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第26話 白状

「被害者の安全は確保した。――狙えるか?」  クラウスが左耳につけている小型の機械に何かを話しかけている。その機械からラジオのような声が小さく漏れ聞こえるが、なんと言っているかは分からなかった。クラウスは男の首を掴んでいる指から魔力を放出し、男の首を絡めていった。クラウスが手を放すと同時に、黒装束の男の体がびくりと跳ね、地面に倒れた。魔法の構成を読み取る暇もないほどの、一瞬の魔法行使だった。  上空でまた魔力が練り上がるのが分かる。クラウスはまるで些末なことのように全員を包み込む強固な結界を張った。空から光の矢が密度を伴ってクラウスの頭上めがけて降り注ぐ。けたたましい音とともに光の矢が結界に着弾するが、クラウスの結界はびくともしない。クラウスが眉を顰めながら、うるさいとでも言うように右手で結界を撫でるような素振りを見せると、光の矢が弾かれる音さえも遮断された。  クラウスがこちらを見ている。レイは朦朧とする意識をなんとか保とうと、クラウスを見つめ返した。クラウスの愁いを帯びた瞳が逸れ、また光の矢を降らす天を仰ぐ。  一呼吸おいて、すさまじく強い魔力が北の方角から感じた。それは本当に一瞬の出来事で、一筋の細い閃光が空を翔けた。遥か上空で何かを貫き、その閃光は何事もなかったのように南の空へ突き抜けて行った。  またクラウスの耳についている小型の機械から声が漏れ聞こえる。クラウスが煩わしそうに機械に手を当てて口を開く。 「――ルミアだ。霊峰ヘイムディンズからの超遠距離狙撃だろう。……こちらの後処理のめんどくささを顧みないのはいつものことだ。諦めろ。死体の回収に人を回してくれ。……いや、死んだだろう」 そう言った瞬間、上空から黒い何かが降ってくる。その黒い何かがクラウスの結界の上に落ちて、音もなく結界を赤く染め上げる。 「いや、死んでいるな。確実に」 感情をのせない一言が結界内で響く。一部始終を見ていたフォルトンが、地面に手を着いて嘔吐した。  魔力回路のオーバーヒートを起こしたレイは、以前ディートリヒ卿の一件で傷を診てくれた女性が駆けつけて、魔力回路の応急処置をしてくれた。ただ、やはり魔力回路の応急処置については、呪いの諸症状に対する対処療法として、やり慣れているサルベルト教授の方が、処置後は動きやすかった。 耳の奥で大きく澄んだ共鳴音が鳴り、レイは腰に回された手の甲を摘まんだ。動きづらいレイの腰に手を回し、身を寄せてエスコートしようとしてくるクラウスをジト目で見上げる。 「おい」 レイの非難の声すらも嬉しそうに聞いているクラウスが、意地の悪い笑顔を見せながら口を開いた。 「相性がいい魔力と、離れない方が回復は早い。違うか?」 耳元で囁く低音が、腰に手を回されたときに耳の奥で響いた共鳴音を上書きし、レイは込み上げる恥ずかしさに俯いた。少なくともスプラッタ現場で言うことではない。 「抱えた方がいいか?」 エスコートされてもふらつくレイに、クラウスが心配そうに声をかけてくる。レイは小さく首を振った。 「いや、そうすると馬車の中でも膝に抱えられそうだ。このままでいい」 「……そうか、その手があったか」 「おい」 軽く笑うクラウスに支えられ、レイは馬車に乗せられた。広い馬車の中にはすでにフォルトンとセリルが乗っており、顔色の悪いフォルトンの隣には先ほどレイを診てくれた魔術師がついていた。空いていたセリルの隣に座ることになり、レイは戸惑いながらも座った。後からクラウスが馬車に入ってきて、レイとセリルの間に割り込んで座った。一気に座席が狭くなったが、馬車とクラウスに挟まれていたほうが、体がぐらつかずに済んでむしろ好都合だった。 「とりあえず、あなたの家で保護でいいのかしら? 本部では流石に預かれない」 フォルトンについてた女性が言う。クラウスが隣で頷いて続ける。 「情報開示はどこまで?」 「あまり推奨はされないわね。宣誓魔法を使ってくれるならあらまし程度なら許可できる」 「……一応聞くが、レイもか?」 接しているクラウスの魔力がざわりと緊張するのが分かった。どうやらクラウスは宣誓魔法が本当に嫌いになってしまったようだ。女性が肩をすくめた。 「当事者で、貴方が何者かも知ってる人よ。不要だわ。むしろちゃんと説明してあげなさい。恋人なんでしょ?」 女性の一言で、フォルトンがクラウスに視線を向けた。おそらく、クラウスの隣に座っているセリルも同様だろう。フォルトンが驚愕を隠さず、指を震わせながらクラウスを指す。 「は? え? だってこの人って、クラウス卿、だろ? ……え、レイ!?」 訳が分からないとフォルトンから向けられる視線に、レイは少し気まずそうに笑みを浮かべた。それを肯定と受け取り、フォルトンの視線は宙を彷徨った。馬車の背もたれに体を預けて後頭部を打ったようだったが、それすらも気にしてないかのようにフォルトンはまた口を開く。 「玉の輿じゃん……おめでとう」 「まだ結婚するかは……」 レイがそう答えると、クラウスがびくりと体を震わせてレイを見る。すがるように見てくる恋人の視線をとりあえず無視して、レイは眼鏡のずれを直した。女性がレイの一言を聞いて、気まずそうにクラウスを見る。 「え、なんか、ごめん」 「……いい」 「ていうか、こう言ってるけど……どうすんのよ」 「問題ない」 頑なに話を切り上げようとしているクラウスに、女性は眉根を寄せて険しい顔をした。 「いや、だってあなた――」 「バネッサ」 有無を言わさない一言に、レイはそこでようやくクラウスを見た。クラウスの横顔は普段レイに見せるそれではなく、新聞に載っていたような無表情だった。バネッサと呼ばれた女性は口を噤んで、馬車の窓にかかるカーテンを開けた。窓を開き、御者に馬車を出すように伝え元の席に戻ると、手早く窓とカーテンを閉め、腕と足を組んでそっぽを向いた。  ほどなくして馬車が出発すると、沈黙に耐えられなかったのか、セリルが口を開いた。 「いつからお付き合いを?」 その一言に、レイは咳払いをして座り直した。 「付き合い始めたのは、つい最近だ」 レイの言葉に、クラウスは自身の口元を手で覆った。セリルがクラウスの体を邪魔そうにしながら首を前に出してレイの方を見てくる。 「最近、ですか」 含みのある言い方をされ、レイはやはりそこは言われるよなぁ、と思いながら「あぁ」とそっけなく答えた。セリルが眉間に皺を寄せながらレイを見る。 「じゃあ僕に洗髪剤をくれたのはなんでですか!? あれは応えてくれたんじゃないんですか!?」 レイは予想よりはるか斜め上から飛んできた言葉に、はっとしてクラウスを見た。クラウスが口を押えていた手を離し、瞳で「どういうことだ」と語りかけてくる。あぁまずい。洗髪剤のことはまた嫉妬を向けられるかと思ってあえて言っていなかったのに。 「……洗髪剤? これのこと?」 フォルトンが自分の鞄から、セリルにあげたものと同じ小瓶を取り出して見せた。まだ中身も減っていないそれを見て、セリルは一瞬ぽかんとした。 「なん、で、持ってるんですか?」 セリルが動揺を隠そうともせず、フォルトンに聞く。フォルトンはしれっと言った。 「俺“も”お礼にもらったの。お前と一緒。俺の場合は先払いだけど。」 フォルトンがレイに目配せしてくる。レイは心の中でフォルトンの機転に感謝した。しかし、その気持ちはすぐにフォルトンに打ち砕かれることになる。 「クラウス卿、もしよかったら見せてほしいです。レイが作ったオーナメント」 レイが挙動不審に慌てて、クラウスの袖を掴み、首を振る。その様子を見ながらクラウスが、腰のポーチを開いて淡い青緑色のオーナメントを取り出した。  レイはオーナメントを取り出したクラウスの手首を掴んで、クラウスを睨みつけた。それすらも楽しそうにしているクラウスに、レイは羞恥のあまり叫んだ。 「な・ん・で、持ち歩いてるんだ馬鹿!」 「持ち歩かない選択肢はないと思うが?」 「持ち運ぶもんじゃない! 普通のガラスだぞ!? 強化もされてないのに持ち運んで、万一割れたらどうする! 危ないだろうが!」 捲し立てた後、フォルトンにも同じくキッと視線を向けると、フォルトンも半笑いで両手を上げた。 「先輩も、なんで持ち歩いてるんですか! その洗髪剤の小瓶だって強化はされてません!」 「俺はただの出し忘れ~」 舌でも出しそうなニュアンスで答えるフォルトンに、レイは歯嚙みしながらクラウスの手の中にあるオーナメントを引っ込めさせようとするが、クラウスの手はびくともしない。クラウスがレイの挙動を面白そうに眺めながら、耳元に口を寄せる。 「君がこのオーナメントのことを誰かに話したという事実が、私はとても嬉しい」 クラウスが反対の手でオーナメントを取り、フォルトンの前に掲げる。奪い取ろうと手を伸ばすレイの肩に手を置いて、クラウスはレイの額に唇を落とした。反射的に身を反らし、真っ赤になって額を押さえながらクラウスを見上げるレイを、クラウスが余裕の笑みを浮かべて制した。  フォルトンはそのままクラウスの手の中にあるオーナメントをしげしげと眺める。本能的に触れてしまうと嫉妬の対象になることを分かってか、フォルトンはそのまま口を開いた。 「これはフィルディナの葉、か? ほかに混ぜたりは?」 解析魔法を使わずに当てるフォルトンに、流石専攻しているだけあるなと感心した。レイは気を取り直して頷く。 「混ぜてはいないです。染色に使えそうなものが他になかったというのもありますが」 「いや、むしろフィルディナの葉だけでここまで自分の目の色に近付けられたのは、すごいと思うぞ。青緑っていうのがレイの魔力と相性が良かった可能性もあるし、一概にどれがかは分からないけど……」 フォルトンがうーんと頭をひねりながら思案を始める。 「他に混ぜると透明度が落ちる、か? 欲しいのはもう少し淡い発色だよな?」 「そうですね」 「このままでも充分綺麗だけどなぁ……うーん。他の鉱物を入れて作ることを考えると、透明度はそのまま残しておきたいな。黄緑を少し混ぜたいところだけど、この透明感を維持しながら加えるのか……ちょっとすぐには思い浮かばないな。検討時間が欲しい」 そういうフォルトンに、レイは黙って頷いた。フォルトンがクラウスに「ありがとうございました」と伝えると、クラウスも頷きながらポーチにオーナメントをしまって訊ねた。 「色に何か問題が?」 フォルトンは一度ちらりとレイを見た。レイは小さく首を振ったが、クラウスと目が合った瞬間にっこりと微笑んでフォルトンは白状した。 「レイ君が、その色納得してないみたいで、アドバイスを求められました」 「先輩?」 レイが青筋を立てながらフォルトンに語り掛けるが、フォルトンはいたって真面目な顔でレイを見つめ返した。 「レイ、この世界、長いものには巻かれるのも時には大事だぞ」 「もう守秘義務違反で洗髪剤返してほしい」 「だめ、これ本当にいい出来だから。使いたい」 「出し忘れてたくせに」 ため息をついて、レイは背もたれに体を預けた。クラウスの視線が気になったが、レイは気にしないようにして目を瞑った。早く目的地までついてほしいと願いながら。

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