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5:なぜ、好きなものほど隠したくなるのか
芹沢鴻(せりざわこう)。十六歳。
それが、大人気Web小説作家「余生」先生の本名だった。
通信制の高校に籍はあるみたいだが、彼が〝高校生〟らしい事をしている様子は殆どみられない。
どうやら中学の頃から不登校だったらしく、そのままずるずると社会から距離を取り続けてきた結果、いまは祖父が営む【喫茶 ブルーマンデー】の二階で、ひっそり暮らしているらしい。
いつ見ても真っ黒な服に、肩まで伸びたぼさっとした髪。
首にはゴツいノイズキャンセリングのヘッドホンがぶら下がってて、なんとなく話しかけにくい雰囲気を纏っている。
あと、顔が凄く良い。
芸能人っぽい派手さとかはないけど、細くて整った顔立ちは、昔の文豪の若い頃の写真に出てきそうな雰囲気だ。
でも見た目より、何よりヤバいのは。
「なんで余生先生の書く小説って、こんなに全部面白いんだ?」
繊細で、鋭くて、破壊力抜群で、どうしようもなく美しく、それでいてエンタメ的な軽さも兼ね備えている。読むたびに心臓の奥が焼かれるみたいに苦しくなるのに、なぜかその苦しさが嬉しくてたまらない。
正直、あんな小説が十六歳の頭の中から出てきてるって信じられない。でも、それ以上に俺は——。
「はぁっ、余生先生。今日の更新分も凄かったです。なんか、もう……こうっ!凄すぎて全語彙、飛びました!!」
「そのまま飛ばしてろ。そして一生喋んな」
「あの!先生って、どういう作品が好きなんですか!?」
「ない」
「す、好きな作品が無いってことですか!?そんな、じゃあれは全部先生の中で生成された純粋培養の作品って事ですか!?」
「アンタには、関係ない」
「あっ、そういう〝ない〟?えっと、じゃあ本当はあるってことですか?それなら、どんな作品が……」
年下の彼に、憧れて、憧れて、憧れまくって。
「黙れ。キモい。あっち行け」
「っぁう」
今日も今日とて、最高の塩対応だった。
◇◆◇
六月。大学生活にもようやく慣れてきた頃。
この日は朝から雨。雨。ひたすら雨。
蒸し暑いし、ジメジメするし、髪はうねるしで最悪だった。
そんな天気を避けるように、俺はキャンパスの一番奥。文学棟を抜けた先にある部室棟の、とある一室に避難していた。
「今日も蒸してんねぇ。そんなワケで、はい!アイスコーヒー飲みたい人は勝手にどうぞー」
「お、飲む飲むー」
「お菓子もあるから勝手に取ってねー。ただし、本は汚さないこと!」
「はーい!」
ここは、クーラーがしっかり効いていて、広くて静か。なかなか居心地がいい場所だ。
おまけに、飲み物も自由に飲めるし、お菓子まで用意されている。
空気はどこかゆるく、みんな明らかに浮かれている。
今日は金曜日。明日からの休みに向けて、部室はちょっとした解放区のような空気をまとっていた。
そう、俺はいま、「金曜倶楽部」の部室にいる。
「宮沢、お前アイスコーヒーどうする?ついでだし一緒に持ってこよっか?」
「あ、大丈夫。そろそろバイトの時間だから」
「バイト……、あぁ、あの喫茶店か。おまえ、よくあんなタバコくさい店で働けるな。副流煙で肺イカれるぞ」
「まぁ、確かにタバコの煙は凄いねぇ」
最後に「気を付けろよ」なんて、サークル仲間に声をかけられて、俺はぎこちなく笑っておいた。確かにブルーマンデーはタバコの煙は凄い。でも、それ以上の魅力があの場所にあるのだ、と熱く語ろうとして……やめておいた。
(だってあの場所は、俺だけの秘密の場所だし)
俺は内心ほくそ笑みながら、広い部室をぐるりと見渡す。
本棚には文庫と漫画とラノベが仲良く並び、あちこちで誰かが本を読んだり、スマホをいじったりしていた。このなんでもアリな金曜倶楽部の空気、嫌いじゃない。
金曜倶楽部は、京明名物「文学七曜会」の中でも、今や最も部員数の多い大規模サークルである。
「なあ、余生って知ってる?あの【ツク・ヨム】の」
「っ!」
部屋の片隅から、聞き逃せない名前が俺の耳に飛び込んできた。別に俺の名前ってわけじゃないのに、なぜか妙にソワソワする。
「知ってるに決まってんだろ。ランキング一位の常連なんだから」
「書いた作品、全部書籍化&コミカライズってエグすぎだよな。下手したら全作品アニメ化しそうだし」
「ツクヨムドリームって、まさに余生の代名詞だよな」
「マジで何者なんだよ……プロの別名義説、濃厚じゃね?」
「ふふ、ふふふ……」
そうだろ、そうだろ!余生先生はほんっとうに凄いんだぞ!
部員たちがアイスコーヒー片手に盛り上がっているその輪に混ざりたい気持ちを必死で堪えながら、俺はふふんと内心だけで得意げにニヤつく。
(俺、本人のこと知ってるし!)
しかも、知っているどころか、ほぼ毎日顔合わせてるし!まぁ、話かけても全力でシカトされるけど!でも、ファンレターだって渡し……いや、読んでもらえたかは正直、謎だけど、それでも!
——うるさい。俺に話しかけるな。時間のムダ。
(毎日、余生先生の執筆風景を見てるし!)
これが、あの場所、ブルーマンデーの良さを他の部員たちに教えたくない本当の理由だった。あの静かで温かい空間を独り占めしたい気持ちも、もちろん無いわけではない。でも、俺が一番独り占めしたいのは、他でもない「余生先生」だった。
(まぁ、こんな事言ったら絶対「キモい」って言われるんだろうけど)
でも、余生先生になら何を言われても平気だった。
むしろ、そういうのが先生っぽくて格好良いとすら思う。というか、自分が相当イキすぎたファンであることも、ちゃんと自覚しているので、むしろ「その通りでございます!!」と全力で受け入れる準備は常にできている所存だ。
ふと窓の外に目を向けると、空はどんよりと曇り、しとしとと雨が降っていた。
(……酷くなる前にそろそろ出るか)
リュックの中には余生先生の新刊も入っている。濡れでもしたら大ごとだ。
広げていた荷物を仕舞いつつ「そろそろバイトの時間なので、失礼します」と、俺が椅子を立ち上がった時だった。
「あーい、お疲れ。また来週。〝渡り鳥〟クン」
金曜倶楽部の部長、陽田(ひだ)さんが本から顔を上げて、声をかけてくれた。
「渡り鳥」なんて呼び方に、思わず笑みがこぼれる。俺は陽田部長にペコリと軽く頭を下げ、部室を後にした。
「ふふ、変なあだ名が付けられちゃったなあ」
でも、あだ名が付くって、なんだかちょっと嬉しい。
窓の外を見ると、雨が横なぐりに叩きつけるように降っているのが見えた。少し雨足が酷くなってきた気がする。
手に持っていた傘を、部室棟の庇の下で開こうとした、そのときだった。
「あら、奇遇ね。渡り鳥くん」
「あっ」
視界の先に、黒一色の塊が目に飛び込んできた。
黒いレースの傘に、リボンのついたゴスロリ服。編み上げのブーツに艶やかな黒髪ロング。そこに佇むだけで空気の温度が一段階下がるような圧倒的存在感。
「花織先輩、こんにちは!」
「はい、こんにちは」
鏡 花織(かがみ かおり)
京明大学・文学七曜会のなかでも、もっとも〝拗らせている〟と噂される、月曜倶楽部の部長である。
大学三年生、たぶん二十一歳。
かなり小柄なくせに、厚底ブーツでしっかり威圧感を盛ってくるタイプだ。
「あなたが金曜倶楽部から出てきたということは、今日は金曜日なのね。あらあら、一週間というのは早いものね」
「……ぅ」
いや、絶対に俺が出てこなくても今日が金曜日って分かってただろうに。
彼女は見た目も相当だが、なにより中身のクセが強い。
ひねくれた毒舌、美意識とプライドの高さ、そして何より「言葉」に対する偏執的なまでのこだわり。
それが彼女を「七曜会一の拗らせ美人」と呼ばしめる理由だ。
「あなたを見ると曜日が分かるなんて……まるで哲学者のカントね。もっとも、カントほど〝思考〟に執着する狂気は、あなたには無さそうだけれど」
「カント?それって、どういう……」
「そのくらい自分で調べなさい。何でも楽をしようとしないのよ」
「あ、はい」
ピシャリと会話のはしごを外されて、俺は「二の句が継げない」という言葉の意味を実感した。
「まったく、前代未聞よ。歴史ある京明七曜会の全てに入部届を出すなんて」
「……あはは」
そうなのだ。俺は入学式のあと、結局どのサークルに入るか選べなかった。だって、全部面白そうだし、全部気になったのだ。
そうやって、入学してしばらくブルーマンデーで俺がサークル勧誘のチラシを前に頭を捻らせていると、マスターがいつもの優しい笑みで最高のアドバイスをくれた。
——気になるなら、全部に入ってみたらどうだい?
最初は「え、それってアリなのか」と戸惑った。でも、マスターは肩をすくめて、さらりと言った。
——アリかどうかは分からないけど。そうだね、過去にそういう人が居なかったわけじゃない。
その一言が、なんだかものすごく自由に思えて。しかも、前例がある事への心強さに、俺の中で、ぱあっと視界が開けた気がした。
そうして俺は、曜日ごとに各サークルを渡り歩くようになった。そんな毎日を過ごしていたら、いつしか付けられたあだ名が「渡り鳥」だったのである。
「月曜日には月曜倶楽部に行きますね、花織先輩!」
「ほんと、文学に対する信仰心が日替わりランチのようね。情熱よりも習慣に従って動く、そんな予定調和で部室に来られても迷惑よ」
「よ、予定調和じゃないです。ただ、俺は……」
「なに?」
相変わらず、その口から漏れるのは皮肉成分100%。けれど俺は、彼女を周囲のように「拗らせてる」なんて思えなかった。むしろ、どのサークルの部長よりも「真っすぐ」だとすら思う。
「……俺、また中原中也の『山羊の歌』について、先輩と語りたくて。先輩が言葉のリズムに、中也の破れた人生観が滲んでるって言ってたの、あれ、確かにそうだなって。それ聞いてから読み返してみたら、ほんとに詩の響きが全然違って感じられて……なんか、凄いグッときて」
俺がおずおずと口を開くと、彼女はわずかに目を見開いた。
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