしてしまったらこれからの潰しが効かないから、渋い顔のままじっとしている。
「友哉も懲りたようですし、榊さんこの辺で許してやってください」
本当のことが知れたら許してやってくださいどころか休戦協定まで壊れそうなことが起こりかねないのだが、今の時点では榊も半分は許しているようなので佐伯が間に入った。
「友哉」
呼ばれて立ったままの友哉はビクッと体を震わせた。
「あまり心配かけさせるな。言ってもらえない方が心配なんだぞ」
榊の静かな言葉に、友哉の頭がますます下がる。
「今度からは何があっても、絶対に俺に相談するんだぞ、いいな」
下げた頭の向こうで、友哉はーはいーと応えた。
取り敢えず和解したのに安堵して、佐伯は現実を切り出した。
友哉は姫木が声をかけ、身を起こさせて近くの1人がけソファへと座らせる。
「現時点で存在する800万の借金なんですが…どうします」
踏み倒したりはできないことは榊も心得ている。
榊にしてみれば、立て替えると言ってしまうのが一番楽なのだが、この場合友哉にも得策ではない。
「正式に黒狼会へ行けと言うのなら行きますけれど」
佐伯の言葉に榊が唸るが、その会話の内容はその場で友哉だけが理解していなかった。
「できるか」
榊の視線が友哉に及んで友哉は不安そうに隣の姫木を見る。
「なに…?」
「お前が自分で勝負するんだよ」
姫木に言われ、ええっ?と声をあげて今度は榊へと向き直った。
「自分のけりは自分でつけないとな」
物凄く心配なのだが、それは顔に出さず榊は厳しい顔でそういう。
「サシって訳には行かないけど、俺らが補助に付くから。やるか?」
この際、この世界の厳しさを味合わせて2度と足を踏み入れないようにさせるという意味も含まれていた。
最終的にもしもの時は榊の手助けが入るのだろうし。
しかしそこは新浜の息子だ。1分ほど考えてはいたが、きっぱりと
「やる」
と言い切った。
「わかった。榊さんもいいですね」
最終確認を後見人の榊に取って、佐伯は乗り出すつもりだ。
榊は頷いて
「宜しく頼む」
と一言言った。
〜2日後〜
「何の用だよ」
双龍会の事務所へは初めてきた越谷龍一は落ち着かなそうに辺りを見まわし、戸叶に案内されて佐伯の前に座らされての先の一言。
「呼びつけちまって悪かった。外で話せない内容なんだよ。どうしてもお前に頼みたいことがあってさ」
昨夜佐伯から連絡があった時から嫌な予感はしていたが
「お前らのお願いってなんなんだよ」
と、不機嫌そうにソファにそっくり返る。
「何怒ってんだよ」
佐伯は戸叶を大学 まで迎えにやったのだが、戸叶は佐伯の客ということで、張り切ってブルーのシャツに黒いスーツでしかも真っ黒のレクサスを伴って校門の前に立っていたらしい。しかも龍一が現れると恭しく頭を下げご丁寧にドアまで開けたりしたものだから、周囲の注目を浴びっぱなしだったと憤慨しているのだ。
佐伯はやりすぎ、と戸叶をみると確かに言われた格好をしていた。流行んねえから着替えてこい と言われ、戸叶は渋々ロッカーへと向かった
「会うなら会うでいいんだけどさ、俺の立場も考えてくれよ。大学 今首になるかどうかの瀬戸際なんだからな」
それは自業自得だろ…と言う言葉は飲み込む。
「こう言うところに出入りしてるの見られると、まずい人もいるしな」
もう、こいつは一体どんな生活をしてるんだと小一時間問いただしたくなる佐伯だったが、今回は龍一の手がどうしても必要なので、下手 にでるしかない。
「わかった、次からは気をつける。だから、今回ばかりは俺の頼み聞いてくれないか。この間の件もあるしさ」
コーヒーを持ってきた児島に軽く礼を言って、早速一口啜る。
「あれは金払ったんだから取引だろ。なにか?今回の頼み事とやらも取引なのか?なら少しは考える」
相変わらず不遜な態度で言う龍一に佐伯は
「今回はそう言うことじゃなくてな、借金を返す手助けを手伝って欲しいっつーか…」
龍一はその言葉に両手を挙げた。
「無理無理無理!人様に協力できる遊び金なんて俺にはないぜ」
ますます不遜になる態度に言い方が悪かったと佐伯は手招きした。
「手っ取り早く言っちまうと、博打の介添をやってもらいたい」
手招かれて身を乗り出した龍一は、10秒くらい考えた後
「なんだそれ、聞いたことねえぞ」
と、身を離して眉を寄せる。
佐伯にしてみれば、榊に責任持って補助につくなんて言ったものの、自分達は博打に関しては門外漢、つまりど素人だった。
この世界に入った直後から牧島の元で警護や切り込みを専門にやってきたから、そう言った遊びに傾倒している暇がなかったのである。
賭場への出入りの経験はあるが、付き添いやそう言った感じのことばかりだった。
「で、その子に要領を教えて、勝つように訓練をする…?無理だろ」
キッパリと言って龍一はコーヒーを啜る。
「お前そんなキッパリ…」
「教えごとじゃないのお前もわかってるだろ。そんなんで借金するくらいなんだから、その子だって解ってるんだろ?じゃあ教えることもないだろ」
言ってる事は理解できるが、この場合どうしても龍一の手助けは必要だ。
「そう言わずにさ、お前が1浪4留してまで培った技術を借りたいんだよ頼むよ。イカサマだっていいからさ」
そう言う言い方は良くないぞ、と佐伯を睨んでため息をつく。
「大体丁半なんてのは、本人の勘だろ?イカサマなんてあれはできないぞ?あれのイカサマは振る方がやるもんだし俺がそばにいたくらいじゃ…」
「いや、丁半じゃない」
龍一は再び嫌な予感がして身を引いた。
「じゃあ…なんだよ…」
「手本引きだよ」
その一言で、龍一は降りると即答した。
「なんだよそのガキは、手本引きで借金作ったのか?当たり前だよ!」
手本引きは、胴と呼ばれる所謂「親」と張子と呼ばれる「子」との心理戦の博打だ。高尚な駆け引きの上に成り立ち、昨日今日賭場に出入りした者に太刀打ちができるものではないのだ。
「大体から俺は、手本引きの胴師相手にイカサマやるほど図太くないよ。手本引きの胴師って言ったら関東にはいないから、発祥の関西から呼んでるに違いないんだ。そんな本場の人の前でできないね、俺は」
「どう考えても勝ち目はないのか?」
「ないね。サシなんだろ?それこそないよ。丁半にすりゃいいじゃんよ」
すればいいじゃん と言われてできれば苦労はしない。
「掛け率が違うだろ。800万の返済には、丁半じゃ無理だ」
それは最もなのだが…。
「どうしても手本引きで行きたいのか?」
龍一の言葉に佐伯は頷いた。根負けしたように膝の上で頭を抱えた龍一は、
「わかったよ…」
と承諾の声を出した。
12月の午後3時は、既に夕暮れの準備を始めるかのように太陽が傾いてゆく。
柳井組直轄の賭場は平日にも関わらず十数人の客で賑わい、広い部屋の真ん中の白い布を張った畳2畳を縦に並べた盆の周りは出方 の威勢のいい声が響いていた。
「組長直々にいらっしゃるとは。先に言ってくださればもっとおもてなしの仕様もあったものを」
袴姿の貸元の黒田が、品のいいスーツを身に纏った男の前に丸く膨らんだ形の湯呑みをおく。
「この湯呑みで飲む酒が好きなんだ」
取り上げた湯呑みの中身を一気に空けて、黒狼会の本家柳井組二代目柳井健二は障子を開け放った隣の盆を眺めた。
「もっといい酒も用意できましたのに」
「十分美味しい酒だよ。遊びたくて俺が勝手に来たんだから、そう気にしないでくれ」
再び注がれた湯呑みを持ち。今度は少しずつ口に運ぶ。
「相変わらず盛況だな、この盆は」
出方の声の一瞬後に、様々な思惑の入り混じったため息が漏れる。
「おかげさまで、声をかけさせていただく皆さんがよく来てくださって、素人さんもチラホラと」
「入りました。張ってください」
その声に出方の方へ目をやった柳井は、その隣の胴師を確認して目を見張った。
「驚いたな、胴を引いてるのは長谷部か…」
黒田も一緒に目を向けて、微笑む。
「あいつも昔は手がつけられませんでしたけどね。神戸の北村さんに預けられて、どうにか手本引きの胴師を務められるようになったようですよ」
「元々その才があったんだろうな」
柳井がそう言うと、黒田は我が子を褒められたように嬉しそうに益々微笑んだ。
「じゃあ、ちょっと遊ばせてもら…」
柳井が立ちあがろうとしたとき、外からの扉が乱暴に開き若い男が駆け込んできた。
「なんだ騒々しい、組長がいらしてるんだぞ」
黒田は叱咤したが、その男はーすんませんーと頭はさげはしたがすぐに黒田の耳元で何かを告げる。
「なに?」
黒田が信じられないと言ったような目でその男を見、男は頷くのみ。
「どうした?」
「2代目、今日の所は出直していただいた方が…」
駆け込んできた男がーこちらへーと裏に通じる扉を案内し、黒田は柳井のお付きの山形に柳井を警護するよう伝える。
「手入れですか」
柳井の肩に手を置き、裏口に向かわせようとしながらそう尋ねる山形に
「ならいいんですけどね…」
と不穏な言葉を言って、黒田は入り口へ向かった。
その入り口の扉を開けた瞬間、男が目の前に立っていた。
黒狼会の賭場はビルの地下にあり、ビルの入り口を入るとエレベーターが有りその左に下り階段がある。
この雑居ビル自体が黒狼会の本拠地なので、事務所はエレベーターであがった3階にあった。
2階は組の若い者が詰める場所となっており、3階から上の階は系列の組が貸金業等に使っている。
階段を降りるとその地下室へ通じる扉が有り、その扉の前で見張りとして立っていた者が、先ほど黒田に知らせに来たのだ。
入り口を開けると狭い空間。そこでボディチェックをされ中へ入れるのだが、佐伯たちはそのボディチェックの場所へ通されていた。
裏口に出る間も無く現れた男を柳井も確認すると、山形の手を解いて男の方へ向き直る。
「ご招待はさせていただいていないと思いますが」
黒田が落ち着いた声でそう言うと、
「無作法は承知でお邪魔させていただきました」
と佐伯が、その場で頭を下げた。少々お邪魔いたします、と続けて中へと歩を進めると周りの若い者数人が、
「なんじゃわれ!]
「はいりこんでくんなや!」
と口々に怒鳴りながら、佐伯の後に続く姫木や友哉を押し戻そうと動き出した。
それを止めたのは柳井だった。
「まず入れてやれ。敵意がないのは見て取れるだろう」
組長の言葉では従わない訳にもいかず、男達はキツイ形相で引き下がる。
「柳井さんもいらしてたんですね」
佐伯が微笑み、後ろに続く全員を中に入れてもらってから、その場に正座をした。
そこは黒田が常駐する盆が見渡せる部屋で、10畳敷の部屋である。先ほど柳井が見渡した盆からは、障子を閉めたら隔離され一応の個室となる場所だった
そして佐伯は畳に手をつき、軽く頭を下げた。そこまでされたら黒田もそこへ座するしかなく、それでも無作法を許さないと言う意思表示に胡座で腰を落とした。柳井もそれと同様に座す。
「どういったご用件で」
黒田には、佐伯と姫木がどう言う存在なのかは全て解っていた。敵対する高遠組で今では裏の仕事を一手に引き受ける若い集団を率いる佐伯と姫木。
先の抗争でこの2人がいたら、結末がどうなっていたかわからないと思わせるほどの2人である…がその2人が揃って自分の本拠地へとやって来たのだ。いかに老獪な黒田でも穏やかではいられない。
正座をする4人は、前に佐伯と友哉、後ろに姫木と龍一という風になっており、佐伯は少し頭を下げ気味に
「実は…」
と話を切り出した。
金子の事や、そのせいで借金を背負ったこと。それでも正当な借金なので返すべくやってきたこと。全てを話した。その間に、友哉の名前と龍一の名前も伝えおく。
「話はわかったが、かい摘むと、借金の返済のためにそこの子供と勝負をしてやってくれ、と、そう言うことだな」
黒田の言葉に
「誠に不調法な上、調子 のいい話ではありますが」
と黒田の目を見て佐伯が言う。
佐伯の言葉に黒田は少々疑念を抱いた。話している内容自体はわかるが、些か荒唐無稽な気もする。『あの』佐伯が素人の子供を相手になぜそこまでするのかが全く理解できないのだ。
「本人 も自分で返したいと言っていますし、それにこちらの関係者の方に理不尽な返却方法を強要されていたこともあり、俺達が乗り出してきました」
柳井も側で聞いていて、やはり黒田と同じ考えで佐伯の様子を伺っていたが、その隣に座している友哉 にどこか見覚えがあって、先ほどから考えていた。
「素人さんなんでサシという訳にもいきませんから、そちらの越谷を補助につけさせてもらって、なんとか話に乗っていただけないでしょうか」
龍一は『俺も素人さんだけどな!』と思いつつ、少しだけ前に出て頭を下げる。
その間に柳井は気づいたのか、ああ、と呟いて
「佐伯、隣の男は確か…」
と、友哉に視線を送った。佐伯は柳井に全部を言わせる前に
「はい、柳井さんが思った人物で間違いないです。それで俺たちが出て来た訳が解っていただけたと思いますが」
柳井の視線を自分へと戻す。
黒田は不思議そうに柳井の顔を伺ったが、その黒田に山形が耳打ちをすると驚いたように眉を上げた。
抗争中、柳井も高遠の大幹部新浜をマークしており、最後の手段には息子でもなんでも利用しようとしていたのだから、柳井の幹部級は友哉の顔を知っている者は多い。友哉とて当時は14歳。まだまだ子供の顔つきをしていたが、成人した顔では少々判別はつきにくいようだった。
それがわかった時点で、柳井は黒田の隣で面白そうに含み笑いをした。
「ただの素人の子供に、あの佐伯が何をかまけているのかと思ったらそういうことか。けどな佐伯、勝負はいいがそっちが負けたときはどうするんだ?これまでしといて800万そのままというのも、それこそ調子《むし》が良すぎると思うんだが」
その柳井の言葉に佐伯も負けずに笑い返す
「もちろんタダで済まそうなんて考えていませんよ。負けた時には借金800万にプラス800万、そしてこの無作法を仕組んだのは俺ですから…俺を好きにしてくれてかまわないっす」
友哉が驚いた顔で佐伯を見、後ろに控えていた姫木さえも珍しく声を上げて膝を立てた。
「佐伯お前!」
下がったところに身を置いていた龍一が、そんな話じゃなかったと佐伯の肩を引っ張り、友哉も少しだけ佐伯へ向きを変える。
「俺のせいで佐伯さんにそんな…!」
言い募る友哉の目を佐伯は捕え声を低くして言う。
「これが俺たちの世界だ。命かけて生きてんだよ。それに今回俺が命張るのは友哉にじゃない。俺が命を賭けるのは、榊さんのためであり、新浜さんのためだ」
友哉がガクッと頭を下げ、出そうになる涙を堪えていた。ここで泣いてはいけない。
「今後この世界に首を突っ込んではいけないってことをここで勉強しな。この状況を引っ張り出したのは紛れも無く友哉なんだからな」
痛く厳しい勉強だ。
龍一の方も、佐伯の命を預かるというそれこそ大博打に『話が違うぜ…』とため息をつきそうになるが、実際のところ絶対断ろうと思っていたこの一件を、本場の胴師との渡り合いにギャンブラーの血がほんの少し疼いたことが了承するきっかけになったのも自覚していたので、もうやるしかなかった。
柳井の方も、佐伯を片付けられるならこれ以上のことはないのだ。
「そこまで言われるならお受けしましょう」
「有難うございます」
黒田の言葉にその場の4人は、各々の想いは隠して頭を下げた
「しかし今日はうちもいい胴師が入っていますからね。苦戦すると思いますよ」
黒田はそう言って、近くの者に盆(あちら)に行ってって話を通して、準備をするように伝える。
柳井は、頭を下げる4人の前で本当に面白そうに
「俺が立会人だ。正々堂々とやれ」
と笑った。
「柳井さんがいらしてくれてて好都合でした。色々話が早い」
出方に促されて立ち上がり、組の若い者が軽く身体を叩いてもう一度ボディチェックをし、確認した後盆へ向かう途中、柳井へ笑みを返す佐伯とは対照的に友哉と龍一には笑みはない。
姫木は先に見せた動揺以外はずっと無表情で!付き従っている。どうにかなった時にはその時なのだ。
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