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第3章 第7話➀ 母の過去

「さて、飯も食ったし、ゆっくりと話を聞かせてもらおうか」  ずいっと前に身をのりだしたのは高塚だった。 「なんや亜紀良さん。興味津々やな」  朝比奈が怪訝な顔をする。 「まあね。面白そうやないか」 「面白そうって笑い話やないやろに」 「それで? 草壁とすぐる君のお母さんはどこで知り合ったん?」 「はい。僕はまだ大学を卒業したてで難波先生のアトリエの手伝いをしておりました」 「ああ。あの頃の話しか」  ハジメ父がデザートのシャーベットを口に運びながら懐かしそうな顔をする。 「梓とは……すぐるくんのお母さんである梓さんとは図書館で知り合いました。僕はデザインの勉強の為。梓さんは司書資格をとるために図書館に来ていたのです。彼は地元の図書館で働く予定でした」  そういえば母さんは絵本をたくさん読んでくれた。近所の図書館によく連れて行ってくれた事を思い出す。 「大人しくて清純で澄んだ空気のような人でした。知識も豊富で手先が器用な人で、僕の相談にもよく乗ってくれました。その頃の僕は新しいデザインがなかなか書けなくて悩んでいたんです。そしたら梓さんが草壁さんは難波先生のデザインを語ってる時が一番楽しそうだと。先生の絵を三次元に書き起こすパタンナ―になるのはどうだと進めてくれたのです。彼のその言葉が僕の道を広げてくれた。彼は僕の原点なのです」 「デザイナーは次々に頭に浮かんだデザインを表現しようとする。それを型紙に起こして具現化するのがパタンナーなんだ。どれだけすぐれたデザイナーがいてもその意図を正確に理解して、型紙に起こし裁断し人が着れる服として作れる人がいないとダメなんだ。その役目がパタンナーだ。草壁は僕のデザイン画を忠実に再現してくれる。僕の片腕なんだよ」   「先生……ありがとうございます」  草壁さんが嬉しそう。褒められてよかったね。そうかパタンナーって大事な仕事なんだな。  「母は司書の資格を取れたのでしょうか?」  小さかった僕は母が何の仕事をしていたのか覚えていない。保育園に通っていたことぐらいしか記憶にないのだ。ただ僕の前ではいつも笑顔で優しい人だった。 「それが、その後は疎遠になってしまってね。その、彼は結婚するために僕の元を離れると……いや、実家に帰ると言っていたんだ。それよりすぐるくんのお父さんの話を聞かせてもらえないか?」 「申し訳ありません。僕は父の事を知らないのです。母も祖父も何も語ってくれませんでしたので。母は僕をひとりで産んで育ててくれました」 「そんな! なぜだ。あいつは何をしていたんだ」  まただ。草壁はどうしてそんなに怒ってるんだろう。何を知っているんだ? 「草壁さんは何をそんなに怒ってはるんや? はっきり言うてくれた方がすぐるもスッキリすると思うで」  ハジメが助け船を出してくれた。 「はい。何かご存じでしたら教えてください。僕も母の事が知りたいのです」 「僕は。梓が好きでした。彼もそう思ってくれてると信じていたんです。でも僕はベータで彼はオメガでした。ある日図書館からの帰りに突然ヒートがやってきてしまい、その場にいたアルファに襲われたそうです……番に……なってしまったと言われました。もう一緒にはいられないと。そのアルファと結婚するのだと言って去ってしまったのです」 「……うそです……そんな」  違う。そんなはずはない。だって母さんはいつも……。 「ハジメ? 大丈夫か?」 「母は、大好きだった人との子供だから産んだのだと言ってました」 「では、そのアルファのことが好きになったのだろう、番になったのだから」 「違う! それは違います。母さんのうなじには歯形なんかなかった」 「歯形がない? いや、だって僕は見たんだ。梓の首の後ろには噛み跡があった。赤く腫れたあの首を僕は忘れたことはない」 「そりゃおかしいな。赤く腫れた噛み跡か。それだけでその話を信じたというのか?」 「ええ。だって番になるのってうなじに噛みつくんですよね?」 「実際には肉を抉りそうなぐらい噛みつくんだがな。なあ? じゅん」 「……そうや。でも噛まれたオメガも痛みよりも多幸感でいっぱいになるんやよ」  朝比奈がため息がちにシャツの襟元を大きく広げうなじを見せた。そこにはくっきりと歯形が深く刻まれていた。ボコボコと断面になっている。凄く痛そうだ。 「お前! 噛まれたんか?高塚さん、結婚前やのに噛みついたんやな! 絶対に朝比奈を幸せにしろよ! 責任取らな俺が許せへんで!」  ハジメが今にも掴みかかりそうないきおいで怒鳴る。それを見て朝比奈が苦笑する。 「ハジメ君に言われなくてもじゅんのことは誰よりも幸せにするつもりや」  高塚が顎をあげて威嚇する。 「高塚。ハジメだけやない。僕もそれはちょっと許しがたいな」  ハジメ父からも威圧のようなものが流れる。アルファのチカラなのか?ちょっと息苦しい。 「難波くんまで。僕のことを信じてないんか?」 「そうは言うてないが。じゅんくんを僕ら親子は小さい時から知ってるし、あの親から離したかったからな。我が子と同じ歳の子がバース性に縛られてるのを見るに堪えられへんかってん。僕はじゅんくんの事もハジメと同じくらい大事に想っとるよ」 「……親父さん……ありがとうございます」  朝比奈が涙ぐむ。高塚が眉をさげた。 「うちの兄貴よりもじゅんの親らしいことを言ってくれる。だから僕は難波くんには頭が上がらないんや。僕が何の力も資金もない時に、じゅんを守ろうとしてくれてたのはハジメくんと難波くんだったことはホンマに感謝してる。今回の騒ぎも僕が口止めしなかったのも悪かったしな。僕にも非があるんや」 「あ~蒸し返してくれるな。そこは僕ら大人のチカラでなんとかしよう。それと全力で素晴らしい結婚衣装をつくりあげるから許してくれ」 「もちろん。期待してるよ」 「さて、草壁。これと同じ噛み傷やったんかな?」 「…………そんな……」  草壁が顔面蒼白になっていた。 「その様子だと違うみたいやな。ふうん。すぐるくん。かつらを取ってくれるか?」 「かつらをですか? でも朝比奈さんがせっかくセットしてくれたんですが」 「そうか良く似合ってると思ったらじゅんがセットしたんか。それでも取ってくれへんかな」  僕はハジメの手をかりてかつらを外した。何をする気だ? 黙って手伝ってくれたという事はハジメも何か気づいてるみたいだ。 「やっぱりすぐるくんの髪茶色だね。少しクセもある。ふうん」 「亜紀良さん。ちょっと待って……」 「ふむ。すぐるくん今すぐにDNA鑑定をしたまえ!」  バシッと朝比奈が高塚を叩いた。 「もお! 亜紀良さんは本当にデリカシーがない! 何もかもぶっ飛ばしていきなり鑑定しろなんて。もっと言い方があるやろ。いや。俺も、もしかしてとは思ったけどな。まずはもっといろいろ聞いてみて……」 「じゅん、今のは痛かったで。ちょっとは加減してよ」 「ちょ、ちょっと待ってください。DNA鑑定ってどういうことですか?」 「君らは親子の可能性が高いよ」  高塚がさらっと爆弾発言をする。 「はあ?」 「ええ?」 「君ら雰囲気が似てるよ。髪の質も同じようだし」 「それだけですか? そんなことで?」  何か根拠があって言ってるんじゃないのか? 「それよりもっといい方法があるで。先ほどの態度から見ると草壁さんはすぐるのお母さんの相手だというアルファを知っているんだよね? その人にまずは聞いてみたらいいんじゃない?」 「そうですね。それができれば……でもどこにいるのかわからないのですよ。名前は立花というのですが……」

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