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第9話

一方榊は、佐伯たちが帰る時間を見計らった頃に双龍会の事務所へと来ていた。  まだ帰っていない旨を伝えられると、ー待たせてもらうーと奥の部屋の応接セットへ腰を落ち着ける。 「ちょうど、榊さんがみえるちょっと前に戻ると連絡ありましたんで、もう直ぐだと思います」  戸叶が立ったまま伝えると、榊は落ち着かないから座れ、と前のソファを指差した。  戸叶と佐藤は軽く頭を下げてそれに従う。 「連絡があったのなら、成功したって事だな。とりあえずよかったよ」 「そうすね、俺らも一安心です」  佐伯に何度も、危ないからついて行くと言ったが『頼み事に行くのに兵隊は連れてけねえだろ』と断られ、戸叶と佐藤もかなり気を揉んだ時間を過ごしていたのだ。 「柳井直系もいいところの黒狼会ですからね、俺らも…信じちゃあいるんですが些か心配だったす」 「まあそれも、連絡あったなら大丈夫だろう。話を聞くのが楽しみだ」  事態が落ち着いて、榊も安堵しているようだ。  児島が3人分のコーヒーを持ってきてくれて、3人は暫く他愛もない話をしていた…が不意に榊がテーブルの下に積んである雑誌に足をぶつける。 「お、すまないな」  物が崩れた所を直そうと屈んだ榊に 「あ、大丈夫です俺がやりますから。大体そんなところに積んでおく俺らが…」  と佐藤は片付けるために榊の場所へ移動し、そこにあったものを目にしてギクっとした。  そこに有ったのは、この件を調べ始めた際に児島が集めた金子や黒狼会事務所の写真だった。  確認したのはデータであったが、顔の認識徹底のために何枚かプリントしておいたのだ。  それが入ったクリアファイルである。 「これは…」  榊はそれを手に取り、写真を見つめる。 「この男は?どうしたんだ?」  一瞬2人で顔を見合わせるが、榊は金子のことを知らないはずだ。ここはなんとかしらを切り通さねば。 「え?いや、ちょっと因縁つけられてまして、榊さんが関わるほどの事じゃないっすから。まあ、その辺は…」  曖昧にへへっと笑って佐藤は誤魔化しにかかったが、 「この男、友哉のマンションの前で見かけた事がある。それに後ろに写ってるのは友哉のマンションだろ。なんか関係があるのか?」  2人はマンションまで突かれて言い訳ができなくなってきた。 「いやあ、それは偶然です。あ、そう言われれば新浜さんのマンションっすねぇ…ははは」  この下手くそめ…と内心思いながら、戸叶も一緒に笑うしかない。  2人の挙動が余りにおかしく、榊は不穏な空気を纏う。  友哉のマンションの前でぶつかった男がそのマンションの住人で、なんらかの偶然で双龍会とコトが起こっているとしても、それはそれで変ではないのだが、目の前の2人の態度が、何かを物語っている。  へらへらと佐藤は笑っているし、普段冷静な戸叶までが張り付いたような笑顔で手を震わせながらコーヒーを飲んでいる。 「何か…隠してないか?」  榊の目が細められ、探るように2人を交互に見た。  佐藤と戸叶は蛇に睨まれた蛙状態。  蛙ならば追い詰められて蛇に反逆をすることも時にはあるかもしれないが、この蛇は半端な蛇ではない。  冷や汗たらたらで榊の視線にしばらく耐えていたが、やっぱり無理である。 「すっすんませんっ!俺らの口からは…」  同時に立ち上がって膝に両手をつき、頭を下げて降参をした。 「佐伯たちが戻れば判ることなんだな」  榊の問いに頭を下げ返すことで応えて、それから3人は黙りあった。  隣の部屋からは、児島を始めとする若い者たちが先日行った風俗やらメイド喫茶のおねえちゃんやらの馬鹿話を繰り広げていて、2人は榊の顔色を伺いながら恐縮している。  それでも地獄のような5分程(2人には永遠の時のような)が経った頃に、若い衆の塩沢が 「帰ってらっしゃいました」  と部屋へ告げにきた。窓から車を確認したのだろう。  榊が顔をあげ、戸叶と佐藤も徐にホッとした顔で立ち上がる。 「迎えに出てきます」  と榊に告げ、2人は部屋を出た。  数分して佐伯を先頭に、4人が事務所へ戻ってきた。 「おかえりなさい」  事務所全員が並んで出迎える中、佐伯は 「野郎どもで寂しいクリスマスイブに土産買ってきたぞ!みんなで食おうぜ」  と両手に持った紙バッグを掲げ、勝鬨のように声をあげた。  馴染みのイタリアンのシェフは、キャンセルでて困ってたと言って豪華なオードブルや鶏料理、その他に何皿かのアラカルト料理を格安で提供してくれ、4人各自が両手に持った荷物を事務机の上に置く。勿論シャンパン等酒類も購入済みだ。  若い衆は勿論、龍一や友哉も皿を出せやら箸をだせやらとワイワイ始めた中、戸叶たちは佐伯と姫木を事務所隅に引っ張り込み 「榊さん見えてます」  と告げる。 「こんな隅で言うことか?何かと思うだろ。こっちに呼んで一緒に…」 「いやちがくて…」  佐藤が歯切れ悪く続けた。 「なんなんだよ」  姫木も訳がわからない顔で2人を見下ろしている。 「あの…例の写真を見られてしまって…」 「写真?」  一瞬わからず聞き返す。 「新浜さんのマンション前の金子の…写真です」 「あ、あれか。でも榊さん金子知らねえんだから適当に誤魔化せなかったのか」 「それが、榊さん金子の顔を知ってたんですよ」  佐伯の眉がよる。何でだ? 「以前新浜さんのマンション前で見かけたらしくて…住民と思ってもらってもおかしくないですけど、タイミングが…悪いっすよね、やっぱ」 ー双龍会事務所(う  ち  に)その画像があること自体がーと続ける。   佐伯は額をポリポリかいて考える。 「言うしかねえのかな」  姫木を振り返り、軽く相談。 「まあ…誤魔化し切れるんなら隠し通すのも友哉のためにはいいかもしれねえけど…薬の件もでてきちまったしな」  姫木の言葉に、そうなんだよなぁ…と腕を組む。 「薬?」  聞き返す戸叶に、後で話すと告げ 「怒ってるのか?」  と奥のドアを親指で指して指して問う。 「隠し事をしていることに対して、だとは思いますが、もう…」  人差し指でこめかみあたりを指して頷く。 「言うしかねえか」  友哉の声も聞こえているはずだが、一向に部屋から出てこない時点でそれは察せることだ。  なんて話すかを考えながら、佐伯はゆっくりと奥の部屋へ向かい、姫木はそれに続きながら戸叶に 「友哉に、榊さんに全て話すことになったと言っておけ。あいつもそれなりの覚悟がいるだろうからな」  と そう言ってやっと奥の部屋のドアノブを開けかけた佐伯に続いて行った。  戸叶は意外と重要な任務だな…と、既に馬鹿騒ぎしている中へと向かっていき、まず少し静かにしろと嗜めた。 「榊さんお待たせしたようで」  頭を下げて榊の前に腰を下ろした佐伯は、後から来た姫木がブラインドを下ろしに行くのを確認した後、テーブルの上の写真に目を落とした。 「写真をご覧になったそうですね」  姫木も佐伯の隣へ座り、テーブルの上の写真を確認する。 「ここに写っている男は、俺がお前たちに友哉の件を頼みにくる前の日に友哉のマンションの前で俺にぶつかってきたんだ。結構威勢のいい言葉を吐いていったものだが、まあどこかのチンピラでもあるだろうと気にも留めていなかったんだが、その男の写真がここにあるからどうしたのかと思ってな」  佐伯は少しだけ座り直して、両肘を両膝にのせて身を乗り出した。 「確かに、榊さんに言っていないことが有ります」  そう言って両手を握り込む。 「その前に先に報告させてください。今日の一件は無事に済みました。借金はチャラにすると貸元の黒田さんは言ってくれましたし、ちょうど柳井の2代目も居たのでわざわざお礼に出向かずに済んでラッキーでしたよ」  柳井の2代目の辺りで榊の眉がぴくりと反応したが、2人はそれには気づかなかった。 「そうか、じゃあその件はもう済んだこととしていい訳だな」 「はい。“そっち”はもう完璧に」  榊は深いため息をつき 「それじゃあ今度はこっちの話だな」  と写真をずいっと佐伯へ押した。 「取り敢えずですが榊さん。まずは最後まで落ち着いて話を聞いてください。お願いします」  榊は友哉の親代わりの自分が、佐伯にここまで言われるようなことを聞かされるんだと察し、もう一度深く息を吐く。 「実は、友哉は借金の(カタ)売春(売り)をさせられていました」  榊の顔が一瞬で凍りつき、膝の上の手がぎゅうっと握られた。 「まあ、友哉がそう言うことをさせられて憤るのは俺たちも一緒なんすけど、俺らの世界じゃこれ自体は何も責められないというか…こう言う状況はありがちじゃないっすか。だからまず、そっから友哉を逃す手段をとった訳なんすけど…これに関しての問題は他にありまして」  確かに今回はたまたま友哉だったが、この東京で借金の形に売りをさせられている男女がどのくらいいることか。  榊は自身を落ち着かせるために一度天井をみて、深くソファに座り直した。  他の誰がしていようと身内がそんなことになったら許せないものだが、榊がこの世界に身を置いている以上それ自体は責められない。 「で、問題ってのは」  平静を取り戻した声で榊は問う。 「借金の形に売りをさせてたって言うのは、一万歩譲ってよしとしましょう。でもその男、金子って言うんですが、借金の形以外に自分も友哉を遊びでやってましてね。これは俺と姫木が本人の口から聞いたので確かです。それに加えて、黒狼会の若いのも一緒になってという可能性も出てきまして…」  榊の顔から表情が完全に消え、手元のコーヒーを手にする動作すら非常にゆっくりだ。 ー怒ってんなぁー  佐伯と姫木は顔を見合わせる。 「それとですね」 「まだあるのか」  佐伯が続けようとすると、そう言って榊は両目を瞑った。 「さっき知ったんですけど、どうやら友哉はこいつに薬を飲まされてた様で」  榊の目が見開かれる 「覚醒剤(シャブ)か」 「いえ、そこまでじゃなかったっす。MDMAという一種の幻覚剤なんですが、なんていうかこれを服用すると催淫効果で、感度が上がるとか」  その薬は榊も知っている。LSDの一種で、そのテの薬ではかなり効果が高いと。 「それを飲まされてたのか」 「まあ、飲まされてたというよりは、友哉自身飲まないとやってられなかったようで…客を取らされる苦痛はそれでかなり軽減したと…」  言いながら佐伯はテーブルの写真を手に取った。 「今日の勝負が終わるまでは金子は放置していたんですが、薬の話を聞かされて俺も少しキレかかりましてね…早晩こちらから出ようと思ってます」  いいながらその写真を破る。榊も相当頭に来ているようで、能面のような表情がますます無表情になり、怒りが最高潮なことを物語っている。  すぐにでも自分が赴いて金子とやらを八つ裂きにしたい気持ちが湧いてくるが、今榊は高遠No.2牧島のお付きという立場がありそれはできない。しかもその立場から言えば、双龍会は牧島組の直轄であるのだから、この佐伯と姫木が出ていく制裁も組同士の喧嘩になりかねないと判っている。  今の柳井との休戦協定は、いかに悔しくても個人のトラブル如きでは破ってはいけないものなのだ。 「榊さん」  榊の心情を察し、佐伯は言葉を続ける 「金子への制裁は、大事(おおごと)にならない様には手は打ってありますよ」 ーえ?ーと榊は佐伯と目を合わせた。 「さっき黒狼会から引き上げる際黒田さんと2代目に、下っ端の金子という男の身に何が起こっても、それは俺たちが正当防衛で行うことだ、と了承をとって来ています」 ーなので、なんなりとお申し付けくださいーとニッと笑う佐伯に、榊は頼もしい部下の存在を感じ取り漸く少し苦笑する。 「抜け目が無いな、おまえらは」 「それが仕事なんで」  榊は金子に対し正当な制裁を加えられることに少し気持ちが落ち着き、タバコを咥えた。  そして姫木が出した火で煙草を点しながら 「任せていいか」  と確認した。 「勿論です」  2人は頷く。 「後のことは気にするな」  佐伯と姫木はその言葉に頭を下げた。  3人が部屋を出た時、その場の全員は料理を前にしながら食べもせず各々がバラバラに椅子に座っていた。  全てを話すことになった友哉の気持ちを思うと、はしゃいではいられなかったのだろう。  戸叶と佐藤は、もしも榊が友哉を殴ったりした時は支えにでもなればと言う気で傍に立っている。まさか榊を止めることはできないから…  友哉も榊が出てきた時に立ち上がり、顔が見れずに俯いていた。  榊はゆっくりと歩を進め、友哉は榊が近づくにつれ身を固くする。周囲(あたり)は静まり返り、これからどんな事が起こるのか固唾を飲んで見つめていた。  そして友哉の前に立った榊は数秒俯く友哉を見つめたが、ゆっくりと右手をあげ友哉の頭を撫でた。そしてその頭を自分の胸に引き寄せる。 「大変だったな…よくがんばった」  とその手に力を込める。 「もう1人で戦わなくていい」  どんな風に怒られても叩かれても仕方ないと覚悟していた友哉は、その言葉に今までの記憶が一気に蘇り、涙が溢れ出た。嫌なことしか思い出せない。でも、もうそれも無くなるんだと思ったら溢れるように涙がこぼれ榊の腕の中で 「ごめんなさい…」  と小さく呟くと、涙を見せないように榊に顔を埋める。その頭を榊はしっかりと抱きしめてやった。  その後は榊が、せっかく用意したのだからみんなで食え、と促して取り敢えずの一件落着を祝う感じで盛り上がった。  隅っこで密かにシャンパンをちびちびやっていた龍一はーやっとだよーと腰を上げて、チキンの丸焼きにかぶりつく。  そして、室内を見つめながら 「この事務所、大学のゼミみてえだな」  と 1人呟いた。思っていたより居心地が良かったようだ。しかし見るからに学生に見える組員たちだが、いざ事が起きると怖いお兄さんになってしまうのが信じられないのも確かだ。 「やってるな」  と佐伯が近寄ってくる。 「あ、嫌味な先輩だ」  学校になぞらえて、龍一はそう言って笑う 「何の話だよ」  近寄ってきた佐伯も訳のわからない言葉に首を傾げたがー待たせて悪かったーともう一本持ってきたシャンパンをと掲げた。龍一は注げ!とばかりにコップを突き出す。 「コップで悪いな」  とさすがに言って、佐伯はシャンパンの首を持ってまるで日本酒のように注いでやる。  それをみた龍一は 注ぎ方がコップ並みだわとゲラゲラわらって、注がれたシャンパンを飲み干した。

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