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24:【ツク・ヨム】1位作家の後悔

 視界の端、ふと映ったスマホの画面。 「……あ」  そこに映っていたのは、【ノキ】という名の小説投稿アカウント。しかも、ログイン中の管理ページだった。  この画面に入れるのは、もちろん。 「余生先生?」  心配そうに覗き込んでくる直樹の顔は、先ほどとなにも変わっていない。なのに、全身の血の気がスッと引いた。 (嘘、だろ……)  思考が追いつかない。目の奥が熱くなり、手のひらがじんわり汗ばむ。  呼吸が浅くなって、やっと思考が一言、呟いた。  あぁ、やっぱり。  〝ノキ〟は〝お前〟だったか——と。 『なんだ、この作品。やべぇ』  初めて〝ノキ〟の作品を読んだ時の衝撃が、鮮明に蘇る。  誰だ?どうして、俺の一番深いところを突いてくる?  読むたびに味わされる、感動と、羨望と。 どうしようもない、敗北感。  でも、どこの誰とも知らない相手だからこそ、まだ耐えられた。  他人だから、許せたのに。  直樹と関わるようになってから、作品を読むたびに妙な既視感が混じるようになった。 『この言い回し、あいつが書きそうだな』  何度も、何度もそう思った。  コイツが俺の作品を研究していたように、俺だってノキに対して同じような事を自然とやってしまっていた。コレは、字書きの性と言ってもいい。 『ノキって、もしかして……』  でも、そんな事実認められるわけがない。  だから、あのファンレターも読むことができなかった。だって、読めば分かってしまうから。文章は正直だ。一度気づけば、もう逃げられない。  なのに、なんで——。 (なんでっ、今ここで。逃げられない事実を突きつけてくるんだよ!) 「余生先生、大丈夫ですか?」  何も知らない顔でこちらを見つめる直樹を、急に妬ましく感じた。  それは、ずっと正体を隠されていたことに対する怒りではない。もちろん、肉欲でも、愛しさでもない。 ——俺も余生先生に憧れて投稿始めたんです! (……まだ書き始めて一年も経ってないくせに)  喉が焼けるように熱い。口が勝手に開いた。 「アンタ、ほんと面白いこと言うな」 「へ?」  声は冷えている。  でも、それを抑え込むのに必死な火種は、俺の中で燻り続けていた。 (好きなもん、書いてる〝だけ〟で……あんな)  それは、自分でもどうしようもないほどの——嫉妬だった。 「俺の作品をリスペクトしてるノキの作品を、俺が好きだと思えるなら……俺も、好きなもの書けてるってことか。うん、確かにな」  呟くように言うと、直樹の顔がぱっと明るくなった。 「そうです!だから、余生先生の作品は……!」 「好きじゃない」  その一言に、直樹の笑顔がぴたりと固まった。 「え?」  直樹は、最初からまっすぐだった。  好きなものを、全身で好きだと言ってくれる。この太陽みたいな橙色の髪だって、俺のキャラクターを真似て染めたと語っていた。  それが、あまりにも眩し過ぎて目を逸らしたくなることも多かった。 「あ、えっと……余生先生。それって、どういう」 「言葉の通りだよ」  言葉の途中でたたみかけるように言ってやれば、その大きな瞳がユラリと揺れた。俺の言葉一つで、ここまで自身の全てを揺らがせる。  そんな姿に、性格の悪い俺は、どうしようもなく思ってしまう。 (あぁ、マジで可愛い。好きだ。そして——)  直樹は、楽しそうに書いている。 (死ぬほどムカつく!!)  こっちは、こんなにもがき苦しみながら書いてるのに。俺には、これしかないってのに。 「なんかさ、最近のノキ先生の作品……あんま好きじゃないわ。飽きてきたかも」 「っ!」  ノートを抱えたまま、直樹が凍りついた。  脳内には「やめろ!」という声が激しくこだまする。でも、俺の口は止まってくれない。 「【ツク・ヨム】じゃあんま見ない系統だったし、最初は面白いと思ったけどさ。最近は、自分の作風に酔ってる感じが透けて見えて、ちょっとイタいっていうか」 「……」 「感想欄の他のヤツの意見にも一理あるなって、俺もそう思い始めたりもしてて」  一言ずつが、ナイフみたいに自分の喉を切っていく感覚。  それでも、もう引き返せなかった。 「なぁ、アンタもそう思わない?」  指先から、重ねられた直樹の手の温もりがじわじわと失われていく。最初に触れられた時は、あんなに温かかったのに。 (……氷みたいだ) 「あ、あ……そ、そっか。もう、余生先生はノキ先生の作品、あんまり好きじゃ、なかったんですね」  傷つく直樹の姿にジワリと優越感が滲む。  けれど、それもほんの一瞬の快楽に過ぎなかった。 「た、確かに……。ほんと、余生先生の言う通り。比べるのもおこがましいっていうか。ノキ先生なんて……ただの、余生先生の、真似で……下手で……」  その声は震え、顔は真っ青だった。どうにか笑おうとしているようだったが、結果として、全然笑えていなかった。 「そっか、もう好きじゃないんだ」 「っ!」  ポツリと漏れた言葉は、氷のような指先同様、もう何の感情も籠っていなかった。  渇いた唇、崩れていく表情。その一つひとつが、胸に刺さる。 (待て、待て待て待て待て。俺、今……何を、コイツに——)  ただ、今さら後悔しても、もう遅い。  言葉は凶器だ。まして、創作にまつわるそれは、臓物を直接殴ってくる。それを一番分かってるのは俺自身の筈だったのに。 「……余生先生。夜分遅くに、ほんと、すみませんでした」 「お、おい」  直樹は深く頭を下げると、何の感慨もなく立ち上がった。氷のような指先は俺から離れ、ギュッと握りしめられている。視線は俺の方なんてまるで見ていない。  今回ばかりは「怒ったのか?」なんて言えなかった。怒らせていたなら、まだいい。その方が、まだマシだった。 「俺、帰ります。おやすみなさい」  言い終えると同時に、直樹は手早く荷物をまとめて部屋を出ていった。  ストン。  ふすまの閉まる音が、やけに重く、ゆっくりと響く。  何も言えず、その場でただ茫然と閉じ切ったふすまを見つめる。そんな俺に、遠くから〝声〟が聞こえた。 ——自分の自尊心を守りながらも嫉妬心を抑えきれずに他人を攻撃する時って、こうならざるを得ないんだろうな。ダッサ。 「ぅ、ぁぁ……っ」  今まで他の創作者たちに向けていた軽蔑の感情が、すべて自分に跳ね返ってくる。逃げたくても逃げられない。  だって、どちらも「俺自身」が放った言葉なのだから。 「……死に、たい。しにたい、しにたいしにたい」  どうせ、死ねないくせに。  それすら情けないと思いながら、俺は顔を覆った。  まさに、ハンドルネームの通りだ。  本気の自分にすら向き合えない。だから、余生なのだ。消化試合みたいな、残りカスの人生。そんなんだから、まっすぐ向き合ってくれた相手すら——傷つけた。 「……俺も、大好きです」  体を丸め、震える声で呟いた声が、相手に届くことはもちろんない。  そして、その翌日のことだった。  【ノキ】のページは、【ツク・ヨム】から消えていた。

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