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生涯の伴侶

<sideルーファス> 湖で彼に出会った瞬間、身体中の血が沸き立つような今までに感じたことのない感覚を味わった。 彼がもし、私の生涯の伴侶でなかったとしてももう絶対に手放したくないと思うほど、私は一瞬にして彼に惹かれた。 ほんの少しの時間でも誰かと離れていたくないと思ったのは生まれて初めてのことかもしれない。 小さな彼は目の前に立つ大きな私とレナルドを見ると、ひどく怯えていた。 怖がられたくない。 その思いで私はさっと彼の前に跪き、大きな身体を少しでも小さく見せようとした。 それは、私が彼の下僕となり、何も危害を加える気がないことを示したのだ。 早く安心させたくて、さっと手を差し出すと彼は小さな手をそっと乗せてくれた。 ああ、なんて可愛らしい手だろう。 その辺にいる女性よりも随分と小さなその手になら、私の指輪ももしかしたら入るかもしれない。 いや、もしかしたら、指輪の方が大きいのでは……そう思ってしまうほど彼の手は小さく、そして細い指をしていた。 緊張しながら、指輪を取り出し彼の左手の薬指に嵌めてみた。 指輪はスルスルと進み、何のつっかえもなくまるでそこが定位置だと言わんばかりに綺麗に嵌まった。 ああ、やはり彼こそが私の生涯の伴侶だったのだ。 見たところ、彼は10歳になるかならないかくらいだろうか。 成人まであと5年ほどか。 いや、ここまで15年も待ったのだ。 伴侶と共にいられるのなら5年待つくらい大した問題ではない。 その間に伴侶と楽しい時間を過ごせばいい。 目の前の彼は私の嵌めた指輪を抜こうとしたが、あれほどスルスルと入った指輪が定位置から離れようとしない。 やはり母上のつけていた指輪と同じだ。 母上の指輪もまたどれだけ抜こうとしてもびくともしなかった。 ――この指輪はね、嵌めてもらったら一生抜けることはないの。それが生涯の伴侶の証なのよ 母上はそう言って嬉しそうに私に指輪を見せてくれた。 ピッタリと嵌まり抜けない指輪……それこそが彼が生涯の伴侶の証。 私は幸せでたまらなくて彼を抱きしめた。 レナルドに促され、彼とゆっくり話をするために湖の近くにある小屋へと向かった。 ここは私やレナルドがこの湖に来たときにのんびりと寛ぐための休憩小屋で誰も立ち入ることはないから、安心して話すことができる。 彼を抱きしめたまま立ち上がると、彼はあまりの高さに驚いたのか私の首にぎゅっとしがみついてきた。 羽のように軽く、そして、弱々しい力で私にしがみついてくる彼が愛おしくてたまらなくて、私はこの上ない幸せを感じていた。 ザカリーを呼び、念の為に彼に馬はどこだ? と尋ねたが、彼は馬を持っていないという。 ここに馬以外で来ることはできない上に、そもそもここは王家所有の森。 彼がどうしてこの場所にいたかは気になるところだ。 私は彼を抱きかかえたまま、さっとザカリーに飛び乗り、私にしがみついているようにというと、彼は素直に私にぎゅっと抱きついてきた。 ああ、なんと素直で可愛らしいのだろう。 ザカリーをゆっくりと歩かせ小屋へと向かう。 すぐ近くに小屋が見えてきたところで、彼にあそこに向かっていることを伝えると、 「すごっ、おっきぃ……」 とポツリと呟いた。 ――やぁーんっ、るーふぁすの……おっきぃ……そんなの、はいんない……こわれちゃうぅ……。 彼の言葉につい、よからぬ妄想が滾ってしまう。 今までこんなことなどなかったのに……。 これも生涯の伴侶ならではということか? それにしても生涯の伴侶とはいえ、まだ年端も行かぬ子どもにそのような欲を覚えるとは何たることだ。 必死に雑念を振り払っていると、彼に心配されてしまった。 彼にこんな淫らな妄想などしていることが知られるのが嫌で、慌ててなんでもないと誤魔化した。 馬を降り、レナルドに扉を開けてもらって彼を抱きかかえながら中へ入ると、彼は広いリビングに目を丸くして驚いていた。 ふふっ。こんなふうに驚いている姿も実に可愛らしい。 何か飲み物をというと、 「あなたと同じもので……」 と言われてしまった。 あなた……あなた……あなた……。 ああ、もうまるで夫夫のようではないか。 そう思うだけで胸が高鳴る。 それにしても彼の言葉は子どもにしては妙に大人びているところがある。 もしかしたら身体の小ささはともかく、年齢はもうすこし上なのかもしれないな。 とりあえず、レナルドにジュースを彼と私の分を頼むと、レナルドは彼の前に飲み物を置いた。 嬉しそうにそれを手に取り、一気に飲み干した彼はよほど喉が渇いていたようだ。 やはりジュースにして正解だったなと思っていると、レナルドが彼に笑顔で話しかけ嬉しそうに会話をしている。 いくら従兄弟とはいえ、彼とそんなにも仲良く話すことなど許せない。 今までレナルドが誰と話していようがそんなこと思ったこともないのに、彼のことに関しては狭量だ。 彼にはいつでも私だけを見ていてほしい。 そう願ってしまうのだ。 彼をレナルドに奪われてしまうのではないかと心配になり、彼をぎゅっと抱きしめ素直に嫉妬したと告げると、彼は少し呆れた様子を見せながらもニコッと笑ってくれた。 そんな愚かな私でさえも、彼は嫌いにはならないと言ってくれた。 ああ、なんて幸せなんだ。 今の私はこの世の幸せを全て独り占めしているようだ。 彼の言葉が嬉しくて、ぎゅっと抱きしめて幸せを満喫しているとレナルドにいい加減彼の名前を聞けと言われてしまった。 それもそうだ。 私も彼の名を呼びたいし、彼に私の名を呼ばれたい。 まずは自分の名を知ってもらいたい。 私の名を告げ、この国の王だというと大きな目が零れ落ちるのではないかと思うほど驚いていた。 そして、何かを悟ったような表情で私を見つめていたが一体何を考えているのだろう? ドキドキしながらずっと見つめていたが、彼は私の顔を見つめるばかり。 いや、見つめられている時間も幸せであるのだが、彼の名を知りたい。 意を決して尋ねれば、 月坂蓮 だと教えてくれた。 その聞いたこともない発音に一瞬たじろぎながらも、決して間違えないようにと必死に繰り返すと、 「あの、レンです。レンと呼んでください」 と可愛らしい声でそう言ってくれた。 レンはなんと心優しいのだろう。 私が発音できないことを知って、すぐに呼びやすい名を教えてくれた。 あの場所にいて馬もいなかったこと。 そして、聞いたこともない名前……。 私はもしやという思いを持ちながら彼に尋ねてみた。 レンはどこからきたのだと。 すると、彼は信じてくれないかもしれないが……と前置きした上で、この世界とは違う世界から、連れてこられた。 湖で絵を描いてたら、青い湖が夕焼けで赤く染まった瞬間、とつぜん真っ白な眩しい光が湖を覆い尽くすように光りだして……気づいたらあの場所にいたのだと教えてくれたのだ。 やはりそうか……。 私たちがあの湖で体験したことと同じ現象がレンのいた場所でも起こっていたとすれば、これはきっと神のなさったことに違いない。 おそらく、違う世界にいた私の生涯の伴侶が偶然、私と同じタイミングで湖に現れたのをみてこちらへ連れてきたのだろう。 もしくはそもそもレンを湖にくるように誘導してくれたのかもしれない。 そう考えれば、私を今日湖に行くように仕向けたのも、もしかしたら神の思し召しだったのかもしれないな。

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