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6:なぜ、WEB小説は軽視されがちなのか

「だから、また花織先輩と一緒に感想会したくて」  これはお世辞でもなんでもない。  花織先輩の文学への知識と、解釈の深さは本当にすごいのだ。話を聞いているだけで、新しい扉が次々に開いていくような気がして、たまらなくなる。  それに、このどこか気だるげな雰囲気が——。 (余生先生にも、ちょっと似てるんだよなあ)  そんなことを思いながらじっと花織先輩を見ていると、彼女はふっと息を抜くように、小さく呟いた。 「……恐ろしい子」 「え、すみません。俺、なにか怖いこと言いましたか?」 「そういう意味じゃないわよ」  「じゃあどういう意味ですか」と尋ねかけて、口をつぐんだ。楽をせずに自分で調べろと、さっき言われたばかりだ。  すると、何故かさっきまで非常に不機嫌そうだった花織先輩の表情が、少しだけ和らいでいる気がした。 「じゃあ次の読書会には、坂口安吾とトルストイも入れておきましょう」 「はいっ!」  花織先輩の言葉に勢いよく返事をした、ちょうどそのとき。  背後の部室のドアが少しだけ開いて、中から金曜倶楽部の同級生たちの声が漏れ聞こえてきた。 『なぁ、余生って何歳くらいだと思う?』 『今のツクヨムの作家層から予想すると……まぁ、三十から四十とかが妥当なんじゃね?』 『とかいって、意外と俺らより年下だったりして』 『ないない。あんな伏線、十代の操れる叙述トリックじゃねぇよ』 『おい、もうそろそろ更新の時間じゃね?』  その瞬間、それまで楽しげだった花織先輩が、はっと小さく鼻で笑った。 「まったくバカバカしい」 「え?」 「投稿サイトで〝作家〟気取り?あんなの、文章を書いてるように見せかけて、ひたすら同じ語彙を連打してるだけ。表現なんかじゃない、バズ狙いの反射芸よ。所詮、素人の量産型文字列にすぎないわ」  まるで、投稿サイトに親でも殺されたかのような——いや、むしろ愛が拗れすぎて呪詛になったみたいな言い草だ。  しかし、いくら花織先輩でもさすがにその言葉は聞き捨てならない。 「いや、でも!楽しいですよ!俺も投稿し始めたんですけど、最近は少しだけコメントももらえるようになって。自分の書いたものに誰かが反応してくれるって、嬉しくて……!」  その瞬間、先輩の目がほんの少しだけ細められる。 「投稿サイトなんてやめときなさい。バカになるわよ」  そう言い残して、花織先輩は濡れた並木道を、真っ黒なレースの傘を揺らしながら去っていった。 「……そんなこと、ないのに」  確かに、俺の文章はまだお世辞にも上手とは言えない。  けれど、【ツク・ヨム】には俺なんかよりずっと上手な作家はたくさんいる。それに、技巧だけが文章のすべてじゃない。どんなに拙い作品でも、書き手の情熱はちゃんと文章に宿ると、俺は信じている。  花織先輩こそ、それを一番分かっている人だと思っていたのに──。 「花織先輩にも、余生先生の作品……読んで欲しいなぁ」  そしたら、絶対ハマると思うのに。  それは別に、俺が余生先生の作品を大好きだからというだけじゃない。彼の物語には、花織先輩が好きそうな……月曜倶楽部が好むような、文学的な匂いが、ほのかに漂っている気がするのだ。 「……でも、なんでそう思うんだろ?」  なんとなく、ポケットからスマホを取り出し【ツク・ヨム】のログイン画面を開く。そこには、昨日投稿したばかりの自分の小説が表示されていた。 「あっ、ランキング。ちょっと上がってる!」 ———— 345位:【嫌われ勇者、100年ぶりに石化復活したら大賢者様に懐かれてパーティを組むハメになりました】 作者:ノキ ————  それに、コメントもひとつ増えていた。 「面白いです。続き、めちゃくちゃ気になります」って。 「ふへっ」  嬉しさのあまり声が漏れた。その瞬間、ここが部室棟である事を思い出しキョロキョロと周囲を見渡した。良かった、誰も居ない。 「……そうだ、余生先生の作品も投稿されてるんだった」  俺は先ほど部室から聞こえてきた部員たちの言葉を思い出すと、すぐにブックマークしている作品一覧に飛んだ。すると、その一番上には——。 ———— 1位:『死ぬ物狂いで育てた勇者が何故か病んだ』 作者:余生 ————  やっぱり今日も更新されてる。ぴったり正午。さすが余生先生だ。  俺は、吸い込まれるようにその作品ページをタップした。たった二千文字ほどのはずなのに、いつも気づけば深い物語の底に連れていかれる。不思議な感覚。  そのまま一気に読み終えて、俺は深く息を吐いた。 「……っはぁ」  六月の湿った空気が、肺の奥まで染み込んでいく。ただ、それだけのそのはずなのに、ほんのりタバコの匂いが鼻をくすぐった気がした。 「よし、バイト行こ」  俺はそっと傘を傾け、《ブルーマンデー》へ向かって歩き出した。 ◇◆◇  店に着いた頃には、すっかり雨脚が強まっていた。  店内は、ともかく静かだった。コーヒーの香りと、ページをめくるかすかな音。あとは、奥の席でキーボードを叩く音だけがじとっと空気に滲んでいる。 (余生先生、今、どの作品書いてんだろ……)  食器洗いや店内の掃除など、やるべきことをすべて終えた俺は、そっと視線だけを余生先生に向けた。黒いパーカーのフードを深くかぶり、ヘッドホンをつけた後ろ姿が、いつもの席に見える。 (ちょっとだけでも話したいなぁ。更新分の感想とか言いたいし……)  いつものように、仕事の合間を見て声をかけてみようとするけれど、最近は近づくだけで「これで更新落としたらアンタのせいだからな。責任取れんの」と、冗談とも本気ともつかないことを言われてしまう。 (俺のせいで更新が止まるのは絶対イヤだけど……でも、やっぱ感想も伝えたいし)  そんなことを思いながら、ついまた先生の方をチラチラ見ていると、マスターが声をかけてきた。 「直樹君、ちょっとちょっと」 「っあ、はい!何でしょう!」 「コウの珈琲がちょうど無くなってるみたいだから……はい、持ってってあげて」 「っ!」  カップを受け取る時、マスターが俺の耳元でこっそり「頑張って」と声をかけてくれた。どうやら、あまりにもソワソワし過ぎて気を遣ってくれたらしい。 (し……深呼吸だ。いける。いけるぞ。頑張れ、俺!)  カップの香りを頼りに、俺はそっと余生先生の席へ向かった。 「よ、よ、余生先生!コーヒーどうぞ」 「あ?」  すると、俺の声が聞こえたのか、余生先生が片耳だけヘッドホンを外し、怪訝そうな顔でこちらを見上げてきた。  ああ、この不機嫌そうな表情すら格好いい。もはや〝不機嫌〟というより〝情緒が限界〟って感じなのがたまらない!なんか、太宰みたい! 「あの、コーヒーのおかわりを……」 「そこ置いて」 「あ、はい」  俺は先生が指差した位置にグラスをそっと置き、その隣にガムシロップをひとつ、ミルクをふたつ添える。見た目に反して、先生はけっこう甘党だ。  まあ、余生先生はまだ十六歳なワケだし。当然と言えば当然かもしれない。 「……えっと、あの」 「なに、まだなんかあんの?」  その場を離れられずにいる俺に、余生先生の鋭い視線がチラリと向けられる。ごくりと唾を呑み込んで、俺はついに意を決して声を絞り出した。 「あ、あの!今日更新されてた【ナゼヤミ】凄かったです!あそこの〝おまえの嘘だけが本物だった〟ってセリフ、マジでやばいです!やばくないですか!?あれってつまり、師匠の嘘と勇者の願いが矛盾して重なることで——」 「黙れ」  言葉の津波に乗せて、感情のまま感想をぶつけたその瞬間、先生の顔にはハッキリとした拒絶の色が浮かんだ。  低く、冷めた声をひとこと残して、余生先生はコーヒーに手をつけることなく席を立つ。 「……萎えた。2階でやる。もうコーヒーはいらないから」  そう言い残して、先生はこちらを見ることなく階段をゆっくりと上がっていった。テーブルの上で、俺が持ってきたばかりのアイスコーヒーが微かに汗を滲ませながら、カランと氷の擦れる音を立てた。 「っぅあ〜〜〜、またやってしまった……!」  四月から、このやり取りを何度繰り返してきたことだろう。  もうそろそろ学習してもいい頃なのに、余生先生に作品の感想を伝えようとすると、いつも感情が先走って言葉が止まらなくなってしまう。 「あれはもう絶対に嫌われたぁ……」  後悔と共にテーブルの横にずるずると座り込んでいると、マスターが苦笑しながら近づいてきた。

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