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第21話 約束

 出発は2日後の朝に決まった。二人でその間どう過ごすかをサンドイッチを食みながら話し合った。調律後のためか、やはりレイの魔力回路の回復が早く、その日の午後は村の商店街を二人で歩き、一軒ずつ店を回った。立ち寄った小物屋で、レイはガラス製の小さな菱形の立体的なオーナメントを買い、クラウスは小さな写真が入れられるカメオを買っていた。レイがジト目で「まさかと思うけど」と言うと、クラウスはにっこりと笑うだけで答えなかった。レイは呆れたようにため息をついて、「絶対写真なんか撮らないからな」と伝えた。  帰宅してからレイはすぐに地下の研究室に向かった。買ってきた菱形のオーナメントの端を魔法で切断した。中の材質を確認して、洗浄液で綺麗に洗う。乾燥を待つ間に白衣に袖を通し、薬棚を見渡して使えそうなものを探す。ルミアの薬棚は、薬剤の時を止める古代魔法が常時かかっていた。レイのリミッター解除剤なんかより、この魔法の方が国にバレたら一大事だとレイは常々思っている。  薬棚にはガラス強化に使えるルーセア鉱の粉末もあった。魔法薬による物体への強化付与もルミアならできたのだろうが、レイにできるのは加工する職人が使うための魔法薬を作るまでだった。今回レイがそのルーセア鉱を選んだのは、単純に見た目がきらきらと光って綺麗だったからだ。ほかにも虹色のヴェルサノバ貝の粉末も少し拝借した。最後に、本来なら毒消しや鎮静成分として使われるフィルディナの葉を1枚取り出して、薬棚を閉じた。  レイは発熱抑制剤を噛み砕きながら、ビーカーとフィルディナの葉を調合台の上に置いた。調合台に手をかざし、魔力を込めて調薬魔法を行使した。調合台に刻まれている魔法陣が起動し、フィルディナの葉が宙に浮く。レイの掌から放出された液体状の魔力がフィルディナの葉を包み込む。フィルディナの葉が徐々に萎れていき、葉を包んでいた魔力が淡い青緑色に染まった。フィルディナの葉は、薬としても使われるが、着色料としても使われる。鎮静作用を持つ透き通る淡い青緑色の魔法薬を、レイは集中して高濃度に圧縮し始めた。魔法回路がだんだん熱を帯び始めるが、レイは自身の瞳の色に近くなるまで、魔法薬の濃縮を続けた。――そう、これは単なる自己満足だった。だが、こういうプレゼントがあってもいいんだということを、皮肉にもレイはセリル・グランディールから学んだ。  調合台の魔法陣が圧縮された魔法薬を液状に固定し終えたところで、レイはビーカーに注ぎ、調薬魔法を解除した。調合台の魔法陣が徐々に光を失っていくのを確認し、レイは先ほど乾かしていたオーナメントを持ってきて、中の乾き具合を確認した。まだ少し濡れていたので、レイは続けて風魔法を応用して中を完全に乾かした。オーナメントの造りを確認し、液体が漏れ出そうなところを魔法で慎重に溶接していく。ビーカーの魔法薬を少量オーナメントに注いで振ってみて、漏れがなさそうなのを確認してからルーセア鉱とヴェルサノバ貝の粉末を量を調整しながら入れた。オーナメントを満たすまで着色した魔法薬を注ぎ、切断した端で蓋をした。最後に溶接を施し、密閉して完成させた。オーナメントを振ると、レイの瞳と似た青緑色の薬液の中を乱反射する銀と虹色の光がゆっくりと揺れた。 簡易ベッドに腰かけて、光でオーナメントを透かしながら出来を確認して、レイは悩んだ。きっとクラウスはこの自己満足の塊を喜んで受け取るだろう。出来も悪くないと思う。ただ、受け取ったことによる気持ちの重さがクラウスの負担にならないかと思ってしまう。 レイは目を瞑って、眉間に皺を寄せた――。  出発の日はあっという間に来てしまい、レーヴェンシュタイン公爵家の馬車に揺られながら、二人は公爵領の中心地へと向かっていた。公爵家の馬車は、レイがルミアの魔法薬店まで乗ってきていた馬車よりも揺れが少なく、とても居心地が良かった。いや、居心地がよかったのは、向かい側の席に座る同行者のおかげなのかもしれない。  馬車での旅は非常に順調で、最初の二日間は様々な話をした。王都に帰ったら連絡をし合おう。毎日は難しくても、通信魔法機器で連絡は取り合おう。会えるタイミングでは会いたい、僅かな時間でもいいから。――同じ王都に行くというのに、まるで離れて暮らす恋人のような会話をして、二人でゆっくりと重ねられる残り時間を惜しんだ。恋人らしい話が尽きると、今度は二人で空中に魔法の構成式を浮かべながら、ああでもないこうでもないと議論を重ねた。古代魔法に適正がないというクラウスだったが、レイの現代魔法と古代魔法を組み合わせた式を見ながら、実用的な視点から構成式の組み立て方についてアドバイスをくれた。ルミアは感覚でなんでもできてしまうタイプだったので、レイは見て覚えるしかなかったが、実践慣れした魔術師と話す機会がそうそうなかったレイにとっては、とても有意義な時間だった。少し疲れたら、隣に座って肩を寄せ合い二人で眠った。幸せな時間だった。  馬車移動3日目、クラウスと一緒にいられる最終日。クラウスは転移港で降りてしまうが、馬車をそのまま使って王都まで行っていいと言ってくれたので、レイはその好意に甘えることにした。ここから新たに馬車の手配をするのは面倒だったので、非常に有難かった。  朝から二人黙したまま馬車に揺られた。隣に座って、手を握り合いながら、残されたわずかな時間をただ惜しんだ。離れがたいと手から感じる体温と互いの魔力を重ねて、石畳を走る馬車の音だけをただ聞いていた。  馬車が止まる。御者が扉を開き、見送ろうとレイも馬車を降りた。昇降階段を降りようとした瞬間、自然と手を差し出したクラウスの姿に、思わず笑みをこぼした。今でこそ、これは彼からの好意であることが分かるが、きっと少し前までの自分だったら、「なるほど、貴族位ではこうやってエスコートするんだと教えてくれてるんだな」としか思わなかったんだろうと思うと、他人からの好意に鈍感だと言ったクラウスの言葉を、もう少し真摯に受け止めなければいけないなと、レイは思った。  レーヴェンシュタイン公爵領にある転移港を見上げると、空へとのびる3本の塔が、転移港の中心に並び立っていた。それぞれの塔からすさまじい魔力を感じる。魔力石を使って断続的に転移魔法を行使しているのだから、その余波がこの程度で抑えられているのはむしろ高い技術力あってのことだろう。 「レイ」 クラウスに呼ばれて、レイは魔力の本流を湛えた塔から静かに視線を降ろした。寂し気な藍色の瞳と、こわばった表情のクラウスがレイを見つめている。その表情に胸が締め付けられるようで、息苦しさを感じた。わずかな沈黙の後、クラウスが控えめに手を広げたので、レイは吸い込まれるように彼の胸に収まった。しっかりと背に回るクラウスの腕の力に負けないように、レイも腕に力を入れて抱き返した。 「……行ってくる」 クラウスの絞り出すような声が胸に響く。レイは静かに頷いて、彼の背から腕を離した。にもかかわらず、クラウスの手はなかなか解けなくて、レイは苦笑をこぼした。こんな悠長なことをしていたら、転移港の予約時間になってしまう。 「クラウス、餞別にもならないかもしれないが」 レイは迷いを断ち切るように切り出し、ポケットから菱形のオーナメントを静かに取り出した。結局渡すかどうかをずっと迷って、今の今までかかってしまった。心臓がいつもより大きく脈打っている。クラウスの手が背からゆっくりと離れて、彼がレイを見下ろした。クラウスの手を取って、陽の光を浴びて淡い青緑色の光を放つオーナメントをそっと置くと、彼の視線が掌に移る。オーナメントの中で柔らかく動く銀と虹の粉が彼の掌に彩を添えた。 「これ、は?」 聞かれても、レイは答えられなかった。作ったと言うのが少し恥ずかしかった。一緒に買ったオーナメントであることは一目瞭然で、それが形を変えて今はクラウスの手の中にある。その事実だけで、レイの心臓は早く脈打ち始めた。 「……一般的に、魔法薬の使用期限は3か月だ。まぁ、これは使用できるものではないんだが」 レイは口ごもりながら言う。 「クラウス。……もし君の気持ちがその間、変わらないなら――」 手が震える。のどの奥に力が入ってうまく息を吸えない。目の奥が乾くようだ。鎮まれ心臓。いつもの虚勢を今張らずしてどうするというのだ。 「これが色褪せてしまう前に、俺が喜ぶようなプロポーズをしてくれ。その時に、俺は君の気持ちに応えようと思う」 黙したまま、クラウスの瞳がまっすぐレイを捉える。レイは照れを隠したくて、意地悪く笑った。 「俺が喜ぶような、だぞ。期待外れだったら断るからな」 その言葉を静かに受け止めるように、クラウスはまた静かに手の中へ視線を落とした。掌に収まる小さなレイの気持ちを優しく指が包み込む。クラウスの眉が下がり、口元が綻ぶ。穏やかな笑みを浮かべながら、手の中の物に唇を付けた。 「これは、責任重大だ」 クラウスの一言に、レイの表情も自然に緩んだ。軽くクラウスの背を叩き、レイはクラウスを送り出す。 「行ってこい」 言葉にならない気持ちを全部込めて、レイは言葉を絞り出した。クラウスが笑って一度振り返り、片手を上げてからそのまま歩き出す。その背は振り返ることなく、まっすぐ前を向いて、転移港の中へ消えていった。 「……大丈夫、待つのは得意だから」 レイは再び聳え立つ塔を見上げた。雲一つない広い空に、ただ気持ちだけを馳せて。 ――後のオルディアス王国の歴史に、二人は名を残すことになる。 これは、運命に抗いながらも、魔法と誇りを携え歩んだ二人が、オルディアスという国の未来に、確かな爪痕を刻んだ記録である。

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