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第8話 「省吾は、この世界に来たことどう思ってんだ?」

 こうしてサイによって再構成された食事を食べた日の晩、省吾は良く眠ることが出来た。元気になったとノアに告げに行くと、三日ほど様子を見た後、彼も安心して鍛錬への参加を許可してくれた。  朝、訓練場で会ったミロにも顔色が良くなったと驚かれ、安心もされた。 「良かった。倒れた時本当に心配したんだ」  少し早く到着したので人もまばらである。嬉しそうに笑ってそんな事を言われたものだから省吾は心臓がくすぐられた心地になった。 「それにしても、よく気がついたな。食事の成分分析なんて」  ミロは壁に背をつけて座っていた省吾の隣に腰掛けた。 「まぁ……。俺、あっちの世界で運動部に入っていたって言っただろ? で、どうすれば効率的に筋肉がつけられるか勉強したんだ。自分の食事に気をつけて体作りをしていたんだよ」 「へぇ……。じゃあ、料理上手なのか?」 「う〜ん、どうだろう。蓮は美味しいって言ってくれていたけど」 「蓮?」  ミロが首を傾げる。そういえば彼の名前を出すのは初めてだった。 「あっちの世界の幼馴染で、よく俺の部屋に来てたんだ」  省吾は目を伏せた。彼の優しい顔はおぼろげにしか思い出せない。振られた時の嫌悪感でいっぱいの顔で上書きされてしまっていた。 「ふ〜ん……。それって、前に言っていた、省吾がフラれたって奴?」 びくり。 体が大きく跳ねる。それがもう答えのようなものだった。 「……なんでわかったんだよ」  返すと、ミロは片方の口角をあげた。皮肉な笑みで蓮もよく見せていたものだった。 「なんとなく。顔がそんな感じだったから」  からかわれるだろうか。身構えるが、ミロはそれ以上話を続ける気はないようで、別の話題に移った。 「親は? 親が飯作ってくれたりしなかったのか?」 「あー……、うん。母さんは滅多に帰ってこなかった」  気まずく思いながらも省吾は返す。悪事が露見したような、そんな気分になっていた。 「父さんは顔も知らない。多分、俺が生まれたことも知らないんじゃないかな」  ミロは納得したような顔をした。 「そっか。変なこと聞いて悪かったな」  あまりにも軽く彼が言うものだから省吾のほうが面食らった。 「え」 「ん?」 「あ、いや、あっさりしてるから。コレ聞いたら大体の人が気まずそうな顔するから」 「そっちの世界はどうかは知らないけど、こっちの世界は魔獣に食われたり、戦争でやられたりして親がいない奴なんて沢山いるから」  魔獣。聞いて思い出す。省吾が来る前はこの都市部も襲われていたとノアが言っていた事を。 「俺も父さんはいなかった。ノアに至ったら8歳の時に両親ともいなくて俺の父さんが面倒見てた」 「へぇ……。だからお前ノアに対して過保護なのか?」  初めて会った時、ノアを突き飛ばしたらまるで母猫のように威嚇してきたミロを思い出す。 「過保護って……、過保護か、俺?」 「自覚なかったのかよ」  はは、と笑う。  そういえば蓮も子供の頃、省吾がいじめられていたら庇ってくれていた。省吾は何とも言えない気持ちになる。  こちらに来た時は、蓮から逃げられたと思ったのに、こうしてミロに蓮を求めてしまう自分がいるなんて。  人が揃い、団長により号令がかけられる。 「あのさ」  集合のため走りながら、ミロが省吾に声をかけてきた。 「今晩、お前のところ行っていいか?」 「あ、うん、いいけど……」 「わかった。風呂入って飯食ったら行くから」  ミロが言うとほぼ同時に隊列についた。何の用事だろうと気になったが、いつもどおりにしごかれるうちに頭からは消え去っていった。  夕食を食べ終わり、もう少し筋トレしてから寝ようとしていた時、やっとコンコンと扉が叩かれる。 「ミロだけど」  扉越しに話しかけられて、省吾は弾む足取りで向かう。とうに執事もメイドも下がらせていた。 「おう! 待ってた」  笑顔で出迎える。私用で彼が省吾の部屋を訪ねてきてくれたのは初めてだったから嬉しかった。  中へ入り、いつも食事をする机に通す。彼は手にいくつかの薄い本を持っていた。 「なんだ、それ」 「子供向けの文字を勉強する本」 「は?」  一冊を手に取り表紙を見る。かわいらしい絵柄で何かの果物らしい絵と上にこちらの文字が書かれていた。 「昨日、お前文字が読めないようだっただろ? それは今後何かと困るんじゃないのかと思って」 「……用事って、これ?」  尋ねると、ミロは真顔で頷く。何を言われるのだろうと考えていたが、これは予想していなかった。 「こっちの文字は表音文字だから、多分すぐに覚えられると思う」 「へぇ」  昨日も思ったが、彼はどうやら世話焼きのようだ。心がくすぐったくなる。勉強はあまり好きではなかったが頑張ってみようと思った。 「読んでやるから、まずは読み方を覚えな」  言うとミロは五十音表のようなページを開き、右上から読む。 「これはヘー、こっちがミー……」 「あ、待って! 待って!」  省吾は周囲を探す。ミロが小さく笑った。 「はい、これ、黒板とペン。俺のおさがりだけどさ」  手渡されたそれらはどちらも薄汚れていた。それだけ長い間使ってきたのだろう。  ペンは石灰のような脆い石に薄い紙が巻き付けてあった。黒板はというと、元の世界で普段省吾が使っていたA4のノートくらいの大きさで、これに石で書くようだった。 「ありがとう……」  受け取ると、ミロが読み上げた文字の場所と対応するようにカタカナで読み方を書く。 「これを次回のお勤めまでに覚えとけよ。ちゃんとテストするから」  ミロが冗談めかして言う。  テストかぁ、と唇の端が引きつると、ミロは楽しそうに笑った。 「わかる。俺もテストは嫌いだった。でも、ダラダラと勉強してても身につかねぇだろ?」 「まぁなー。って、次のお勤めって……」 「次回は別の人にするのか?」  やはり、セックスのことのようだった。期日は明日。そのことを考えると頬が熱くなる。初めての時とは違い、ミロの人間性を知ってしまっている。恥ずかしかった。  けれど。 「いや……。またアンタがいい。なんか、安心できるし」  もごもごと視線をそらしながら告げる。 「そっか。了解。じゃあその時読み方テストするから」  ミロとしてはどちらでもいいのだろう、あっさりと返された。 「……やっぱアンタ、面倒見がいいんだな」  頬杖をついて言うと、ミロは首を傾げた。 「そうか?」 「うん。まさか文字を教えに来てくれるとは思わなかった」  そういえば、勉強を見てもらうということは親にもされたことがないな、と省吾は思い出す。母親は高校受験の日すら家にいなかった。高校の入学金も授業料も奨学金がかなりの割合を占めていた。最低限の生活費を与えて、彼氏の家に入り浸っている彼女は省吾の生活について何を考えていたのか今となっては知る由もない。  ミロは急に真面目な顔になった。 「省吾は、この世界に来たことどう思ってんだ?」 「……え」 「俺はさ、最初は可哀想だって思ったんだよ。いきなり知らない世界に連れてこられて、この世界のためにセックスしろって言われるの。それって、植民地から性奴隷を連れて帰るのとどう違うんだよ、って」 「……うん」 「だからかは知らねーんだけど、歴代のヒジリ様ってのは、次第に元気がなくなって、無気力になっていったんだって。……でも、俺は一緒に鍛錬していくうちに、お前にはそうなってほしくないって思ったんだ」  省吾は顔をあげてミロを見る。 「今考えたら、眠れなくてそうなっていったのかもしれないけど……」  可能性としてはありえると省吾は思った。実際省吾も眠れなかった昨日までは思考力は鈍っていっていた。  しかし同時に、体しか求められず、こんな豪華な檻の中で衰弱していくしかなかった歴代の聖女達は何を思っていただろうと考えると胸が痛む。 「……お前は、あっちの世界に好きなやつがいたんだろ? だったら、あっちに帰りたいんじゃねーのか?」  省吾は咄嗟に首を横に振っていた。 「いや……。そいつにはもうフラれて……、気持ち悪いって言われたから。男が男を好きになるなんて気持ち悪いって」  ミロは同情したように眉尻を下げた。 「家族も、母さんだけだけど、あの人は滅多に俺の家に帰ってこなくて。ずっと彼氏のところに入り浸ってる。帰ってきても、酒に酔って産まなきゃよかったって言われることもあったから」 「…………そうか」 「ちょうど、死にたいって思っていた時に、こっちの世界に連れてこられたんだ。だから、言うほどには未練がないんだよな」  はは、となんでもないように乾いた笑いを漏らす。同情されたいわけではなかった。  ミロの反応が気になって上目遣いに彼をうかがう。 「そっか。そっちの世界はそういう感じなんだ」  彼はうつむいて、そう漏らした。 「こっちの世界は違うのか?」 「ああ。まず、こちらの世界では女性が子供を産んでいたのは今から300年くらい前までなんだ。その頃くらいに男と女が、省吾がやったみたいに腹に術式を描いたうえで気を交わらせて、ゲージが満タンになるまでためて、胎卵っていう肉の卵に力を入れたら子供ができる仕組みが発明された」  ミロは持ってきていた石板の上に丸い卵のような絵を描いた。ところどころ人間の脈の様に波打っている。 「それで女性が妊娠、出産から解放されて男女でも、男同士でも、女同士でも結婚できるようになった。子供を育てるという機能だけ見たら男女で育てるよりも同性のほうがやりやすいという事であえて同性同士でペアになって子供を作る人たちもいる。もちろん、男女で避妊せずにセックスしたら子供が出来ることもあるけど、胎卵っていう便利なものがあるのにあえて自分の腹で育てたい人はもう今じゃ絶滅危惧種で、一つの趣味のような扱いを受けてる」  ミロの説明を、省吾はぽかんと口を開けて聞いていた。 「なんか……、今すっごく世界が違うって思った」 「今更か?」  ミロは苦笑した。 「まぁ、だから、こっちの世界では省吾の事を気持ち悪いっていう人はあまりいないと思う。そういうセクシャリティの人なんだって思うだけ」  言われ、ぽろりと涙がこぼれる。  もしあの時蓮にそう言われていたら、死にたいと思わずにいられたのだろう。 「んっ」  急に視界がふさがれる。ごしごしと何かにこすられた。ミロの袖だと気が付いたので振り払う気にはなれなかった。 「さっさと忘れなよ、そんな男。そもそも自分のセクシャリティと違うからって他人を拒絶する奴なんてろくなもんじゃねーだろ。もう会うこともないんだろうし」  ミロの手が離されて、一気に目の前が明るくなった。ミロがキラキラと輝いているように思うのは錯覚だろうか。 「……おう。ありがと」  省吾はそっと視線をそらす。急に心臓がどくどくと煩く鳴り出した。  省吾の頬が赤く染まったことにミロは言及せず、それじゃあまた明日、と帰っていったのだった。

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