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第23話 「やっぱり、薄くなってるよねぇ」

「やっぱり、薄くなってるよねぇ」  ノアは首をかしげる。同様にサイも省吾の腹を見て顎に手を当てた。  ノアの研究室で、省吾は上半身裸になり椅子に座って二人に腹を見せていた。 「薄くなっているわよねぇ」  二人の視線の先には省吾の紋章がある。省吾がこちらの世界に来た時は目にも鮮やかなローズピンクだったのに、今はうすぼんやりとした桃の色である。 「食事の成分に問題はなかったんだよねぇ」 「ああ、タンパク質が少なかったけど、大きくはあちらの世界と違いはなかったはずだ」 「え、何?」  省吾の言葉をサイが聞き返す。  省吾は諦めて文字を石版に書き二人に見せた。  最近、省吾の言葉はこちらの世界の人たちに聞き取りづらいらしい。省吾もそうだ。たまに彼らが何を言っているかわからない時がある。こちらの言葉で話してみようと試したのだったが、今は翻訳機能が働いているため、発音をうまく聞き取れない。  文字を勉強していなければ積んでいた、と省吾はこの頃よく文字を教えてくれたミロに感謝するのだった。 「なるほどねぇ。じゃあ、やっぱりそうなのかしらね」 「うん~。未だに一日でゲージは満杯になっているみたいだし、お勤め自体には問題はなさそうだもんねぇ」 「省吾の体液の数値も二年前と大きな違いはないみたいだしねぇ」  サイとノアは頷きあっている。  初めて出会った時、サイはノアを一方的に嫌っているようだったが、二年が経った今、仕事の話をするときには普通に話せるくらいには打ち解けてきた。 「省吾の紋章の力が弱くなっていってるみたいだねぇ」  やはりそうなのか。  省吾は肩を落とす。窓の向こうにはグリフォンが数匹、城下町の空を飛んでいた。  予兆があったのは2か月前、ミロがお勤めが終わった後省吾の腹を見て「なんか薄くなってねぇ?」と尋ねたことだった。  そのあたりから声が聞き取りづらくなり、意思疎通がしにくくなった。魔獣も入ってくるようになり、ヒジリ様に何かあったのでは、と街で噂されるようになったと聞いた。 「この紋章は異世界から人が来た時にはついているものだから、新しく付け直すための術式は確立されていないんだよねぇ」  困った、と言いたげにノアは頭を抱える。その彼の隣でポツリとサイが口を開いた。 「……本来ならもうそろそろヒジリ様は死んでいた頃なのよねぇ」  彼の愛読書である王妃と聖女の話「愛の軌跡」では召喚されて二年後には聖女のほうはベッドから起きられず、死を待つだけの状態だった。  ギクリと省吾はサイを見る。サイの顔は真顔でからかっているという感じではなかった。 「俺、そろそろ死ぬってこと?」 「健康状態としては死なないと思うけど、この後どうなるか歴史上記録がないから何とも言えないわ。こちらの世界でヒジリ様が生きられた最長の年月は二年半だもの」  背筋が冷えた。そっと自分の腹を撫でる。 「で、どうすんの? 私は省吾のケアをするけど、あんたは召喚士としての責務があるでしょ」  サイはノアのほうを見る。  ノアは唇を噛んでいた。いつも笑っている彼にしては珍しい、悲壮な面持ちだった。 「……新しいヒジリ様を呼び出す」  ノアは省吾から目をそらしている。省吾としては納得の結果だった。 「……そうなるよなぁ」  省吾が呼び出されたのはこの世界の安寧のためだった。それが出来そうにないのであれば新しいヒジリが必要になるのはわかる。 「……今までこの世界にヒジリが二人もいた事例はないわ。どうなるかわからないわよ。新しく呼び出したらヒジリが死んだって記述もあるくらいじゃない」  だから省吾も初めて会った際にノアに君が死なないと次のヒジリを召喚できないと告げられた。 「わかるけど、それは紋章の機能としてのヒジリ様という意味かもしれない」 「紋章の機能?」  それ、とノアは省吾の腹を指さす。 「守護石に力を送れて、翻訳機能が使えるのはこの紋章のおかげなんだけど、この紋章が一度に一人にしか付与出来ない、という意味かもしれない。こんなに永く健康でいるヒジリ様は今までに類を見ないから、これまでのヒジリ様の死因が本当に新しいヒジリを召喚したから、とはわからない」  ノアは歴史書を手に持ちパラパラとめくった。 「実際、新しいヒジリ様を呼び出してから数日は生きたという記述もある。その人は一週間で亡くなったらしいけど、言葉が通じないストレスと身体の衰えがピークに達しちゃったタイミングとしてはおかしくないと思う」 「でも、もしそれで省吾が死んじゃったら……」  ノアは、じ、とサイを見る。彼の真顔にサイはたじろいだ。 「わからなくても、やらないと。じゃないと、省吾の命が危ない」  言われ、は、と省吾は息を呑む。  以前ノアにこちらの世界に来る人間の条件を聞いたことがある。まず一つは16歳から20歳までの健康な人間であること。第二に、自殺をしようとしている、もしくは死にたいと強く願っている人間であることだった。あちらの世界で自殺をするくらいなら、こちらの世界で世界の安寧に貢献してほしい、という理屈なのだろう。  それでいくと、世界の安寧に貢献できなくなったらどうなるか。どうせ死のうとしていたのならば殺してもかまわない、となるのではないだろうか。  殺して、新しいヒジリを呼び出すほうが効率的なのではないのか、と。  二の腕に鳥肌が立つ。ノアは省吾のほうに向きなおった。 「俺は省吾には死んでほしくない。だから、新しい人を呼び出したい。それで、省吾はお役御免になって自由の身になれればいいな、って思う」  彼の表情からは真摯さが伝わってきた。  省吾もこの2年でノアの人となりはわかっていた。彼は人間の情については理解が鈍くても倫理観はしっかりしている。こういう時に嘘をつくタイプじゃないと思っていた。むしろ嘘をつけないからサイに嫌われるのだ。 「サイ、省吾については今後はメインでお願いをしていいかな。俺はこの話を王様に通して新しいヒジリ様召喚のための儀式を始めるね」  サイはどこか納得をしていないような顔をしていたが、はぁ、とため息をついて省吾のほうに向きなおった。 「わかったわ。せっかくだから色々試しましょう」  サイは省吾の肩に手を置く。そして、少し寂しそうに眉尻を下げた。 「本当は、省吾が元に戻ってくれたら、それが一番いいんだけどね」

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