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25:なぜ私たちは〝黒歴史〟を消したくなるのか
十月下旬。
気が付けば、京明祭まであと二週間を切っていた。
「部誌、あと三ページ足りないんだけど!誰か手が空いてる人いない!?」
「え、まだ入稿してないの!?マジで終わるぞ!」
「うっそ、打ち上げの会場まだ押さえてないの!?早くしなさいよ、どこもすぐに埋まっちゃうんだから!」
各サークルが部誌の入稿や展示の準備で慌ただしく駆け回り、文芸棟の廊下はすっかり戦場のような熱気に包まれていた。
誰もが浮き足立つ中、俺は文芸棟の廊下の隅で、ぽつんとスマホを見つめていた。
あれだけ毎日、何かしらの通知に震えていたスマホは、今やひっそりと静まり返っている。感想通知も、更新のお知らせも、全部なくなった。
もう【ツク・ヨム】には、俺の——「ノキ」のページはない。
(はー……何やってんだ、俺)
俺がアカウントを削除してから一週間。
ブルーマンデーのバイトにも、余生先生の部屋にも顔を出せていない。
いや、元々バイトは入れてなかったから、別に問題はない。でも、あれだけ毎日入り浸ってた先生の部屋に、〝あの日〟を境にパタリと足が向かなくなった。
——最近、ノキ先生の作品……あんま好きじゃないわ。飽きてきたかも。
「まさか、余生先生が……俺の作品に飽きてたなんて」
ショックだった。
いや、実際はショックより、恥ずかしさが圧倒的に勝っていた。なにせ、余生先生に飽きられてるとも知らず、あの日の俺ときたら、自信満々でとんでもないことを言ってしまったのだ。
『余生先生の作品をリスペクトしてるノキの作品を、余生先生が好きだと思えるなら……それってつまり、先生は、自分の好きなものをちゃんと書いてるってことじゃないですか?』
(あ゛ーーーーッ!はっ、はっ、恥ずかしいぃぃっ!)
まったくもって、おこがましいにも程がある!
余生先生は俺なんかよりもずっと前から小説を書いてきた人なのに。それを、俺ときたら。
(世界が、俺を笑ってる気がするぅぅ……!)
結局、あのあと逃げるように部屋へ戻って、その勢いのまま、俺は【ツク・ヨム】のアカウントを削除した。
正直、最初に批判コメントを大量にもらった時の気持ちなんて比じゃなかった。理性も何もなくて、気づけば手が勝手に動いてた。
どうやら、人間の感情は、「悲しみ」より「羞恥心」の方が、瞬間最大風速は大きいらしい。
「……でも、先輩たちは〝創作者なら皆が通る道だ〟って言ってたし」
次の日、あまりにも俺が挙動不審だったせいか、花織先輩と陽田先輩が声をかけてくれた。
もちろん、本当のことなんて話せるはずもなく……。
とりあえず「今まで書いてた自分の小説を読み返してたら、急に恥ずかしくなって、衝動的にアカウントを消してしまった」とだけ伝えると、二人は、やけにあっさり頷いた。
『あら、そんなこと。あなたもようやく大人になったというワケね』
『創作やってると誰もが一度は通る道だよな〜。俺にもあったわ、そういう時期』
そ、そうなのか。俺だけ、じゃなかったのか。
そう言われてもちょっと信じられない。だって、SNSを見ればみんな楽しそうに創作してるように見えるし、【ツク・ヨム】にだって、今日も山のように新作が投稿されている。
だけど、もしかしたら——。
見えないところでは、みんなも俺と同じように、恥ずかしさに苛まれる夜を過ごしているのかもしれない。
「創作って業が深いなぁ」
俺は、余生先生に憧れて、とんでもない場所に来てしまっていたらしい。
「……だとしたら、余生先生も、俺みたいな恥ずかしい気持ちになった事があるのかな」
いや、先生に限ってそんな事はないだろう。
俺は【ツク・ヨム】のトップページを見下ろしながら、ぽつりと呟く。そこには、今日も変わらず、ランキング一位に余生先生の名前があった。
先週まで、感想欄でも、金曜倶楽部でも「最近つまんなくなってきた」なんて言われていた【那須与一】だったが、それも今は昔——。
「なぁ、昨日の更新分ヤバくなかった!?俺、マジで鳥肌立ったんだけど!」
「あー、ソレ。与一、マジでどうすんだろ」
「まさか、アレが伏線になってるとはなぁ。結局俺ら、一話から余生の手のひらで踊らされてたって事かよ。天才過ぎるわ」
今週に入り、連載中の【那須与一】は凄まじい急展開を見せ、再び圧倒的な熱狂を帯び始めていた。
「なんだかなぁ」
掌を返したような盛り上がりを背中で聞きながら、俺はスマホをポケットへとしまった。彼らは何もおかしくなどない。あれが「読者」の正しい在り方なのだ。
——なぁ、ノキ先生の今日の更新分は読んだか?
余生先生だって「読者」の顔をしている時はそうだった。
彼があまりにも楽しそうに俺の作品について語ってくれるものだから、すっかり勘違いしていた。「感想」じゃ先生に力を与えられないかもしれないけど、「作品」でなら、彼の創作の歯車の一つになれるんじゃないか、なんて。
「……そんなワケないじゃん」
そう。全部、俺の思い上がりだった。
俺がアカウントを消したって、余生先生は変わらず更新を続けてる。読者を惹きつけて、たくさんのコメントがついて。
たくさんの人に届けたいと、必死で〝表現〟に向き合って、パソコンに向かう、あの後ろ姿。
あの執念は、俺には到底持ちえない情熱だった。
(ま、俺は余生先生にだけ読んでもらえたら、それで満足だったもんな)
最初こそ俺も、「余生先生みたいな面白い作品が書きたい」だったはずなのに。
でも、彼と関わるうちに、それはぐちゃぐちゃに捻じれて、最後に出来上がったあの作品は——〝余生先生への、ファンレター〟だった
だから、アッサリと消すことができた。
渡す相手が望んでいないなら、俺のアカウントに存在価値なんてないから。
「でも、感想は伝えたいよなぁ」
そんなわけで、イチ読者に戻った俺は、そろそろ余生先生に感想をぶつけたくて、もう、溢れそうになっていた。
かれこれ、一週間も会えていない。
いや、勝手に会いに行かなくなったのは、俺の方なんだけど。
お陰で、飲み込んだままの熱が興奮に引火して、何度自室で鼻血を流したかわからない。出来るだけ早めに余生先生に会いに行きたいのは山々なのだが——!
——最近は、自分の作風に酔ってる感じが透けて見えて、ちょっとイタさもあるっていうか。
「ひっ!」
今の俺には、まだまだ余生先生に合わせる顔と心の準備が出来ていなかった。
(俺がノキだって言ってなくて、ほんっと良かったーーー!!)
これぞ、まさしく不幸中の幸い。
それに、確かにあの日のことは、思い出すたびに胃をひっくり返してくるが、文化祭準備のドタバタのおかげで、どうにか誤魔化しながら今日まで生き延びている。
「あっ、あっ、更新の時間……!」
グルグルと思考を巡らせながら、京明祭の準備にかまけていたら、いつの間にか余生先生の定期更新の時間を少し過ぎていた。
「ちょっとだけ。ほんと、ちょっとだけだから」
花織先輩に、急いで部誌の原稿を持ってくるよう言われていたが、今はそんな部長命令も俺の中ではあっさり棚上げされた。
チラチラと周囲を見渡し、誰もいないのを確認して、俺は矢のような速さで余生先生の作品ページへ飛んだ。
(あ、あれ?)
更新が、ない。
何かの間違いかと思い、慌ててリロードする。しかし、何度繰り返しても最新ページは、昨日のままだ。
「なんで?」
思わず、声が漏れる。
今まで余生先生が定時更新をすっぽかすことなんて、一度もなかった。じゃあ、SNSの方で何か——。
「んー、なにもない」
SNSにも、更新が遅れるという告知は見当たらなかった。そもそも、余生先生はあまりSNSに投稿するタイプではない。
一体どうしたんだろう。
そう、首を傾げかけた、その時だった。
「渡り鳥くん、えらく余裕のようだけど……。だったら、その手の中の原稿は、そりゃあもう私を楽しませてくれるんでしょうね?」
「えっ、あ、ごめんなさい!」
花織先輩に怒られ、慌てて画面を閉じた。胸の奥には妙な引っかかりが残る。
(……先生、なにかあったのかな)
けど、その気がかりを抱えてる余裕なんて、次の瞬間には消え失せた。
なにせ俺は、由緒正しき京明大学の文学七曜会、その全てに所属する〝渡り鳥〟だ。締切を目前に控えた各文学サークルの修羅場は苛烈を極め——。
「おーい、渡り鳥!木曜の志々島が急遽、お前に原稿頼みたいって探してたぞー」
「お、渡り鳥!昨日頼んだ校正作業はどこまで進んだ?まだコッチ回ってきてないんだが」
「渡り鳥クン、ちょうどよいところに!印刷所の入稿期限って何時までって言ってたっけー?」
「おいおいおいっ!渡り鳥ぃぃっ!お前の持って来たコレ、水曜の原稿じゃねぇか!危うくBLがうちの部誌に載るとこだったぞ!?」
渡り鳥君。渡り鳥君、渡り鳥くーーん!
「あ、あ、あ……あ゛ーーーッ!」
俺は、七曜会の京明祭にかける熱を完全になめていた。
ええ、なめておりました。
「じ、じぬぅ……も、むりぃ……」
「あら、渡り鳥くん。もう泣きごと?あなた、まだまだ京明祭の深淵に指一本すら突っ込んでいないというのに。修羅場は、ここからが本番よ」
「え?」
——直樹!京明祭は当日より準備が一番面白いんだぞ!
笑う爺ちゃんの顔が、締切前で死屍累々の深夜の文学サークル棟で、パソコンを叩く俺の脳裏をよぎる。
冗談抜きで半泣きになりながら、部室棟への泊まり込みが三日ほど続いた頃。
「……ただいま、俺」
やっとのことで自分の部屋へ戻ることができた。
とは言っても、着替えを取りに戻っただけで、まだまだ修羅場は終わっていない。
「ちょっと、だけ。ほんと、ちょっとだけ……」
フラフラになりながらベッドに倒れ込み、朦朧とした意識のまま、手癖で俺の指は【ツク・ヨム】の余生先生のページに飛んでいた。もちろん、この三日間分の【那須与一】の更新分をまとめて読むためである。
そう思っていた、のに。
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