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第76話 思い出のクッキー ③

 瑞稀、幸恵、和子がいつも弁当を持って、昼休憩に向かうのは、食堂から少し離れた休憩室。  オフホワイトを基調とした部屋で日当たりがよく、大きな窓からは外の景色がよく見え、窓に向かいカウンターには一人でゆっくりできる場所と、対面で座れるようになっているソファー。  中央には大きな観葉植物があり、周りを囲むように丸い机に椅子がぐるりと置いてあり、一度にたくさんの人が座れそうだ。  その周りには何台かある円形の木製の机には、同じような木製の椅子が四脚セットとなっていて、数台の自動販売機が設置してあった。  三人は自然と定位置となった、窓辺に近い円形の四人がけの席につき、弁当を開く。  幸恵と和子は和食がメイン。瑞稀の朝は千景の保育園の用意などで忙しく、ゆっくりと自分の弁当が作れず、弁当用にと前日の晩御飯を少しとって置いたものを入れることが多かった。  千景のこととなると、時間を惜しんで全力でするが、瑞稀は自分のことはいつも一番後回しになってしまう。  昼食を終えた三人は、休憩室にあるコップ付きの自動販売機で、幸恵はブラックコーヒー、和子は砂糖なしミルクありのコーヒー、瑞稀は甘いカフェオレを買うと、晴人からもらったクッキーを開ける。  どこのスーパーにでもある、二枚一つ入りの個包装チョコチップクッキー。  だけど瑞稀と晴人には、たくさんの思い出がある。  カフェオレを一口飲み、クッキーをパクリと食べると、カフェオレの香りとクッキーの甘みが混ざり、味覚と嗅覚から幸せだった頃が、つい昨日のことのように思い出された。  また一口食べると、思い出がより鮮明になり、もう一口食べた時には、涙が一粒頬を伝っていた。 「瑞稀くん、大丈夫?無理して食べることないんだよ」  もう一粒もう一粒と瑞稀の頬を涙が伝い、和子が瑞稀の背中を優しくさする。 「心配をおかけしてすみません……。僕は大丈夫です」 「泣いているじゃないか……。大丈夫なわけないよ。私たちにはなんでも話して」  瑞稀の手に、幸恵はそっと手を添えた。 「実はこのクッキーを見ると、山崎さんのことを思い出してしまって、今日まで食べられなかったんです。それで今日、食べてみたらやっぱり思い出してしまって…。でも食べてよかったです。これで少しずつ山崎さんとの思い出が過去のことになっていくような気がします」  クッキーとカフェオレの味は、晴人との思い出の味。  でもクッキーを食べると、その味を思い出と認識できそうで、|クッキーとカフェオレ《この》味も過去のこととして消化できるかもしれないと思った。 もうこのクッキーを食べても、僕は大丈夫。  そう思ったのに、 どうしてだろう? こんなに胸が痛くて、暖かくなるのは…。  今まで感じたことのない感情に驚き、目をぎゅっと閉じた。  午後からの仕事も定時に終わり、保育園に千景を迎えに行く。  どんなに仕事が忙しくて大変でも、保育園に迎えに行った時、満面の笑みで「ママ!」と瑞稀の元にかけてくる千景を見ると、一日の疲れなんて始めからなかったかのようになる。   「千景、今日は保育園でなにして遊んだの?」  千景と夕食を食べながら、今日あった話を聞くのが瑞稀は大好きだ。 「今日はね、しずくくんとお外で遊んだりパズルしたよ。あとねしずくくんのママとお腹の赤ちゃんと、すばるくんに折り紙折ってあげたんだ」 昴くんて…副社長のことだよね。  雫の影響か、千景の中で昴は『雫くんのおじさん』ではなく、『昴くん』になっているようで、瑞稀は苦笑いした。 「みんなよろこんでくれるかな?」  千景は心配そうに視線を落とす。 「千景は一生懸命作ったんでしょ?」 「うん。つくった」 「じゃあ雫くんのママも赤ちゃんも、昴くんもみんな喜んでくれると思うよ。ママも千景が作ってくれたものは、なんでも嬉しいよ」  千景は瑞稀に頭を撫でられて、くすぐったそうに笑った。 「あ!そうだ!」  瑞稀は鞄の中から、晴人からもらったクッキーを取り出す。 「ママのお仕事先の人がね、クッキーくれたんだけど、ご飯全部食べられたら、ママと一緒に食べよっか」 「え!?いいの!?」  夕飯の後にお菓子を食べるのは特別な時だけ。 「せっかくいただいたから、今日だけ特別ね」 「やった~!」  それまで千景はカレーに入った苦手なにんじんを、こっそり皿のすみに避けていたが、クッキーが登場してからは、渋い顔をしながらも懸命に人参を食べる。 そういえば晴人さんもにんじんが苦手で、カレーの時こっそりお皿の隅に避けてたっけ。  そんなことを思い出し、 親子って好き嫌いも似るのかな?  と、笑ってしまった。  大急ぎでカレーとサラダを食べた千景は、ソワソワしながらクッキーを待つ後姿が可愛すぎて、瑞稀はこっそりスマホで写真を撮る。 「はい、ど~ぞ」  千景の前には皿にのせたクッキーとコップに入った牛乳を、その向かいに座る瑞稀の前にはカフェオレを置いた。 「召し上がれ」 「いただきま~す」  千景が手を合わせ、個包装のクッキーを開ける。  一口パクリと食べるっと、ぱぁ~と顔を輝かせ、もう一口食べる。  皿にのせられていたクッキーをペロリと食べると、口には出さないが「もう一つ欲しいな」と言う目で、瑞稀をチラリと見る。 「もう一つ欲しいの?」  瑞稀が聞くと、千景がこくりと頷く。 「これでおしまいだからね」  瑞稀がもう一袋、千景の皿にのせると、 「とってもおいしいから、ママもいっしょに食べよう」  二枚のうちの一枚を瑞稀に渡した。 「千景いいの? 二つとも食べていいんだよ」 「ううん。ぼく、ママと食べたい」  にこりと瑞稀に向けた千種の笑顔は、昔晴人が瑞稀に向けてくれていた笑顔に似ていて……。  胸が熱くなった。 「ありがとう千景。一緒に食べよう」 「せ~の」  千景の合図で二人同時にクッキーを一口食べる。 「美味しいね」  二人で食べるクッキーは特別で、 もしここに晴人さんがいたら……。 千景は晴人さんの膝の上に座って、クッキーは二枚入りだから、千景が一枚、僕と晴人さんがもう一枚を半分個にして……。  温かな家庭を想像してしまった。  クッキーを食べ終わり、瑞稀が食器を洗っていると、 「ねぇママ」  後から千景が瑞稀のエプロンの裾を引っ張った。 「どうしたの?」  瑞稀は手を止め振り向く。 「今日クッキーくれた人に、これ渡してほしいんだ」  千景の小さな手には。折り紙でおった黄色いバケツを冠った雪だるまの折り紙あった。 「とってもうれしかったから『ありがとう』って」 千景……。  瑞稀が手をタオルで拭き、折り紙を受け取る。 「よろこんでくれるかな?」  心配そうにする千景と同じ目線になるように、瑞稀はしゃがむ。 「千景が一生懸命作ったんだもん。絶対喜んでもらえる。ママはそう思うよ」  そう言いながら頭を撫でると、照れ臭そうに千景が笑った。

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