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第25話 焦恋
「彼氏から連絡は?」
「……まだないです」
セリルとは現地集合にして、遅れること30分。学生がよく利用するような酒も提供している大衆食堂の前に着いて、二人は短く言葉を交わした。フォルトンが店のドアノブに手をかけながらさらに続けてくる。
「いいか、入ったら先にお前トイレ行けよ。出せるもん出しとけ。絶対中座するな」
「そこまで警戒する必要ありますかね」
「お前な……あいつとの出会いの話聞いたらそれぐらいして当たり前だ、バカタレ!」
珍しく怒っているフォルトンを先頭に店に入り、レイは頭をひねりながら後ろについて行った。入店と同時に店員から声がかかり、席へ案内される。横に長い店舗は入ってすぐ左右に分かれており、入って右手の方は大きなテーブルに椅子が何個も並べられており、ガヤガヤと客が飲んで騒いでを行っているのが見える。案内されたのは左手の方でこちらは比較的少人数の静かな客層だった。テーブルとテーブルの間は少し離されており、上から覗かない限りは他のテーブルが見えないように仕切りが置いてある。隅の方にはバーカウンターもあるように見えた。レイがまだ院生になる前は、いつも案内されていたのは右手側だったので、こちら側に案内されたのは初めてだった。
奥の方の席でセリルが片手をあげて場所を示したので、レイはフォルトンと無言で頷きあうと予定通り先に店員に声をかけてトイレを借りた。トイレから出て手を洗った後、一度通信魔法機器に目を通すが、やはり新着のメッセージは見当たらない。店の名前も、居酒屋だけど自分は飲むつもりもないことも送ったし、行くなとは言われていないんだからたぶん大丈夫なのだろう。
二人が待つ席に行くと、朗らかに笑みを浮かべるセリルと呆れるようにセリルを見るフォルトンがレイを迎えた。
「ご無沙汰しております、レイ先輩」
セリルが満面の笑みで声をかけてくるので、レイは苦笑しながらフォルトンの席の隣に座りながら皮肉交じりに応えた。
「ティアーモの香りがしなかったから、最初は誰か分からなかったよ」
「あー……あの時は、本当にすみませんでした」
フォルトンをちらりと見ながら言うセリルの言葉に、レイは小さくため息をついた。鞄から先日作った洗髪剤が入った小瓶と成分表を取り出して、セリルの前に置く。
「君からの“挑戦状”、充分楽しませてもらった。これは先輩としての、お礼だ」
セリルが小瓶とレポートを手に取ったところで、フォルトンは店員に向かって軽く手を上げた。すぐに来てくれた店員に簡単に食べられるものを2~3品頼んで、飲み物を聞かれる。レイはコーヒーを頼み、フォルトンに声をかけた。
「先輩は飲んでもいいですよ」
「送ってくからいい」
「じゃあ僕も送るんでお酒は辞めます」
レイとフォルトンの言葉に、セリルがそう続けたので、二人してセリルの顔を見た。注文がなかなか決まらず困っている店員に、レイはコーヒーを3つに訂正して注文を一度締めた。
「いや、なんでお前がレイを送るんだよ」
「なんでフォルトン先輩がレイ先輩を送ることになってるんですか」
「そもそも、なんで俺は送られることになってるんです?」
フォルトンとセリルの会話に口を挟むと、今度は二人からじっと見つめられて、ため息をつかれた。レイは眉を顰めながら二人を見つめ返すが、まるでレイの話などなかったかのように二人は話を進めた。
「お前、寮?」
「はい、そうです」
「そーかそーか。俺も寮だ、同じ方向だから一緒に帰ろうな」
「嫌でーす」
にこやかに睨み合う二人を交互に見てから、レイはもう用は済んだから帰りたくなった。暇を持て余して眼鏡を外して拭いていると、セリルが不意に声をかけてきた。
「レイ先輩。僕の洗髪剤、どうでした?」
「……レポートは送ったと思うが」
眼鏡をかけ直しながらレイがそう言うと、セリルは少々口を尖らせながら反論をした。
「感想ですよ、感想」
「そうだな。悪くない」
余韻も残さずレイは言い放つ。取り付く島を与えない言い方をしたのにもかかわらず、それでも尚セリルは食い下がってきた。
「レイ先輩の好きな香りになってました?」
言われて、レイは宙を見ながらクラウスにシャワールームで言われた一言を思い出した。
――他の男が作った香りを纏う君に、優しくできる気がしない。
今でも鮮明に思い出せるほど甘く耳の奥に響く言葉に、レイは思わず苦笑した。
「そうだな、及第点だが……俺が好きなのは、そっちだ」
そう言って、レイは先ほど渡したセリルの手の中にある洗髪剤の小瓶を指差す。
「答え合わせは自分の寮でやってくれ。大衆食堂で蓋を開けるのはナンセンスだ」
セリルが蓋に手をかけた瞬間、レイは静かに釘を刺す。そして、店員が運んできたサラダの皿を、無言でフォークの先でつついた。
飲んではいないが、飲み直したい。そんな気持ちになりながらレイは大衆食堂を出た。フォルトンとの打合せ通り、レイは基本的にセリルに自ら話しかけることはしなかった。基本的に会話の主導権をフォルトンが握り続けてくれたおかげで、セリルと変な雰囲気になることもなく食事を済ますことができたが、終始張っていた気を抜ける瞬間が欲しかった。結局二人がレイを送ると言って聞かないので、「なら、俺が二人を送ればいいんですよね」とレイが言い出すと、二人から「それはダメ」と声を揃えて言われた。なんだかんだ二人は気が合うんじゃないだろうかと思わなくもない。
国立魔法大学へ歩いて帰られない距離でもない上、辻馬車が走っている時間でもないので、皆で大学に向かって歩く。体力のないレイとフォルトンが口数少なく歩いている隣で、セリルだけが元気に話を始める。
「レイ先輩はなんで寮じゃないんですか? 移動が面倒じゃないです?」
レイが苦々しくセリルを見ると、フォルトンが疲れをにじませながら笑った。
「レイは寮を追い出されたんだよ。ほぼ物置にして、同室の奴から苦情が出た。部屋の半分が魔法薬資料になってる部屋とか住みたくないだろ。……どうせアパートもそうなんだろ?」
「いや、今は逆ですね。私物が少し置いてあるだけで、あとは寝るための部屋です。欲しい資料は資料室に依頼をかけるか、買った上で資料室に寄付してます」
「ならもう寮に入れよ」
「逆戻りしそうですし、寮って夕食代を取られるじゃないですか。先に申請出しとかなきゃいけないのが、なかなか……」
「お前、よく魔力ぶっ飛ばして気絶するもんなぁ。確かにそれじゃ申請間に合わないか」
その会話を聞いたセリルが、むっとした顔を隠さずに「フォルトン先輩には聞いてないです」と呟いたのが聞こえる。その一言に、レイは隣を歩くフォルトンを見た。フォルトンもレイの方を見ており、顎をくいっと前に出して「言えよ」って合図を送ってくる。レイはため息をついて、後ろを歩くセリルに向き直って立ち止まった。セリルは少し驚いたように立ち止まる。
「グランディール。俺は人の機微に敏い方じゃない。だから間違っていたら笑ってくれて構わないが――」
「いや、あってるって。そんな前置きしなくても」
レイの言葉にフォルトンがちゃちゃを入れてくるが、レイは構わずセリルを見据えた。セリルがきょとんとした顔をしながらレイをまっすぐに見てくる。夜でもきらきらと輝いて見える瞳の圧に耐えながら、レイは意を決して口を開いた。
「……君からたまに感じる感情は――好意だろうか。そうだったとしたら……それは、受け取れない」
そう言った瞬間、セリルの表情が固まったのが暗い視界でも分かった。ひゅっと息をのむ音が聞こえる。自分よりも背が高く、ガタイもいい男がなんだか小さく見えた。夜のひんやりとした空気が動いて頬を撫で、遠くの喧騒が小さく聞こえる。レイはセリルの言葉を待った。何言ってるんですか、そんなこと思ったこともないですよ、なんて言葉を期待しながら。
長い沈黙の後、セリルは俯きがちに口を開いた。
「それは、なんでですか?」
疑問の形をとった肯定に、レイは目を伏せた。セリルと会ったこともないクラウスでさえ分かったことが、レイには分からなかった。可能性を捨てきれないなんて言いながら、「そうあってほしい」という願望が先行していただけじゃないか。
レイは理由を伝えるために口を開いた――その時だった。
上空にいきなり現れた魔力を練り上げられる気配にレイとセリルはとっさに3人を包むドーム型の結界を展開した。見上げた空に白い閃光が見え、レイはとっさに屈んだ。ぎりぎり展開した初級結界2枚分に雷が落ちる。衝撃こそないものの、音と突然の閃光に心臓が跳ね上がった。レイが外側に張った結界が砕けるとともに、雷による一撃は止んだ。
フォルトンが結界の中でしゃがみこんで叫んでいるが、近いのにまるで遠くにいるような小さな声に聞こえる。まずい、耳がやられている!
「グランディール、気を付けろ! 初級結界は敵の物理攻撃には――ッ!」
聞こえないかもしれないが、レイは叫んだ。視界の端にきらりと何かが光って、レイは身をよじった。道端の茂みからナイフが勢いよく飛んできて、街路樹に突き刺さる。外したことにより、茂みから黒い装束を纏った人影が躍り出た。手にはやや短めのスティレットが握られている。レイはとっさに鞄でスティレットの切っ先を受け止めた。ドッと衝撃が腕に伝わり、針のように鋭い切っ先が鞄を突き抜け、レイの腹にもう少しで刺さるところだった。死の気配がすぐそこに感じ、レイは体が震え始めた。
鞄からスティレットが引き抜かれ、追撃が来る。レイは初級氷魔法の構成を即座に組み、魔力を練り上げる。鞄にスティレットが再び突き刺さった瞬間、魔法を行使した。バキッという音とともに鞄の布地に厚い氷が広がり、相手の手首を飲み込んで鞄ごと凍り付いた。しかし、目出し帽から覗く相手の目に殺気はまだ宿っている。
「くそっ!」
焦りで舌打ちをする。辺りを素早く見渡すが、フォルトンもセリルも無事だ。他の敵影は見えない。となれば――狙いは、俺か。
また上空で魔力が練り上がる気配がする。セリルも気が付いたのか、第二撃に備えている。
凍り付いた鞄ごと引っ張られ、レイは手を放した。初級魔法も、連発すれば魔力回路のオーバーヒートは免れない。夕方に研究室の掃除のために発熱抑制剤は服用済みだが、そろそろ効果は切れ始める頃だ。リミッター解除剤が入っている鞄も、今は敵の手の中にある。
空が光り、雷鳴が轟き再び結界に落ちる。耳を塞ぎ、目を半分閉じながら目の前の相手からの打撃をなんとか避ける。セリルの結界が耐え切れず砕けるのが見えた。――逃げるか? ダメだ、目の前の敵は魔法使いでないにしろ、上空の敵が身体能力強化をかけてきたら逃げられない。
レイに襲い掛かろうとする敵との間に、セリルが割って入った。セリルの拳を避けながら敵が大きく飛びのき、凍り付いた手を地面に叩きつけた。氷に大きくヒビが入り、手首から先の氷の塊が外れて落下した。相手の手と得物が解放される。攻撃用の魔法薬さえあれば援護ができるものの、王都で対魔法使い用の強力な攻撃用魔法薬を街中で所持するには、理由と許可証が必要となる。
――どうすれば、どうすればいい。
上空でまた魔力が練り上がる。次も雷か? それとも違うものか? 初級結界魔法で耐えうるものなのか? 祈るような気持ちでレイは魔力を練り上げ、初級の結界魔法を展開する。しゃがみこんでいたフォルトンがレイに倣って初級結界魔法を展開した。上空から光の矢が降り注ぐ。外側にあるフォルトンの結界が矢を受けてヒビだらけになり、貫通して内側に張ったレイの結界に突き刺さる。頭の中で構成を切り替えて、傷がついた先から結界を修復し続ける。降り注ぐ矢を受けながら、レイはひたすらに耐えた。熱を帯びながらもなんとか動いていた魔力回路が突然悲鳴を上げ始め、体中が焼けるように熱くなる。――発熱抑制剤が切れた。
レイは膝をついた。頭がぐらついて、汗が全身から噴き出す。それでも耐えねばいけない。ここで耐えねば――皆が死ぬ。視界がゆがんで、狭くなる。魔力回路が焦げ付きそうだ。
気が遠くなりそうな程長く振り続ける矢の雨に、レイは地に手を着いた。結界の修復が追い付かない。フォルトンがもう一度結界を行使し、レイの結界の一回り外側に結界が展開される。レイはゆっくりと地面に身を倒した。ひび割れた結界越しに天から降り注ぐ光の矢を見る。
何故自分が狙われているかもわからない。ただ言えることは、フォルトンとセリルを巻き込んでしまったということだ。クラウス、君もこんな気持ちだったのか? 訳も分からず襲撃され、汚染された魔力でなんとか生き延びていたのか。死にたい気持ちを隠して、よく生きていてくれた。本当に尊敬する。
フォルトンの結界がヒビだらけになり、レイの結界に矢が刺さり始める。息が苦しい。もう持たない。ごめん、ごめん。
あぁ、不甲斐ない。
レイの顔めがけて飛来した矢が結界に突き刺さる。他の矢もまばらに落ちるのではなく、レイの上を狙うように集中的に落ち始めた。
「レイ!」
フォルトンが叫ぶ声が聞こえる。矢が結界を突き抜け、レイのみぞおち目掛けて矢が落ちていく。その切っ先がレイの体に触れようとした瞬間、レイを懐かしい魔力が包んだ。
矢が弾け飛んで地に刺さるのが見え、レイは目を見張った。レイの周りに結界膜が張られている。
「がぁっ!」
セリルと戦っていた黒装束の敵が悲鳴を上げた。首をひねってセリルの方を見ると、黒装束の男が首を押さえて宙に浮かんでいる。その状態をセリルもぽかんと眺めていた。
「レイ」
声が聞こえる。心配そうに自分に向けられる低音に、レイは目を細めて口を開いた。
「心配したんだぞ」
息を整えながら言った言葉は、なんとも格好がつかない。
「――だから、それはこちらの台詞なんだが?」
その言葉を皮切りに、黒装束の男の首を掴んでいる手が何もない空間から徐々に表れ始めた。手から腕、胸と空気から溶け出すように見え始め、細身だが鍛えられている長身の全体が現れた。白金髪が結界に刺さる光の矢に照らされ、藍色の瞳が静かにレイを見つめる。頬に痛々しい一筋の傷痕を携えて。
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