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第73話 保育園からの帰り道 ②

「ママ、泣かないで。ぼくが守ってあげるから、泣かないで」  瑞稀の頭を撫でていた小さな掌が、瑞稀の背中をポンポンと叩き、ぎゅっと瑞稀を抱きしめ返した。 「ぼくね、大きくなったらママを守ってあげられる『えすぴー』になるんだ。『えすぴー』はつよくてカッコよくて、スーツきてるんだよ」  千景が言う『えすぴー』は多分『セキュリティポリス』の『SP』だろう。  千景が好きなアニメにSPが出てきて、それで『SP』という言葉を知ったのだと瑞稀は思った。 「ぼく、悪い人からママを守るから、保育園で走るれんしゅうして、クラスでぼくがいちばん速いんだよ」  小さな体全身で、千景は瑞稀を抱きしめる。 こんな小さな子に心配かけて……。  こんな小さな千景にまで心配をかけてしまい、瑞稀は自分自身が不甲斐なかった。 ーごめんね。千景……ー    言いかけたが、 「ありがとう千景。ママとっても嬉しいよ」  と瑞稀は言った。  本当は『心配かけて、頼りないママでごめんね』と謝りたかったが、それよりも千景の優しさが嬉しかった。 心の優しいところは、やっぱり晴人さん似だな。 いつか大きくなって、物事がわかるようになったら教えてあげたい。 『千景の優しいところも強いところもパパそっくりなんだよ』って。 「ママはね、千景が元気でいてくれたらそれだけで幸せだし、今でも千景にたくさん守ってもらってるよ。千景はもうママの特別な『えすぴー』さんだよ」  瑞稀は目を真っ赤にしながらも、嬉しそうに「えへへ」と笑う千景の頬にキスをした。  お気に入りのくまの人形と一緒に眠る千景の顔を見つつ、瑞稀は嵐のような一日がやっと終わったことを実感する。  晴人と同じ、千景の少しコシのある髪を撫でると、眠っているはずの千景が少し微笑んだように見えた。  千景はわがままを言わない。  それが時折心配になる。 この小さな体で、いったいどれだけ我慢しているんだろう?    今日、千景が言った言葉が頭をよぎる。 『ぼくもいつかお兄ちゃんになれる?』 『僕にパパがいないから?』 僕は、僕自身が自分の進む道を決めた。 だけど千景はそうじゃない。 本当はずっとお兄ちゃんになりたくて、今まで会ったことのないパパに会いたいはずだ。  瑞稀は自分が小さい頃、父親に会いたかったのことを思い出す。 僕の父さんは事故で死んでしまって、決して会うことはできなかったけど、千景は違う。 千景の父親は近くにいて、会いたいと思えば会える。 でも千景が父親と会えないのは、僕のせいだ。 もし千景の父親が晴人さんだと知れたら、きっと晴人さんも旦那様も奥様も千景を連れて行ってしまう。 千景と離れ離れになってしまう。 そんなことなんて、考えられない!  今日、晴人が結婚していなくて、実家の病院を継いでいなことを知るまでは、瑞稀と千景(自分たち)が晴人の前に現れないことが、重要だと思っていた。  でも今は違う。  本当は結婚もせず病院も継いでおらず、副社長秘書をしている。  瑞稀(自分)だけが、千景がいて一緒にられることが、晴人に対して申し訳なく思ってしまう。 晴人さんは、こんなに可愛い我が子がいると知ったら、どんな気持ちになるんだろう? ただ一つ確実なことは、僕を許せないことだろう。 ここまで大きく成長する時期を共に過ごせなかったことを、悔しく思うだろう。 それに千景は『本当はパパがいて、僕のせいで今まで会えなかった』ってことを知ったら、どう思うだろう? 母親に隠し事をされ傷つくだろうな。 愛する我が子を傷つける母親なんて……。  もう一度髪を撫でると、千景はもうすっかり熟睡していて、規則正し寝息をたてている。  瑞稀は千景に大きな隠し事をしている自分が、情けなかった。 謝ってもどうすることはできないけど……。 「勝手なママで、ごめんね……」  千景の額にキスをすると、瑞稀は部屋から出て扉を閉めた。  先ほどまで降っていた雨が、雪に変わっていた。

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