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知りたい

 顔色と表情を喪って、僕をそれに撃ちのめされている。  緑のタイルと自分の上履きに瞳を墜としたまま、打ち拉がれている僕を認めた梗介は、 哀切も同情もおこしていない、常に真実だけを見て射してくる冷えた眼差しで、変わらず煙を燻らせている。 「皆同じだよ。あいつは本当はあんな奴じゃない。自分なら救ってやれる。 やっぱりあいつが欲しい。抱かせてやれば、頼むから自分だけのものにさせて欲しい。——それの繰り返しだ」 「……」 「落ちる必要はねえよ。途中までなら、叶えてやれるぜ。だが自分だけのものに、っていうのは難しいだろうな。 欲しいもん、最大限(フル)に引き出して悦ばすことは、幾らでも可能だろうよ。異常にそれ得意だからな、あいつ。だが、それも所詮嬢の仮面被った演技(プレイ)に過ぎねえよ。 昨日と同じだ。俺からしたら、保育園のお遊戯と一緒だね。 詰まるところあいつは、俺でなきゃ腰も勃たねえMにしてあるからな。 脳髄かち割って取り替えるくらいじゃねえと、多分無理だろ」 「……」 「なら、別に構わないぜ。俺はいつでも。 あいつだって、むしろ大歓迎なんじゃねえの。 何が良かったか知らねえが、家でやたらお前のこと連発してたからな。 あいつ選り好み激しいから、良かったじゃねえか、気に入られて。中々ないぜ? そういうの」  もはや梗介の言葉も、聞いてるようで、聞こえていなかったかも知れない。  何故、ここに立っているんだろう。そしてこれから、どうやって行けばいいのだろう。  目の前の梗介を置き去りにしてしまうくらい、無力感と虚脱した浮游に、ただ苛まれている。  ……救いたいとか、変えたいとか、思っていた訳じゃない。  救うなんて、出来る訳ない。変えたいなんて、希んでなんかいない。彼は彼のままでいいから。  欲しい、とは多分思った。  正直に言う。綺麗で、みだらだから、それにふれて抱きしめられたら、と思ったのは否定することは出来ない。  だけど、それよりも、知ったから。  彼も、始めから、屈託なく僕に接してきた訳じゃない。  話しかけるのに、いつも、僕の様子をそっと(うかが)っていた。  本当は、多分、ずっと怖がりなんだ。  話しかけて、僕が応える。嬉しい。応えてくれて、嬉しい。  そう感情が、湧き水みたいに溢れてくる。はにかむように、笑った。嬉しさを隠すように、くすぐったそうに緩んだ瞳とこぼれた歯の中に、言葉をしまっていた。  それに、気付いてしまった。  皆んなの前で明るく笑ってるのも眩しい。  みだらに誰かを欲しがってるのも、狂おしい。  だけど、それよりも、ただ思い出されてくるのは、  僕の隣で、首を傾げて素直に僕を見つめて問いかけてくるような、  まっさらであどけない、あの笑顔だけなんだ……。  生温い風とか、橙や黄色の光が頬を射していた気がするが、瓦解した世界のなかで、誰かの残像を瞬かせながら、僕はどれくらいか判らないくらいの流れのなかに、茫然と立ち尽くしていた。  梗介はただ、煙の向こうからその様子を静然と見ていたのだと思う。  始めから彼は、僕を侮ったり、嘲ったりしなかった。  ただ射るように真実を見て、それを貫いてくる。どこまでも、高潔でとおい。 「——…………知りたいか?」  ふと、崩れつつある世界を揺るがすような声が聞こえてきて、僕は顔を上げた。 「ユキのことが、知りたいか?」  煙が退いて、逆光を背に反射させた梗介の精錬とした貌が、僕を見つめていた。  瓦解した世界にその眼は鮮明で、僕は揺り動かされた心地になる。  彼はくれたのだ。 僕に、答えを。 「知り、たいです……」  うわ言のように、そう呟いていた。  梗介の唇が、笑った輪郭を象った。  初めてはっきりと、そのかたちを見た気がする。  笑ってる。 きっと、滅多に笑わない、人だろうに……。  ぼんやりと、その笑んだ唇を瞳に映していた。 「なら、一番手っ取り早い方法を教えてやるよ……」  梗介の右の長い指から、(こぼ)れるような音を立てて、白棒が落とされた気がした。  火は着いていて、潤むように赤い塊から、か細い煙が悲鳴のように引かれて、タイルに落ちて、砕けて弾む。  逆光で影が射した唇と体躯の輪郭が、揺れ動いて(いん)が占めた気がした。 「あいつと兄弟になりな」

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