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第27話 衝突

 レーヴェンシュタイン公爵邸に到着したときには、レイはクラウスの肩に頭を預けて眠っていた。はっと起きた時には、クラウスがレイを抱きかかえようとしており、レイは反射的にクラウスの整った顔面に掌を押し付けた。 「……照れ隠しにしても、もう少しやりようがあると思うが」 クラウスの素直な苦言にレイは「うっ」と小さく呻いて、視線を逸らした。顔がいいクラウスが悪いことにしてはいけないだろうか、と思考が逃げようとしたが、レイは小さく謝罪を口にした。  短い間だったが、魔力相性のいいクラウスと密着していたためか、体のだるさや熱はあるもののなんとか歩けるぐらいには回復できた。馬車から降りて一人で歩こうとするレイをエスコートしようとするクラウスの肩を裏拳で叩いて拒否の意を示したが、「皆に示しがつかないから折れてくれ」と耳元で囁かれ、レイは片眉を上げながら了承した。 「オーナメントをフォルトン氏に見せたことが、そんなに気に障ったのか?」 「それ“も”だ!」 小声で会話をしながら数歩歩くと、馬車の中からバネッサが「私は、事後処理してくるわ」とげんなりとしながら声をかけきた。広いレーヴェンシュタイン公爵家の敷地を一人馬車に乗って走っていくのを見送って、開かれた扉をくぐると、遅い時間なのにもかかわらず、4人の使用人がお辞儀をして迎えてくれた。一気に借りてきた猫のようになるレイを見てクラウスは苦笑しながら、 「こんな時間で悪いが、応接室を使わせてもらう。――アル、泊まるのは3人だ。頼めるか」 と、使用人に声をかけた。アルと呼ばれた執事は、恭しく礼をした後、使用人に指示を出していた。客室の準備とお茶の準備に手分けしていくのだろう。執事が先導し、広い玄関ホールの横にある応接室のドアを開いた。 応接室に入った直後、レイはまた小声でクラウスに言った。 「……他人行儀だな」 「言っただろう? 私はレーヴェンシュタイン公爵家を出ている、とね。ここは私の家ではあるが、居場所ではない」 クラウスの返答に、レイは小さくため息をついた。エスコートされ、ふかふかのソファに腰を下ろす。応接室は過度な装飾はなかったが、調度品の全てに品があり、色調も統一されていた。分厚いカーペットにも汚れは無く、手入れが行き届いている。豪奢ではないが、格式の高さで圧倒されそうになりながら、レイは同じく招かれた二人の客人を見た。  フォルトンなんか「ほへー」と声を上げながらきょろきょろとあたりを見渡していたが、セリルはレイの隣に座ったクラウスをじっと見つめていた。分かってはいたが、セリルの視線は決して好意的なものではなく、むしろ敵意を示している。助けてくれた恩人に対して、後輩がとった態度を諫めるか迷ったが、隣に恋人がいる状態で、先輩としての立場としてものが言えるかと問われると、正直自信はなかった。 「セリル・グランディール」 クラウスが突然セリルの名を呼んだ。まさか呼ばれると思っていなかったのか、セリルの目が少し開いた。レイも何を言うのかと、思わずクラウスの方を向く。クラウスは、一呼吸おいて、口を開いた。 「……レイのために、あの男と戦ってくれたこと……感謝する」 敵意を向けていた相手から感謝を向けられ、セリルは複雑そうな顔をした。黙ったまま少し俯くセリルに、クラウスはなおも続ける。 「グランディール……先の戦争で一個小隊の隊長を務め、叙爵こそなかったものの、その功績を称えられ家名を賜わった家門だ。現在は第2騎士団と第3騎士団に同じ家名の者がいるな。兄弟か?」 淡々と言い始めるクラウスに、レイの胃は冷えた。それはセリルも一緒だったようで、顔がこわばっている。一人状況が分かっていないフォルトンが、感心したようにセリルを見ていた。 「……僕のこと、は……調査済み、ということですね……」 セリルが呟いて、フォルトンがやっと状況を理解したようで、はっとした顔をしてクラウスを見つめた。当の本人は何も言わずに左耳から小型の機械を取り外し、トンッと軽くたたいた。機械の内側についていた小さな魔力石が光を失うのを確認して、クラウスはローテーブルにそれを置いた。  軽いノックの音が響き、アルがティートローリーを押して応接室に入ってきた。ティーポットから茶を注ぎ、順に配ってからまた応接室から出て行った。アルが退室した瞬間を見計らって、クラウスが一瞬で魔力を練り上げ、防音・盗聴防止の結界を張った。レイもセリルもそれに反応すらできなかった。――これが、最前線で戦っている魔術師か。 「すまない。今回の襲撃事件の関係者は、全員こちらの関係者が調べている。特に暗殺者と対峙できた学生なんて、念入りに調べる。レイの周りにいる者だから、というわけではないことは念押しさせてほしい」 襲撃事件からそう時間も経ってないのに、それだけ調べることができる情報網がこちらにはある。その力の開示でしかなかった。  クラウスの表情は、相変わらずの無表情だった。そんな仕事に徹している姿を見ると、レイは普段彼が自分に見せている姿が素の彼なのか自信が無くなった。 「以前の私なら、話を聞きたいならば宣誓魔法を使うよう言い、そのようにしただろう。ただ、私にとって唯一の最愛を、その命を賭して守ろうとしてくれた者に、そのようなことはしたくない。ましてや、レイが心を許した人なら尚更だ」 クラウスがちらりとこちらを見る。彼が発する言葉は、淡々としているのにどこか暖かかった。 「ただ、こちらとしてもタダで話すわけにもいかない事情があるということは、分かってもらいたい。……調べはついている、と言うことは先ほどの発言で分かっただろう。どうせそれを担保にされるのであれば、聞いたほうが気持ちとしては落ち着くと思うが、これ以上深く関わりたくないというのであれば、客室に案内する。……私が話せることは限られているが、それでも良ければ話そう」  クラウスの言葉に、応接室がしんと静まり返った。ローテーブルに置かれた紅茶の仄かな香りが湯気とともに立ち上る。誠実さと脅迫の混ざった問いに、最初に反応したのはフォルトンだった。クラウスをまっすぐに見据え、回答の意思を伝えるように片手を軽く上げる。クラウスが視線でフォルトンに発言を促すと、真剣な表情でフォルトンは口を開いた。 「一応確認なんですけど、レイの安全は守られるんですよね? 今後は、さっきみたいなことは起こらない、そう思っていいですよね?」  フォルトンの追及に、クラウスはレイを見た。 「一番確実なのは、レイにはここに残ってもらうことなんだが――」 「期間は? その間、大学へは行ってもいいのか?」 レイの発言に、フォルトンは眉を顰めて言った。 「お前……今そんなこと言ってる場合か?」 フォルトンの心配は尤もだった。ただ、レイにも譲れないものがある。レイは頭を振って答えた。 「なぜこんなことが起こったのか開示されてない時点で、良いとも悪いとも言えないです」 レイはクラウスに向き直って真剣な眼差しで気持ちを伝えた。 「……俺が大学に行くことで、皆を巻き込む可能性があるくらいのことが起こっているのか? 事態が収束するのはいつだ? 3日か? 半年か? 数年か? そうでないなら、俺は24時間大学を出ないっていう選択だってできるはずだ」 レイの問いに、クラウスの視線が戸惑うように宙を彷徨い、フォルトンとセリルに向いた。なるほど、これ以上は二人の意向を確認しないことには話せない、ということか。  フォルトンは自身に出された紅茶に口を付けて、半分ほど飲んでからローテーブルに戻した。 「俺としては、レイがもうそんな風に危ないことにならないなら、それでいいです。それ以上は、俺にとってはリスクにしかならないし。……あ、俺はレイの幸せ祈ってる口の人間なんで、クラウス卿、ちゃんと幸せにしてくださいよ? 俺は、寝ます」 フォルトンの言葉に応えるようにクラウスは軽く手を上げ、空気を撫でるようにドアに面する結界を開いた。 「――必ず、幸せにする」 結界の穴をくぐって出て行こうとするフォルトンの背に、クラウスがそう言い放つ。フォルトンは一度振り返り、ニッと笑って見せて、応接室を後にした。  応接室のドアが閉まると同時に、結界は再び静かに塞がった。閉塞感なのか緊張なのか、レイは小さく息をのんでセリルを見た。セリルは紅茶の色を吟味するかのように、カップを持ち上げたまま動かない。レイも自分に出されたカップを持ち上げ口を付けた。香りは少ないが、穏やかな気持ちになる味だった。寝る前に飲むための采配に、家の者からの心配りを感じる。――クラウスは居場所ではないなどと言っていたが、充分、使用人からも愛されているじゃないか。とレイは思った。 「……僕は」 重い沈黙の中、セリルは口を開いた。自然と視線がセリルに向く。セリルは紅茶に一口だけ口を付けて、そのままローテーブルに置いた。 「僕は、聞きます。レイ先輩は、何に巻き込まれてるんですか? それは、貴方のせいですか?」 セリルの鋭い視線が、クラウスを刺す。レイが隣に座るクラウスを見ると、クラウスは膝の上に両肘をのせて寄りかかり、口元で指を絡ませた。 「――そうだ。完璧に、私の私情にレイを巻き込んでいる」 クラウスは目を閉じて、ため息をつきながら顔を伏せた。 「レイ、すまない。私の到着がもう少し遅かったら、君は――」 「クラウス、いい。そう責めるな。皆無事だったじゃないか」 レイはカップを置いて、クラウスの背に触れた。共鳴音は澄んだ音がするものの、僅かにくぐもっていた。クラウスの体は小さく震えており、彼に与えてしまった恐怖心の大きさをレイは今更ながら思い知った。  クラウスは俯いたまま、静かに語り始めた。 「……およそ5日前、通信魔法機器にハッキングを試みた痕跡が見られた。私が普段使用している通信魔法機器は、国から支給されていて、最高レベルのセキュリティが施されている。それを突破してきたということは、この国に関わる者がしでかした可能性が高い。――国の内部に、私の弱みを握ろうとしている者がいる」 クラウスは、ゆっくりとセリルに目を向けた。 「そして、今度のディートリヒの初公判について、本日、秘匿されていた被害者情報が漏れたことが確認された。ある一誌の、夕刊に載っていた」 「――なんだって?」  レイが思わず声を上げると、クラウスがローテーブルの下から薄い夕刊を取り出して手渡してきた。【レーヴェンシュタイン公爵家の傷害事件初公判、2日後に迫る!】と煽りが入った記事に、【レーヴェンシュタイン公爵家の馬車より降りる人物】と注釈が入った写真が載せられている。それは、レイがレーヴェンシュタイン公爵家の馬車から降りた写真だった。遠目から撮影されており、肉眼ではその人物の判別は難しいだろうが、周りの景色から見ても国立魔法大学のふもとにある学生アパート街であることが分かる。記事の内容としては、事件が起きたレーヴェンシュタイン公爵領よりきた家紋入りの馬車に乗っていたこの人物が、被害者なのではないかとみられるとのことだった。この頃からすでにレイはあたりを付けられていたことになる。それを情報統制が敷かれていたにもかかわらず、表に出てしまったという事実は、事態の深刻さを物語っていた。 「……その記事を書いた記者は、すでに消息が分からない。そして、今日の襲撃だ。――レイ、君はもう私の弱みとしてマークされている。連中がどんな手を使ってくるか、私にも分からない。国立魔法学校のセキュリティも、国と提携して行っているものが多々ある関係で、決して劣らないことは分かっている。だが、今回は内部犯だ。どこにいても安全とは限らない。……私は心配だ。君にもしものことがあった時に、私はすぐに君の元へ駆けつけられる保証がない」 クラウスが静かに語る内容に、レイは夕刊を握りしめながら考えた。クラウスは、自身の隣以外は安全でないと言っている。だが、それが可能だったならば、すでにそうしていたはずだ。残されたレーヴェンシュタイン公爵家の人間として、毎日のように王宮へ参城していることは、前に通信魔法機器にやり取りしていた内容で知っている。  どうすれば、クラウスの不安を取り除けるのか。敵の本質が見えない以上、期間も分からない。 「……あなたの言い分だと、レイ先輩をここに閉じ込めておいても、安全とは言えないみたいに聞こえますけど?」 セリルがなおも刺すように言う。クラウスはそのまま深く頷くだけで、それ以上を語らない。彼の迷いと自責の念が、触れる背中の魔力から感じられる。  セリルが、わざとらしいぐらい大きくため息をついた。手を額に当てて、呆れを隠そうとしない。 「なら、僕が護衛すればいいですね」 意味が分からなくて、思考を停止させながらレイとクラウスはセリルの方を見た。こちらの反応を測りかねてか、セリルは何故分からないのかと畳みかけてくる。 「僕が大学で、つかず離れず、レイ先輩と一緒に行動していればいいんですよね?」 「待て待て待て、それは、俺が嫌だ」 レイが深いため息とともに断った。にも拘わらず、セリルは相変わらずの調子でにっこりと笑う。 「魔法に関するセキュリティについては、教授クラスは皆さん魔術師ですし? もうあとは盾になれる体があればいいわけじゃないですか」 セリルの言葉に、レイが反論しようと口を開いた瞬間だった。レイはクラウスの背から感じた恐ろしい魔力の波動に手を引っ込めた。クラウスが指をセリルに向けた瞬間、指から伸びた濃縮された魔力がセリルの喉元に当たる。その切っ先は針のように鋭く、先端が軽く触れたところから一筋の血が流れる。 「クラウス!」 レイが叫ぶ。だが、クラウスの殺気は消えない。 「セリル・グランディール。君は今、死んだ。その次の瞬間死ぬのはレイだ。……君には任せられない」 たっぷり一呼吸おいて、クラウスは魔力をセリルの喉元から引っ込めた。セリルは、詰まった息をゆっくりと整えるように喉に手を当てた。それでも、セリルの目は鋭さを持ったままだった。 「――なら、貴方の同僚でもなんでも、先輩に付けるべきでしょう! 自分じゃ守れないからって、僕に八つ当たりするなんて見苦しいにも程があります! 誰かに頭を下げることが嫌いなのかなんなのか知りませんけど、そうじゃないなら僕は勝手にしますから!」 そう言いながら、応接室のドアに向かって歩いて行くセリルのために、クラウスは結界を解いた。その背を見つめるクラウスの視線は、今にもセリルを殺しそうな程険しかった。 「……クラウス」 「分かっている。だが、突き刺さなかったことを褒めてほしいぐらい、今は心中穏やかではいられない」 目に手を当てながら、クラウスがそう呟いた。レイは、ただその背に手を置いて、震えるクラウスの魔力を感じていた。

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