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第31話 「お前、こんな偽物を俺の代用品にしようって事か?」

 お前のことが好き。最後にそれだけ伝えたかった。  省吾は辞書をパラパラとめくりながら恋愛に関する単語を調べていた。辞書は省吾が本を読むようになった際にジェドからもらったものだった。蓮が来る前に部屋を立ち退くことになった際に返そうとしたら、それはジェド個人からのプレゼントだからもらってほしいと言われ、大切に荷物の中にしまっていた。  愛してる。  辞書の発音記号を舌の中で転がす。うまく伝えられるだろうか。  とうに日は沈みきり、月明かりと蝋燭一本の炎で照らされた室内は薄暗かった。現代日本の石油から作られた蝋燭と違い、こちらの世界の蝋燭は植物の油で作られているために明るさとしては弱い。真っ赤になった顔を見られなくて済むと思うと気が楽だ。  よし、と気合を入れたとほぼ同時に扉がノックされる。 「入ってくれ」  省吾が告げると扉が開く。ローブを被ったミロが立っていた。恥ずかしさでまともに顔が見れない。 「その、俺、お前に言いたい事があって」 「言いたいこと?」  中に入ったところで彼は立ち止まった。扉が開きっぱなしになってしまっているが、今の省吾にはそんな所に気を回す事は出来なかった。ばくんばくんと心臓がうるさい。頭の中が白くなってうまく考えられなかった。 「俺、お前のことが好きなんだ! 愛してるって意味で。最後にそれだけ伝えたかった」 「……は?」  心底意外だというような間の抜けた声が返ってくる。省吾がミロを好きなことは予想もしていなかったのだろうかと上目遣いにミロを見た。 「……あ」  ファサ。顔を動かした際にローブが脱げる。薄暗いが、人工的に染めた髪は蓮のものだった。 「お前、まだ俺のこと好きなのか?」  困ったような蓮の顔に省吾は慌てる。 「違! ごめん、そうじゃなくて」  こちらの国の言葉で伝えたが、それは翻訳されて蓮に伝わってしまったのだろう。蓮はまじまじと省吾を見た。 「お前、顔だけなら沙友理さんの面影があるんだな」 「え」  何故ここでいきなり母の名前が出てくるんだ。  省吾は目を丸くして蓮を見る。蓮は一歩、また一歩と部屋の中に入り込んできて省吾との距離を詰めていった。 「いいぜ。最後に一回くらいなら抱いてやるよ」  言うなり蓮は省吾の腕を掴み引き寄せると口づける。省吾は咄嗟に蓮の体を押し返したがビクともしなかった。この二年間体力をつけてきたつもりだったが、蓮のほうもそれなりに場数を踏んできたようだ。  蓮の舌が入ってくる。ぬるぬるして気持ち悪いと思ってしまった。  コツ、と物音がして蓮が体を離す。今度こそ待ち人が佇んでいた。 「あ……」  気まずい沈黙が場に流れる。ミロは腰に剣と革袋を下げ、シャツとズボンだけの身軽な服装をしていた。彼は冷めた視線で二人に一瞥をくれる。 「お邪魔だったか? 一応、呼ばれたから来たんだが」 「邪魔じゃない! 待ってた」 「その割にはお楽しみ中だったじゃないか」  ミロも中に入ってくる。帰られなくてよかった、と省吾は胸を撫で下ろした。 「ヒジリ様も省吾が呼んだのか?」  未だ省吾の腕を掴んだままの蓮をミロは不愉快そうに見る。 「違う! さっき、なんでか来て……」 「なんでかって……、ひどい言い方じゃねぇか」  蓮は唇を尖らせる。 「お前が城を追い出されて、二年は会えねぇってノアに聞いて……。心配で会いに来たってのに」  ぐ、と省吾は言葉に詰まる。昔から蓮のこの拗ねた顔に弱かった。 「……それは嬉しいけど、でも、今は違うって言うか」 「は? さっき俺に向かって愛してるって言ってたじゃねぇか。違うのかよ。せっかく俺が抱いてやろうと思ったのに」 「ばっ!?」  省吾は顔を赤くして蓮の口を塞いだ。 「……俺、帰ったほうがいいか?」  ミロの声が低くなっている。不機嫌になっているようだった。  発音を教えてくれた兵士達が言うには彼は忙しいと言っていた。そんな中呼び出されてこんな茶番を見せつけられたら怒るのも無理はないと省吾は気が重くなった。 「おう。帰れ帰れ」 「帰んなよ! 俺はミロに話があるんだよ!」  二人は全く逆の事を言う。けれど省吾の態度で察したらしい。 「ふぅ~ん」  蓮は顎に手を当てて、ミロをまじまじと観察する。ミロは不愉快そうに腰の剣に手を当てていた。  愉快そうに蓮はミロの肩を叩く。 「お前、こんな偽物を俺の代用品にしようって事か?」  ピクリ。ミロの体がこわばる。蓮はあざ笑うように続けた。 「そうだよなぁ。俺は男には興奮しねーもん。だったら、ヒジリ様権限っていうの? それで俺の偽物手に入れようってのも納得だわ」  かぁ、と省吾の頬が怒りで赤くなる。けれどすぐには言い返せなかった。蓮の言うことは当たっていたからだ。そして、それはミロも知っている。初めての日に自分から言った。  ぎゅ、と省吾は唇を噛み、覚悟を決める。 「最初はそうだった。でも、今は違う。俺はミロの事が好きだ」  ひゅ、とミロと蓮から息を呑む音がした。省吾は続ける。 「今日だって、最後にミロに告白をしようと思って呼んだんだ。……緊張して、顔も見ずに言ってしまったからお前と間違えたのは悪かったと思う」  蓮が顔を歪めていく。反対にミロの方は目を見開き、省吾をじっと見つめていた。  省吾はミロに視線を返す。 「そういうわけで、もう一回仕切り直させてくれ。ミロ、これで最後だから、どうしても言いたかったんだ。俺はお前の事が好きになってたんだ。……多分、2年前くらいからずっと」  言いながらも胸が苦しかった。ミロはきっと謝ってくるだろう。二人きりの時ならいざしらず、それを蓮に見られるのも嫌だった。 「別に、だからどうしてほしいとか、そういうのはない。ただ知っていてほしかったんだ。……お前からしたら迷惑だろうけど」  パクパクと口から次々に言葉が出る。蓮に引きずられてあちらの世界の言葉で喋っていた事にやっと気がついた。けれど、蓮が近くにいると翻訳されるようだとノアが言っていたし、ミロにも伝わっているのだろう。彼は信じられないものを見るような目で省吾を見つめていた。  ミロは唇を噛むと、省吾に近づき抱きしめる。いきなりのことに省吾は息を呑んだ。 「……嬉しい。俺も、省吾のことが好き。ずっと好きだった」  歓喜に全身が包まれる。ありえないと思っていた展開に省吾は震える手でミロを抱きしめ返した。  ミロは少し距離を開け、省吾の唇に口づける。触れるだけの優しいキスだった。  そして距離を取り、蓮を振り返る。 「そういうわけですから、今日のところはこれで帰ってもらえますか?」  刺々しい口調に、あ、と思う。ミロは話を合わせてくれているのだ、と。  蓮の前で省吾が恥をかかないように。どこまでもいい男だ、と省吾は思う。  蓮は怒りと屈辱で顔を真っ赤にしていた。 「なんだよそれ!? せっかく俺が一回なら抱いてやろうって言ったのに!」  2年半前だったらその言葉で喜んだんだろうな、と思いながらも省吾は目を細めて蓮を見る。 「いらない。ミロのほうがいい。……ミロじゃなきゃ嫌だ」  省吾の言葉にミロがかたまる。蓮は舌打ちをした。 「ああ、そうかよ。ならお好きにどうぞ。せいぜいその偽物と仲良くするんだな」  言って踵を返して蓮は出ていく。  彼の足音が遠ざかってから省吾は安心してため息を吐いた。

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