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第104話 父親 ①

 昴が院長に話をしてくれていたため入院中、千景はあらゆる検査、治療をしてもらった。  そのおかげもあって容態は安定して、予定通り病院に運び込まれてから2日後、無事に退院の運びとなった。  退院の際、千景は治療してくれた看護師や医師に折り鶴を手渡し、みんなにおしまれつつの退院となり、病院から家までの道のりは、晴人が運転する車で帰った。  初めて晴人の車に乗るだけでも大喜びな千景なのに、車内内蔵のモニターで子供向け番組をかけてもらい大興奮。  家についても「まだ降りない」と言い出すしまつ。  結局30分の番組が終わるまで、3人でドライブとなった。 「今日はお忙しい中、わざわざ送ってくださりありがとうございました」  車を降り運転席に座る晴人に瑞稀が礼を言うと、 「晴人さん、ありがとう」  千景もお礼をいい、晴人に折り鶴を手渡す。  今までの千景は晴人のことを『山崎さん』と呼んでいた。  だが今回のことで瑞稀が千景の前で晴人のことを『山崎さん』ではなく『晴人さん』と呼ぶようになり、いつの間にか千景も晴人のことを『山崎』から『晴人さん』と呼ぶようになっていた。 「上手に作ったね。じゃあまたお礼のお手紙書いて、ママに託けておくよ」  晴人が車内から手を伸ばし千景の頭を撫でると、千景は嬉しそうにぴょこぴょこ飛び跳ねた。 「それじゃあ何かあったら連絡して」  瑞稀にそう言い、晴人はそのまま帰ろうとした時、 「あのっ!」  瑞稀は晴人を呼び止めた。 「あの、もしよろしければコーヒーでも、いかがですか?」 「え!?」  晴人は心底驚いたように、目を大きく見開いた。 「晴人さんのお好きなコーヒーの銘柄も用意していますので、あの、その……、このままさよならするのは、寂しいといいますか……」  以前の瑞稀なら恥ずかしすぎて言えず、そのままだったが、きちんと気持ちは言葉にしようと決めたので勇気を振り絞った。 「……」  晴人は口をポカンと開け、目をぱちぱちさせているだけで、何も言わない。 そうだよね。 忙しいなか、時間を割いてもらっているのに、さらに一緒にいたいから家に寄って欲しいなんて、虫が良すぎるよね……。 「すみません、変なこと言って……」  瑞稀がもう一度礼を言って帰ろうとした時、 「瑞稀待って!」  後から呼び止められた。  振り返ると、 「ぜひ! ぜひ、お邪魔させてもらうよ!」  目をきらきらさせながら、晴人は食い気味に言う。 「え? いいんですか?」  瑞稀はそんな晴人の姿を見たことがなかったため、少し面食らった。 「もちろん! それじゃあ、車停めてくるから、少し待ってて」  生き生きしながら急いで駐車場を探しに行った晴人の姿が可愛く思え、瑞稀はふふふと笑ってしまった。  背中をピシっと伸ばし、緊張した面持ちでローテーブルの前に正座をしている晴人の隣りに、千景も晴人の真似をしてちょこんと正座をしている。  いつもは瑞稀と千景しかいない部屋に、晴人が千景といるなんて、まるで夢のよう。  瑞稀はコーヒーを淹れつつ、食器棚からマグカップを3つ用意し、その一つには牛乳を入れレンジで温める。  晴人と同じ空間の中、コーヒーの香りが漂う。   またこんな日がくるなんて……。  今、この時の幸せを噛み締めつつも懐かしい記憶も蘇り、胸が熱くなる。  目頭が熱くなる。  ウルっと涙が浮かんでくるのを、堪えた。 「お待たせしました」  晴人の前にはコーヒーのブラックを置き、千景の前にはホットミルク、そして自分の前にはカフェオレを置いた。 「あったかいミルクだ。ねぇママ、クッキーも出していい?」 「いいよ。お菓子の棚にあるからとっておいで」 「やったー」と飛び跳ねるように千景はたち上がると棚に向かう。  晴人は千景の姿を微笑みながら見ていたが、ふと自分の前に置かれたカップを見て驚き、手に取った。 「このカップ、一緒に住んでいた時に俺が使ってた物と同じデザインだよね」 「ネットでたまたま見つけたので……」  そこまで瑞稀は言いかけたが、 「やっぱり違います。ネットでたまたま見つけたんじゃなくて、晴人さんが家にきてくださることがあったら、いつでもコーヒーをお出しできるようにって同じカップと、お好きなコーヒーの銘柄探しました。もし、今は違うものがお好きだったら次来られる時までに用意しておきますので、おっしゃってください」  と、言い直した。  実は晴人によりを戻そうと言われた時から、瑞稀は晴人がいつ家を訪れてもいいように、晴人のお気に入りのカップとコーヒーを、ネットで取り寄せていた。 「次って、また来ていいの? そんなこと言われたら、俺、ずっと来るよ」  グイッと晴人は身を乗り出す。 「晴人さんがよろしければ、いつでも、何度でも来てください」  今までの瑞稀では、いつも周りの人のことを一番に考えすぎて、こんなに自分の気持ちをはっきり言ったことがなかった。  でも晴人の前では晴人にも自分にも正直であろうと決めた。  自分の気持ちをまっすぐに伝えるのは慣れていないので、相手に嫌な思いをさせていないか心配になる部分があるが、それよりも間違った忖度(そんたく)で晴人とすれ違いを起こしたくなかった。 「じゃあ、明日も来たいって言ったら?」 「来てください」 「明後日も来たいって言ったら?」 「明後日も来てください」 「明々後日は?」 「明々後日も、いつでも千景に会いに来てやってください」  晴人さんのことがパパだといいなと言っていた、千景に会いに来て欲しい。  そしていつか千景に、千景の父親は晴人だと言うことを瑞稀は伝えたかった。 「じゃあ俺は、毎日瑞稀と千景くん、愛する2人に会いに来るよ」  毎日晴人に会えると思っただけで、嬉しくて胸がドキドキする。 「じゃあ、夕食作って待ってます」  言った後で恥ずかしくなってきて、瑞稀は頬を赤らめて下を向いてしまった。

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