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第24話 藍色

 初公判まで残り2日。レイは午前中にマルキオン教授に言われて、初公判に着ていく服の一式を買いに出ていた。着ていくものはあるのかと聞かれ、記憶を投影する魔法で手持ちのフロックコートの写真を見せると盛大にため息をつかれた。名刺入れから店名のカードを一枚抜き取って、「とりあえず、ここ行ってきて。既製品の直しもすぐやってくれるから……今すぐ!」と言われて研究室を追い出された。店のカードですら高級そうな紙を使われていて、王都の貴族御用達の店が並ぶ一角の店舗に行ってこいなんて、レイは心細さで泣きそうだった。  辻馬車を捕まえて店に向かっている間に、レイは通信魔法機器に入っているメッセージの履歴を見ていた。5日前くらいにはきちんと入ってきていたクラウスのメッセージが途絶えており、レイは心配していた。最後にこちらからメッセージを送ったのは3日前。返信をするだけの時間も取れないのであれば、再度こちらから連絡するのは少し憚れる。 「さて、どうするかな」 レイは、クラウスに了解を取るべきか迷っていることが一つあった。メッセージの最新履歴を見ると、それはクラウスではなく、セリル・グランディールのもの。 ――洗髪剤のレポートについて、拝読いたしました。また、レイ先輩が作った洗髪剤もいただけるとのことなので、ぜひ今晩食事でもしながらお話いたしませんか。 メッセージを開いて、レイは目頭を押さえる。もし自分が逆の立場になったなら、恋人に好意を持っている人物と二人で食事になんて行かせたくはない、だろう、たぶん。想像でしかないが。ただ、セリルがレイに好意を持っているというのは懐疑的だが、あからさまにに警戒をするのも違う気がする。  レイは通信魔法機器でフォルトンに通信魔法をかけた。暇を持て余していたのか、フォルトンと通話がすぐに繋がり、黄みがかった赤色の魔法陣が通信魔法機器から浮かび上がった。 「ん? どうした?」 「先輩、今お話ししてても大丈夫ですか?」 「あぁ、いいぞ」 魔法陣から、ずずっとフォルトンが何かを飲む音が聞こえてくる。レイも馬車の音があちらに聞こえているんだろうなと思うと、通話がきちんと聞こえるか心配になった。 「今晩、暇ですか?」 「は?暇、だけど」 「飯行きません? セリル・グランディールと、一緒に」  マルキオン教授から紹介された店舗に到着し、恭しく頭を下げる店員に恐縮しながら店のドアをくぐると、すぐにフィッティングルームへ通された。 「ウィルザック・マルキオン様からお話は伺っております。フロックコート、ベスト、スラックス、サスペンダー、靴下、靴、帽子、ポケットハンカチーフ、手袋、タイ。以上10点のご用意が急遽必要と伺いましたが、お間違いなかったでしょうか」 そう言われ、レイは小さく「あ、はい」としか答えられなかった。既製品とはいえ、こんないかにもな高級店でレイは買えるんだろうか。祖母から依頼料としてもらった金額で足りるのだろうか。レイの顔はこわばっていた。店員がにこりと微笑み、一枚の紙を渡してくる。 「ウィルザック・マルキオン様から、ご伝言でございます」 差し出された店舗の名前が入ったメモ用紙に、ペンで書かれた文字をレイは読んだ。――とりあえず半年ぐらい、助手見習いとして、どう? これはその先払いってことで。  レイは苦笑した。後出ししてくるあたりが、いやらしい。こんなの、乗るしかないじゃないか。先日絶対やりたくないと思った助手だが、助手見習いなら、学会にもついていけるし、サルベルト教授からの嫉妬とか本人からのセクハラまがいの発言さえ乗り切れば、きっと大丈夫だ。……ただ、クラウスと会う時間は、無くなってしまうかもしれないが。  差し出されたメモ用紙を読み終えて、レイは頷いた。状況を察して店員がメモを下げると、レイはフィッティングルームで胴回りやら肩回りやらありとあらゆるところを測られた。その後は既製品のスラックスを履いて裾詰め用のピンを刺され、同様にベストとフロックコートもピンだらけになった。動いたら刺さるのではないかと思うと、レイは全身冷や汗だらけになった。シャツは襟元がすこし華やかな刺繍が施されているウィングカラーシャツを勧められて、普通のものでいいですと答えた。 「お顔がお綺麗ですから、やはり飾りたくなってしまいます」 「あの……一応、そんなに飾り立てる必要のないところに行くので……」 「そうですか……残念です。では、せめてタイは――」 「あの、普通のクラバットみたいなので」 そう言うと、店員は渋々タイの棚へ案内してくれた。希望の色を聞かれ、レイは裾詰め用のピンだらけの自分の姿を見た。こんな姿をクラウスが見たらなんて言うだろうか。いや、面白がってあれもこれもと言いそうな気がして、レイは苦笑した。 「……藍色、は、裁判所へ行くのにふさわしくないですかね」 「藍色、でございますか。いえ、最近ではフロックコートも紺色や灰色もフォーマルで着られますから、襟元だけ明るい色を入れられても、良いと思いますよ」 店員がタイの棚から引っ張り出した青系統の物を並べてくれた。一つひとつ吟味しながら、レイは一番記憶の中のクラウスの瞳の色に近いものを選んだ。所持したことのない色を選ぶ自分に戸惑い、やっぱり無難な色に逃げようかなと視線をあげると、店員がレイの手から藍色のタイを優しく取って巻いてくれた。 「お召し物が黒色だとしても、結び方一つでフォーマルな空気を崩しません。よく、お似合いですよ」 にっこりと笑う店員に促されて、レイは迷いながらも頷いた。 「……でも黒もください」 「ブレませんねぇ」 店員と笑い合いながら、レイはこの藍色のタイについてはクラウスに伝えないでおこうと思った。  一通りの品を選び終わり、直しは明日朝には仕上げると言ってもらえてレイは申し訳なさを胸に店を出た。先ほどフィッティングルームにいる際に通信魔法機器の通知音が聞こえたのを思い出し、呼んでもらった馬車に乗りながらレイはまた通信魔法機器を覗いた。メッセージの履歴を見ると、クラウスからの返信だった。 ――アルコールは入るか? 店の場所は? レイは驚いてもう一度内容を読み直す。店に入る前に、確かにフォルトンとセリルの二人と夕飯を共にする旨を送ったが、こんな時間に返信が来たことはなかった。たまたま見ることができたのか、毎回内容自体は見ているけれど返信だけはできなかったのか、いろいろな可能性を考えてしまう。ただ一つ言えることは、メッセージから驚くほど必死さを感じた。  アルコールを入れる予定はないが、まだ店も決まってない状態でどう返信をすればいいかわからなかった。そう思っていると、フォルトンからメッセージが届いた。クラウスへ返信する前にそちらを開くと、セリルがゼミに来たことと、店の相談をしたことが書かれていた。セリルと相談するのは気が引けていたので、それを代わりにしてくれたフォルトンには、感謝しかなかった。クラウスに店の場所を送ろうとしたところで、フォルトンから別にメッセージが届く。そのまま新しいメッセージを開くと、ただ一言「コイツは黒。ちゃんと恋人に了承を得ること」と書かれており、レイはクラウスへの返信の内容にさらに悩むこととなった。  大学の研究室に戻ると、フォルトンが「ん?」と首を傾げながらレイを見てくるので、レイは眉を寄せながら「なんですか」と答えた。 「髪、切った?」 「あ、やっぱりバレますか。少し整えてもらっただけなんですけど」 「まず、そんなリボンで結んでなかったし、なんか髪の毛もいつもより綺麗にまとまってる」 レイは後ろの髪を摘まみ上げながらリボンを見ようと思ったが、流石に見えなかった。辻馬車で大学に戻る際に、流石に裁判所用に一式揃えたのに髪型が浮いてしまうのはまずいと思い、理髪店に寄って整えてもらったのだ。フォルトンがレイを睨めつける。 「……浮気は推奨できんぞ?」 「今日のために整えたんじゃないですよ」 裁判があることを知らないとタイミング的にはそう見えるか、とレイは呆れるように肩をすくめた。 「教授は?」 「もう出たよ。マーベックさん来てたから、国安保関係じゃないか?」 フォルトンの答えに、レイは教授室で見た「レーヴェンシュタイン公爵領で製造された呪いの浄化薬についての考察」のレポートの山を思い出して、国安保と警察に呼び出されたのだろう。証拠となるものでもあるから仕方ないとは思うが、やはり無理をさせてしまっているなと感じる。加えて今日の買い物について代金の立て替えも買って出てくれた。レイはふと、もしかしてこれ、助手にするために囲い込みに入ってるとかじゃないよな? と一瞬考えたが、流石にそれはないと信じたくて、考えるのをやめた。 「で、恋人には連絡したのか?」 「したんですが、飲むのか、店はどこだ、とだけ聞かれただけで、そのあとの返信はないですね。……というより、本当なんですか? その、グランディールの……」 自分で言うのも憚られて、レイは言葉尻を濁した。フォルトンは研究室の丸椅子に腰かけながら、机に頬杖をついてレイを見てくる。 「研究室に入ってきてレイがいないことが分かったらめっちゃ不機嫌。なんとか晩飯の話をしたけど、腹立たしいほど不服そうだったぞ。一番最初に指定してきた店も、いかがわしい宿が隣の通りにあるところでさ。酔わせて持ち帰る気満々だったんだろ」 聞けば聞くほどレイは頭が痛くなった。フォルトンの隣の椅子に腰かけて、ため息をついた。 「……憶測でものを言うのは好きじゃないんですが」 「でも、その可能性を否定できなくて俺に声かけたんだろ? 前のお前より成長してるよホント」 フォルトンは褒めてくれるが、レイはどちらかというと、嫉妬深いと自称するあの男がどういう反応を示すかを考えただけだった。  レイはふとした疑問を口に出した。 「先輩は、男同士でも気にしないんですね、そういうの」 「あ? 今更何言ってんだ。魔法使いの世界で男も女もあるかよ。結局は調律の相性のいいところに収まっちまうんだからさ」 フォルトンの歯に衣着せぬ言い方に、レイは少し胸のつかえがとれて噴き出した。 「ですよね」 その反応に、フォルトンがニヤついてくる。 「なるほどなるほど。レイ君の封印されし伝説の杖を解き放った賢者は、男か」 その一言に、研究室中の声が止んだ。驚いてフォルトンと二人見回すと、広い研究室の全員がこちらを見ている。次の瞬間、学生たちがよそ見をしたことで、調合台で調薬中の物体が爆発四散し、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。その後片づけにレイとフォルトンが奔走し、セリルとの待ち合わせに遅刻する羽目となった。

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