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第105話 父親 ②
「あったよ~」
チョコチップクッキーを持ってきた千景は、なんの躊躇いもなく晴人の膝の上にちょこんと座る。
「千景、もう大きいんだから、ひとりで座ろうね」
瑞稀がひとりで座るように促すが、千景は嫌だと首を横に振りる。
「俺はいいよ。というか嬉しい」
晴人はひょいと千景を抱き上げ正座を崩しあぐらをかくと、その上に千景を座らせる。
そこには瑞稀が夢にまで見ていた景色があった。
晴人の膝の上に千景が座り、晴人の膝の上ではしゃぎクッキーを食べる千景の姿が。
つい何ヶ月前までは、想像もできなかった姿。
あるべき姿が。
千景に父親の話をするのは、今じゃないだろうか?
「あの、晴人さん。千景に父親の話をしてもいいですか?」
父親の話はいつかしようと思っていたが、どのタイミングが一番いいか分かりかねていたが、今がその時ではないだろうか。
「ああ。瑞稀がいいと思うなら」
晴人が瑞稀の手をぎゅっと握る。
瑞稀はふぅ~っと大きく深呼吸をし、千景に本当のことを言えるというはやる気持ちと、今まで言えなかったことへの罪悪感を飲み込んだ。
「あのね千景、今から大切なお話をするから、しっかり聞いてね」
「うん」
千景を真正面になるように瑞稀は座り直す。
「前、晴人さんのことお父さんだったらいいなって言ったでしょ? 今でもそう思う?」
千景はクリクリした目を、ぱちぱちと二回瞬きし、
「うん!」
そう言って、晴人の方を振り返る。
「あのね、今まで黙っていたんだけど……、晴人さんは千景の……パパなんだよ」
ずっとずっとずっと、千景に言いたかったこと。
君のパパは優しくて、頼り甲斐があって、とても素敵な人なんだよ、と。
これからは、晴人のいいところ、千景とそっくりなところも言ってあげられる。
どんなことも隠さずに言える。
それが嬉しかった。
「え!? 本当に? 本当に晴人さんがパパなの? ねぇ晴人さんはパパなの?」
ぱぁ~と花が咲いたように、千景の顔に喜びが溢れ、晴人を見上げた。
「ああ本当だよ。俺は千景くんの……パパなんだ」
千景を抱きしめ、感極まった晴人の目に涙が浮かぶ。
「晴人さんが僕のパパ……。僕のパパ……」
さっきまでイキイキしていた千景の表情が、急に曇り、声も暗くなる。
「パパがいるお友達は、みんなパパと一緒のお家で住んでいるよ。でもどうして僕はずっとパパと一緒にいなかったの?」
今度は瑞稀を見上げた。
どうして今まで一緒にいなかったのか?
千景の素朴な疑問。
「どうしてママは、パパのこと教えてくれなかったの?」
「……」
「他のお友達はママとパパ、一緒にいるよ? どうして僕のママとパパは一緒にいなかったの?」
「それは……」
「ねぇ、どうして?」
千景の中の『どうして?』が膨れ上がる。
千景の中にわだかまりを残さないように、、千景がわかるような言葉で、きちんと正直に話をしないと。
瑞稀は千景の手を握り、しっかりと視線を合わせた。
「あのね、ママがパパのお話を聞かず、間違った方を選んでしまって、千景がママのところに来てくれたことを知らせずに、パパの元を離れっちゃったんだよ。だから晴人さんは千景のパパだということを知らずに、離れ離れで暮らすことになってしまってたんだよ」
本当はもっと複雑でいろいろなことが重なっていた。
でもそんな大人の事情、今の千景に話してもわからないことだらけだ。
それでも、瑞稀は自分のせいで晴人と千景が離れ離れになってしまったことをきちんと伝えたかった。
わかってくれだだろうか?
瑞稀の話を聞いて、千景は俯く。
「千景?」
「……」
名前を呼んでも、返事がない。
「千景?」
もう一度呼ぶと、
「――それって僕のせいってこと……? 僕のせいでママはパパとさよならしたの?」
キラキラ輝いていた千景の瞳が暗くなり、次第に涙が浮かんでくる。
思いもよらない千景の言葉に、瑞稀は目を見開き、
「ちがっ」
一瞬言葉に詰まった。
どうしよう。
なんて言えばいい?
もっと千景にわかるように、どう説明したらいい?
瑞稀が頭の中で、言葉を探していると、
「違うよ。そんなことは絶対にない。俺は瑞稀のことを愛しているし千景くんのことも大好きだよ。大人はね、たまにどうしようもなくつまらないことでけんかをしたりするものなんだ」
静かな声で晴人が言った。
「ママもパパも僕とお友だちみたいに、けんかするの?」
不思議そうに千景が晴人を見上げる。
「ああ、喧嘩してしまうんだよ。だからパパとママは仲直りがしたいんだ。千景くんはパパとママのけんか、許してくれるかい?」
「もう怒ってない?」
「ああ、怒ってない」
「嫌いにならない?」
「絶対にならないよ」
晴人が断言すると、暗かった千景の表情があかるくなる。
「わかった」
千景は瑞稀と晴人を交互に見て、
「「ごめんなさい」って言ったら仲直りなんだよ!」
瑞稀と晴人の手を握らせた。
「晴人さん。何も言わずにいなくなってしまって、ごめんなさい」
「瑞稀が悩んでいたことに気付いてやてなくて、ごめん」
晴人が瑞稀を引き寄せ、膝の上に座っている千景と一緒に抱きしめる。
瑞稀もそっと千景を抱きしめると、千景も瑞稀に抱きついてきた。
千景と晴人の体温が、瑞稀の体の中に入ってくるようだ。
瑞稀はあの時、晴人との別れを決断した自分に言ってやりたい。
晴人さんは全て受け止めてくれる。
怖がることなく、その胸に飛び込めばいいと。
どんなに周りが反対しても、離れ離れになるべきではないと。
「これで、もう仲直りだね」
瑞稀と晴人に抱きしめられ、高揚し頬をピンクに染め、今度こそ満面の笑みを浮かべた。
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