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第82話 覚悟 ①

昴に「もともと山﨑さんとの間に愛はありませんでした」と言った瑞希は、お別れ遠足後、晴人に対する全ての気持ちを押し殺した。  晴人が毎日のように持ってきていた差し入れも全て断り、千景と晴人との手紙のやり取りもやめた。  副社長室への掃除も幸恵と和子に任せ、自分は一人、その他の掃除をした。  晴人が話しかけてくれば迷惑そうにし、休憩中に会いに来ても追い返し、徹底的に晴人を避け晴人に嫌われることだけをしていった。  晴人の傷ついた表情を見ると胸が抉られる感じがし、酷いことを言い追い返し帰っていく晴人の背中を見ると追いかけていき「酷いことを言ってごめんなさい」と晴人を抱きしめて謝りたかった。  嫌われたくなかった。  でもそれ以上に前と同じ失敗を繰り返しはしないと、硬く心に決めたのだった。  そんなある日、瑞稀は職場に着くといつものように用意をし、幸恵と和子がいるであろう用具室に向かう。 ——コンコン——  部屋のドアをノックし、 「おはようございます」  と部屋に入る。  するとそこには幸恵と和子、そして晴人がいた。 「晴人さん……」  晴人が朝から会いに来たなんてことは今まで一度もなく、瑞稀は完全に油断していた。  即座に追い返し、呼び方も苗字で呼ぶところなのに名前で読んでしまい、しまった!と後悔するしたがもう遅い。  晴人はハッと息をのみ、そして嬉しそうに微笑んだ。 「何かご用ですか?」  だが瑞稀はすぐに話をすること自体面倒くさそうに言いながら、掃除用具のチェックをする。 「今日はどうしても成瀬さんとお話ししたいことがあって…。どうだろう?少しだけ時間をくれないだろうか?」  瑞稀の様子を伺いながら、晴人は話す。 「なに仰ってるんですか? もうすぐ始業時間んですよ。無理に決まってるじゃないですか」  大袈裟にため息をつき、嫌なものでも見るように瑞稀は晴人をチラッと見た。 「そう、ですか……」  悲しげに肩をがくりと落とし、晴人は視線を床に落とす。 「では忙しいので」  瑞稀が荷台を押し始めた時、 「話し、聞いておやり」  幸恵が瑞稀が押していた荷台に手を伸ばす。 「今日は急ぎの場所もないし、幸恵さんと私で大丈夫。行っておいで」  和子が瑞稀の手を取り、 「カフェオレでも奢ってもらいなさい」  瑞稀を晴人の方に近づけた。 「私たちのためだと思って……ね」  幸恵と和子にそこまで言われてしまい、 「わかりました……。山崎さん、少しだけですからね」  2人で用具室を出た。  晴人と瑞稀は再会した後、二人で話をしたレンガの壁に緑の屋根の喫茶店に行き、窓辺に座っ。 「カフェオレで……いいかな?」  席に着くと、晴人は瑞稀に確認を取る。 「なんでもいいです」  席に着くなり机に肘をつき|頰杖《ほおづえ》をつくと、ずっと外の景色をながら、そっけなく答えた。 「それで、話ってなんですか?」  注文をした後、頬杖をついたまま晴人を横目で見、瑞稀はすぐに話を切り出す。  瑞稀の問いかけに、晴人は気持ちを落ち着かせるためか、小さく息を吸い込んだ。 「単刀直入に聞くね。俺、瑞稀に失礼なことをしてしまったんんだろうか……?」  答えを待つ晴人の瞳は、不安で揺れている。 「特に何も」  瑞稀は両腕を前で組み、背もたれにもたれかかりながら足を組み、ぞんざいな態度をとった。 「俺が失礼な態度をとってしまったなら、申し訳なかった、瑞稀、ごめん。許してほしい……」  机に額がつきそうなほど、晴人は頭を下げる。 晴人さんは何も悪くないんです!  そう叫びたかった。だが、 「理由もわからないのに、山﨑さんは頭を下げられるんですね。プライドはないんですか?」  晴人の気持ちを踏みにじるような言葉を選び、蔑んだような視線を送った。 「理由を教えてもらえれば、直していきたいと思う。俺は瑞稀と一緒にいられるだけで…それだけでいいんだ……」  愁いの満ちた目で見つめられると、瑞稀の胸は張り裂けそうだ。  本当は、今の言動全て晴人に嫌われるようにしていることだと言いたかった。 でもそんなことをして、どうなる? 晴人さんに対してしたことや傷つけたことを、許してほしいだけなんじゃないのか? また自分可愛さに、同じ過ちを犯すの?  自問自答するが、瑞稀の中での答えは出ている。 ーもう顔も見たくないほど、嫌われないといけないー  と。 「もう瑞稀の中に、俺と一緒にいてくれるっていう選択肢は……全くないの?」  瑞稀のどんな言葉も聞き逃さないというように、晴人は正面んからしっかりと見つめた。 「それは……」 『一緒にいたいです』  咄嗟に本当の気持ちが口をついてしまいそうになる。だが、 「だから、ずっとそう言ってるじゃないですか」  一生懸命、不快感を表に出して言ったが、本当は胸がズタズタに引き裂かれ血が流れ出しているようだ。 「どうしても?」 「……ええ……」 「今までみたいなやりとりも?」 「そういうこと嫌だから、毎日断ってるんじゃないいですか。そろそろ気づいてください」  こんなことを言うのは、最低な人間だなと自分で言っておきながらそう思った。 「そう……か……」  瑞稀の返事を聞いた晴人が、今まで見たことがないほど傷ついた顔をした。  苦しかった。  心の底から愛する人に、そんな顔をさせてしまったことが。  苦しかった。  愛する人と会う機会を、自分で無くしてしまったことが。 「もう仕事に戻っていいですか?」 「……」 「幸恵さんたちに負担をかけているんです」 「……」 「あの……聞いてます?」 「………」 「はぁ……。何も言われないなら、僕、仕事に戻りますね」  瑞稀が立ち上がった時、 「お待たせしました」  喫茶店のマスターが、注文していたコーヒーとカフェオレを持ってきて、テーブルの上に置いた。  そしてコーヒーとカフェオレとともに、瑞稀が好きなあの(・・)チョコチップクッキーをのせた白い皿を、机の中央に置いた。 「クッキーは私からのサービスです」  マスターが微笑む。 「山崎さんには、いつもご贔屓にしていただいていますので。それに山崎さんはコーヒーと一緒に、よくこのチョコチップクッキーを召し上がられるんですよ」 「え……?」 どうして晴人さんはコーヒーと一緒に、この(・・)クッキーを食べられてるの?  瑞稀は咄嗟に晴人の方を見ると、マスターは続けた。 「しかもメーカー指定。他の甘いものは召し上がらないのに、このクッキーだけ特別(・・)なんでしょうね」  それだけ言うと、マスターは「ごゆっくり」と、カウンターの方へ帰っていった。

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