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第23話 厭味

「レーヴェンシュタイン公爵家、どうなっちゃうんだろうな。新聞によると三男がいるらしいけど」  魔紫根を調合台で蒸し上げているレイの隣で、フォルトンが新聞を広げながら話しかけてくる。レイはちらりとその新聞を盗み見て、また蒸し器に視線を戻した。その新聞はレイが大学の売店で買ってきた今朝の新聞だった。ディートリヒ卿の初公判まで残すところ1週間。ディートリヒ卿が拉致監禁傷害事件を起こしたと逮捕されてから紙面を賑わせていたが、その被害者については徹底して秘匿されており、様々な憶測が飛んでいた。例えば、自身の弟による下剋上を察知し、先手を打とうとしたのではないか、とか。ほんの少しの「ありえそう」という可能性が人の想像力を刺激して、根も葉もない噂となって好奇心を煽っている。今日の新聞では、頬の傷跡がきっちり映るようにクラウスの顔が載っていた。隠し撮りしようとした記者を察知していたのだろう、厳しい眼光の表情だったのを見て、レイは「なるほど、これが諜報部の鉄仮面顔」などと内心笑っていた。  レイは蒸された魔紫根の蒸気が冷却器に流れていくのを見ながら、フォルトンに軽く「そうですね」と相槌を打った。フォルトンが一度、ばさりと新聞を鳴らすように広げて記事を読んでいく。 「しかも、この傷害事件の被害者を助けたのも、別件で被害に遭ってたこの弟なんだろ? やっぱりこの人が継ぐんだろうなぁ」 「……領地を治める経験を全く積んでいない者が上に立つと考えると、領民としては慎重に選んでほしいっていう気持ちはあるでしょうね」 「そりゃそうさ。……うーん、貴族院でも話が割れてるって書いてあるな。補佐をつけてこの三男、クラウス卿に治めてもらうか、国王の傍系をレーヴェンシュタイン公爵家に縁組するか、みたいな。でも、どちらにせよ国王の力が強くなりすぎるのは貴族院としては面白くないから、このクラウス卿と縁を結ぼうと、各貴族が連日レーヴェンシュタイン公爵家に招待状を送ってるって書いてあるわ。逆に、これだけ顔もいいのにまだ結婚してないって、俺からすると、何か裏があるように感じるけどな。……それにしてもこの傷、勿体ないな。せっかく綺麗な顔立ちしてるのに」 フォルトンの言い分に、レイは苦笑して彼を見た。 「やけに気にしますね、先輩。レーヴェンシュタイン領出身でしたっけ」 「うちの実家がそこにあるんだよ。しがない革製品屋だからさ、いい領主について欲しいよ、そりゃ。……ディートリヒ卿もそんな悪い事するようには見えなかったけど、なんでこんなことしちゃったんだろうなぁ。……レーヴェンシュタイン公爵家って、顔がいい人しかいないんか?」 穴が開きそうなほどクラウスの写真を見ているフォルトンをじっと見て、レイは肩をすくめた。最後には顔の話しかしてないフォルトンの話のせいで毒が抜ける。 「ご実家、なんて名前の店です?」 「ヴァル革工房だよ。俺のひい爺さんの名前が由来らしい。これでも中心地に店を出してるんだぞ」 「へぇ。覚えておきます」 「何? なんか入用か?」 「俺の祖母の家もレーヴェンシュタイン公爵領の外れにあるんで、帰るときに寄ろうかなって」 「おう、そうしてくれ。実家に連絡いれとくわ。ぼったくれって」 「そこは口きいてくれるところでしょうに」 ケラケラと笑い合っていると、フォルトンが新聞を畳んで調合台を覗いてきた。すでに魔紫根の香りが誰もいない研究室に広がっている。もう少しで香料の抽出が終わるというところで、フォルトンが口を開いた。 「珍しいな。レイが香料の抽出なんて」 「えぇ。ちょっと、先輩の意地を見せてやろうと思って」 冷却器から出た液体を、調薬魔法を使って水と香料の素に綺麗に分離して、香りが飛ばないうちに香料の素に蓋をした。フォルトンが首を傾げるが、突然「あ」と声を出す。 「そう言えば、届いた? セリル・グランディールからのプレゼント」 「犯人は先輩ですか。俺の祖母の家教えたの」 調合台の上の物を魔法で片付けながら、レイがフォルトンをジト目で見つめた。フォルトンは悪びれもせず手をひらひらとさせている。 「いや、なんかあげたいものがあるのに、お前が見当たらないって言うから、おばあちゃんちに行くために休学したって言っただけだよ。そのあとは自力で調べたんじゃね?」 レイは顎に手を当てて考えた。グランディールという名前の貴族はいない。おそらく、叙爵はされていないが国に貢献したことにより家名を授かった一族なのだろう。名前の付け方の傾向として軍事系かとは思うが、それなら魔法薬科にいる意味も分からない。ただ、それなりに国防関係に近い家柄なら、レイの祖母の家ぐらい簡単に見つけられるだろう。 「見たいです?」 「え、なに? プレゼントを?」 「気になるんですよね?」 レイは鞄からセリル製の洗髪剤の小瓶とマスクを取り出すと、フォルトンへ洗髪剤を渡した。フォルトンが洗髪剤に解析魔法をかけ始めたので、レイは鞄からさらにセリルから送られてきた成分表も取り出して渡した。フォルトンは洗髪剤から目を離さず成分表を受け取り、何やら難しい顔をしながら考えている。 「……魔紫根に星苔? 洗髪剤には珍しい組み合わせだな。……レイ。まさかお前今つくってるのって――」 「洗髪剤ですよ」 レイは朝から作っていた材料を調合台に並べ始めた。フォルトンがそれを見ながら口を挟んだ。 「ヴェリフィア・ルートエキス、サンフィラクトエマルジョンが洗浄剤としての有効成分か。普通だな」 「えぇ。普通じゃないところは、俺の方でカバーします」 「……普通じゃないところ?」 レイは材料を並べ終えるとマスクをつけ始めた。それを横目にフォルトンがセリルの成分表とレイが置いたものを見比べている。 「……セリル・グランディールの方はサンフィラクトエマルジョンじゃなくて、ルミエリドを使っているのか。洗浄剤としては優秀だけど……何、アイツ、抜け毛でも気になってんの?」 フォルトンの言い草に、レイは噴き出した。流石に黙っているのは可哀想かとセリル・グランディールの名誉のためにレイは口を開いた。 「この洗髪剤、泡立てると香りが柔らかくなるギミックが仕込まれてます」 「へーっ! あいつ何年? やるじゃん……だから魔力加工しやすいルミエリドか。レイ、ちょっともらっていい?」 「どうぞ」 フォルトンが掌に少しだけ洗髪剤を出して香りを嗅いだ後、本格的な解析魔法をかけ始め、掌から洗髪剤が離れて宙に浮く。回転しながら洗髪剤は引き延ばされて円を描き、乱回転を始める。 「――はー、なるほどね。そう聞くと、納得の配合ではあるけど……俺だったら思い切ってヴェリフィア・ルートエキスをソリエンティスに切り替えるな」 「一気に女性用になりますね」 「そもそも香りに拘り持ってる時点で男向けかよ。香料ももっと女ウケするやつに変えちゃうわ」 フォルトンが解析魔法をやめて、宙を浮いていた洗髪剤を手で受け止めてもう一度香りを嗅いだ。そのまま研究室の隅にある手洗い場で泡立てて、匂いを嗅ぐ。 「うわ、ほんとだ。よく考えるなこんなの」 「ですよね」 「マルキオン教授、こういうの好きそぉ……絶対3年になったらゼミに誘うって」 「同感です」 レイは笑って同意してから、調合台の前に立った。さっき魔力回路の発熱抑制剤は服用した。あとはイメージ通りにやるだけだ。  魔力を練り上げて、調薬魔法を行使する。調合台の魔法陣が光を宿し、上に置かれた素材が次々と宙に舞い上がって、魔法陣の上をゆっくりと回り出す。まるでゆっくりと熱を入れるために鍋を混ぜるような速度で撹拌される。そこへ先ほど抽出した魔紫根の香料の素がさっと加わり、研究室に重く柔らかな香りが広がった。レイは掌から液体状にした魔力を放出し、星苔を魔力に混ぜ込んだ。 「……おいおい」 フォルトンが呆れたような感嘆の声を上げたが、レイの耳には入らなかった。レイはそのまま右手の指を握りこむようにして調薬魔法を上乗せした。魔力回路が一気に熱を持ち始め、息が上がる。先ほど付けたマスクが苦しい。それでもレイは魔法の行使をやめなかった。自分ならできると言い聞かせて、放出した魔力に加工を施していく。星苔の香りを魔力に染み渡らせるように。魔力の中で星苔がゆらゆらと揺れ、程よい香りが魔力にしみこんだところで、星苔をろ過した魔力を先に撹拌していたものの方に寄せる。撹拌していた薬剤に星苔の香りがする魔力を纏わせるような加工を施していく。最後にそれを反転させて、レイは用意していた3つ分の小瓶の中へ注ぎ込んだ。小瓶に蓋をして、調薬魔法を解除する。  レイは小瓶を持ち上げようと手を出したが、視界がぐらついて机にそのまま手を着いた。フォルトンが慌てて丸椅子を持ってきてくれる。 「なんつー力業でやるんだよ。加工しやすい素材を使わずに、それを自分の魔力コントロールだけで加工して入れ込むなんて」 フォルトンの言葉に、レイは丸椅子に腰かけながらマスクの下で大きく口を開けて笑った。ひとしきり笑った後、レイは出来上がった洗髪剤を見て言った。 「――厭味でしょう?」 「そうだな! お前にはできないだろっていうな! 俺にも刺さったわ!」 そんなことを言うので、レイはフォルトンの肩をしっかりと2回叩いた。フォルトンが大げさに「いてっ!」と声を上げるが、レイは構わずに続けた。 「先輩、魔法薬の染料の研究してるじゃないですか」 「うん、そのために院に進んでるし」 レイは息も絶え絶えだったが、大きく息を吸ってまた続ける。 「俺の目の色、どうやったら出せます? やってみたけど、やっぱりなんとなく、納得できないんですよ」 「……あのなぁ、魔力の質によって同じ材料使っても発色は異なるの! 俺の魔力でやった配合で試したって、たぶんお前がやったらちょっと変わるぞ」 フォルトンの言葉に、レイは尚も食い下がった。フォルトンの両肩を熱に浮かされながらもしっかりつかんで揺さぶる。 「アドバイス、アドバイスくださいよ。納得できないんですって。前作ってたじゃないですか、俺の目の色! 見せろって言って作ってたじゃないですか! これ一本あげるので教えてくださいよ!」 「あ、あー……食堂にバイトに来てた女の子にプレゼントしたやつね? いきなり苦い記憶思い出させて来るし……。なんだ、いったいどうした」 落ち着けと言わんばかりのフォルトンに、レイは肩を掴むのをやめて、大きく息を吐いた。レイは言うか言うまいか迷ったが、クラウスの名前は出さずに、自身の黒歴史とも言えるプレゼントを作ったことを正直に話した。フォルトンは真剣に聞いているふりをしていたが、口の端が上がっているのをレイは見逃さなかった。今にも笑い出しそうなのをひたすらに我慢しているのが手に取るように分かり、レイは魔力回路の発熱に上乗せするように羞恥で顔を赤くした。 「いや……まじか。レイ、なんていうか。フフッ! お前からそんな甘酸っぱいこと聞けると思わなくて、グフッ……うん、良いと思う。好きな奴、できたんだ。おめでとう」 「噛み締めるぐらいなら盛大に笑ってください」 「いやいや、俺は一種の感動を覚えているよ。人の好意に無頓着だったお前が人を好きになって、あまつさえ手作りのプレゼントに自分の目の色をチョイスするってところが、もう……成長じゃないか!」 「揶揄ってるじゃないですか!」 レイはマスクの上から顔を仰いだ。フォルトンが「マスク取れば?」と言ってくるが、レイは「いえ、大丈夫です」と断った。フォルトンはうーんと唸りながら思案する。 「……で、告白されて、3か月経って、お前がやったプレゼントが退色するまでに応えることになったわけだ?」 「あっちの気持ちがまだ続いてたらですけどね」 フォルトンが肩をすくめて呆れたようにレイを見つめた。レイはそれを避けるように、先ほどまで立っていた調合台の上に視線を向けた。すると、ため息が聞こえてくる。 「寂しいこと言ってやるなよ。お前もさ、応えてやりたいんだろ?」 フォルトンの優しい一言にレイは丸椅子の上に足をのせ、ただ無言で膝を抱えた。

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