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第28話 告解
クラウスが落ち着くのを、レイはその背を撫でながら待っていた。クラウスはすぐに大丈夫だと平静を装ったが、彼の魔力がまだ不穏なままだったため、レイは撫でる手を止めなかった。
「……こうされていると、レイには、本当に私の状態がお見通しなのだと実感するよ」
クラウスが自虐的にそう笑うので、レイは努めて明るく返した。
「あ、信じてなかったな? そうじゃなかったら、クラウスの魔力が呪われていたことに気付けるわけないだろうに」
「いや、信じてはいたさ。ただ、やはり眉唾物だったから……つい、な」
苦笑するクラウスに、レイは片眉をつり上げた。背を撫でるのをやめて、カップを持ち上げる。紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、魔力回路のオーバーヒート後のレイには、ちょうどよかった。
「心外だな、俺は嘘をついたことは……」
ない。そう言おうとしてレイは記憶を巡らせた。――いや、ある。一個だけ。でもまぁ言うほどのことではないか。とレイはそのまま口を噤むと、クラウスがむっとした目つきでこちらを見てきた。
「……どれが、嘘だったんだろうか」
「いや、気にしなくていいレベルの話だ」
「それも嘘だろうか」
クラウスの追及に、レイは苦笑いを浮かべた。うーん、と頭を振って、ここまで来たら話すか、とレイは自身の鞄を開いた。
「……もう一度、結界を頼む」
レイの一言に、クラウスの眉がぴくりと動いた。クラウスがまた先ほどと同様に防音・盗聴防止の結界を展開すると、真剣な眼差しでこちらを見てくる。
一度氷漬けにした自分の鞄は全体的に湿っていたが、気にせずレイは長細い魔法薬の品質保持用ケースを取り出した。表面を撫でるように封印を解いて、ケースを開いて中をクラウスに見せる。ケースの中に納まっているペン型の注射器を覗き込むクラウスに、レイは説明をした。
「以前、俺がどう説明したか覚えているか?」
「……あの時は、君が辛そうにしていた印象が強くて記憶がおぼろげだが――確か魔力回路の……」
クラウスが言葉を濁すので、レイは頷いた。
「そう、俺は“効率を上げる魔法薬”と伝えた。あながち間違ってもいないが、それは正確ではない」
次に、レイは鞄から発熱抑制剤のケースを取り出して、開錠魔法をかけてケースを開いた。中に乱雑に詰められた発熱抑制剤を見せながら、レイは続けた。
「ペン型の注射器の方には、普段飲んでいる発熱抑制剤の効果に即効性を持たせて、その分、持続性を落としたものが入っている。ただ、発熱を抑制しただけでは、結局使用している魔力回路の負荷は変わらない。他の詳しい成分についての解説は省くが、この薬を使用することで、俺の魔力回路は『強引に使える状態』を保てるようになる……俺はこれを、魔力回路のリミッター解除剤と呼んでいる」
レイは注射器のケースを閉じ、魔力を通して封印を施した。レイの魔力にだけ反応するようになっているから、これの保管は意外と簡単だ。クラウスはじっとレイの手の中にある品質保持用ケースを見ながら、何かを思案し、口を開いた。
「……仮に、もしそれを魔力回路に問題がない魔術師が使用した場合、どうなる」
レイは苦笑した。――やはり、そう考えるよな、魔術師なら。
レイはケースを鞄に入れながら、応えた。
「まだ治験にも至れていない薬だ。どうなると断定はできない。理論上の話になる。それでも、聞くか?」
その問いに、クラウスは迷うことなく頷いた。レイは小さくため息をつき、発熱抑制剤が入ったケースに施錠魔法をかけようとしたが、魔力回路のオーバーヒート後のため、魔力を練り上げようとするとすぐに頭がぐらついた。諦めて発熱抑制剤ケースに鍵をかけずに鞄へしまうと、レイはクラウスに言った。
「前提として魔法薬は、投与された人のイメージがものをいう世界だ。それは、人の魔力が精神と密接につながっていることを示している。例えば、魔法薬ではない一般的な薬は、『飲み薬は胃で消化され、肝臓で代謝されるから効き目が遅い』『点滴は直接血に流すから効きが早い』とされているだろう? 同じことが魔法薬にも起こる。実際は魔法薬の形状は魔力に対する作用にほぼ影響を与えない。加工がしやすいという理由だけで、液状が多いだけだ。だが実際は、『液状の魔法薬が多いのは、その方が魔力に作用するのが早いから』というデマが流れたせいで、統計上、液状の魔法薬の方が効きが早くなっている」
レイはそこで一度話を切った。クラウスが少し考えた後に反応を返す。
「つまり、魔法薬の効能は、魔力の相性以外にも相手の思い込みにも依存する?」
「その解釈は、正しい。ただ、魔力の相性は思い込みを超越することは、クラウスも体験したな? ほら、俺が調合した『魔力回路痛および汚染魔力の後遺症に対する即効薬』だ。あの時、俺を疑っていたのに、調合した薬を飲んだあとの効き目に驚いていただろう」
クラウスは、あの時レイに取っていた態度も一緒に思い出したのか、少し恥ずかしそうに顔を綻ばせた。レイは苦笑いしながら、クラウスに一つ問題を出した。
「クラウス。もし仮に、“思い込みの作用”が効能にも表れるとしたら、どうなると思う?」
レイの問いにクラウスは眉を顰めながら、すぐに答えた。
「効能は、強化されたり、逆に弱まったり……正しく、作用しない……?」
「然り。それを踏まえた上で、問おう」
レイは真剣な眼差しでクラウスを見た。クラウスもそれに応えるようにレイの目を見つめ返してくる。レイはクラウスの膝の上にある彼の手に自身の手を重ねた。
「クラウス、君は俺がこの薬を使った俺をどう思った? 普段使えない魔法を難なく使いこなし、危機を脱して見せた。俺ごときですら、あれだけの効果を得たことを――君は知っている」
静かに、訴えかけるように、レイは言った。クラウスの眉がその真剣さを受け止めるように寄っている。
「その効果を目の当たりにしたうえで、俺がもし『この薬は、魔力回路に問題がない魔術師の魔力回路の負担さえも無くし、軽々と大魔法を連発できるようになるぞ。君は、かの伝説の魔術師、ルミアと肩を並べられるかもしれない。ましてや、魔力の相性がいい俺が作った魔法薬だ。君なら不可能ではない』……そう言ったら、どう作用するかな?」
クラウスの目が、なんの感情も載せずにレイを見ている。諜報部として感情を隠すことに卓越しているクラウスが隠したその感情を、レイはクラウスの魔力から感じ取っていた。――そう、抗うことはできない。全魔術師の夢、ルミアという甘美な存在に。
「……まさか」
クラウスが呆れまじりに否定する。それを見て、レイは意味ありげに笑って見せた。じっとクラウスの目を覗き、そのまま数秒間たっぷりと見つめた。表情は変わらないのに、クラウスの魔力がざわりと動き始める。期待という毒を、心に宿して。
レイは視線を切った。再びカップを持ち上げて、残りの紅茶を静かに飲み干した。
「魔力回路は、魔法使いが魔法使いであるために必要であると同時に、人という殻を破らないための枷でもある。――結論から言おうか。……祖母と肩を並べるのは、難しいかもしれない。だがこの薬の仕様と理論上、それに近しいことは――可能だ」
そっとカップをローテーブルに置いて、レイは続けた。
「そして、この理論が正しいと証明されたとき……この薬は戦時に投与されるようになるだろう。魔術師に投与して、一時的に強化を施し、人間兵器とするために」
そこまで言い切って、レイはもう一度クラウスを見た。相変わらずクラウスの瞳から、考えを読み取ることはできない。レイはクラウスの手を離して、きちんとクラウスに向き直った。
胸元で両手を広げ、クラウスに掌を見せながら無邪気さを装った満面の笑みを作って見せた。
「――さ、どこまでが真実だと思う?」
「………………は?」
長い沈黙の後、クラウスの口から漏れた一言に、レイはにやりと笑った。ふかふかのソファから腰を上げて、体を思い切り伸ばす。その際あげた両手を降ろしたと同時に、また口を開いた。
「俺は、あえてこの薬を開発した時に、副作用を消すようには設計しなかった。本来なら、こんなものを作らなくてもいいような体でいたかった。そして、そうなるように今努力している。……クラウス、この薬は、俺のエゴそのものだ。俺に夢を見せるだけの、よくない代物だ。どうか、そう思っていてくれ」
座っているクラウスを見下ろして、レイは笑った。クラウスの表情は少し拗ねたようで、不覚にも少し可愛いとさえ思った。
クラウスは小さくため息をついて、結界を解いた。冷えたカップを持ち上げ一気に中身を飲み干して、ローテーブルに置いた。立ち上がって、再びレイの腰を抱いてエスコートをし始める。
「君がそう言うなら、私はそれを信じるさ」
クラウスがこぼす一言に、レイは呆れながら言葉を紡いだ。
「……信じこませることで魔法薬の効き目にも作用するから、『魔法薬士はうまく騙すのも仕事』なんて詐欺師じみた格言もあるんだぞ。逆に言うなら騙す俺を信じすぎるなっていう意味で言ったのに。伝わってないなこれは」
「いや、それは違う」
珍しくクラウスが反論するので、レイは目を丸くしてクラウスを見上げた。クラウスの表情は穏やかで、瞳が、触れる魔力が、全てレイを愛おしいと伝えてくる。
「君がもし嘘をつくならば、それは誰かを守るためのものだ。その確信を得たよ」
レイは肩をすくめて前を見た。応接室を出てクラウスに案内されるがまま歩く。階段を登りながら、クラウスはレイを見降ろして言った。
「君は余程のことが無ければ嘘はつかないだろうが……隠し事は多そうだな」
「ん? そうか?」
接しているクラウスの魔力が、また何やらふつふつと揺らぎ始めるのを感じながら、しばらく廊下を歩いて、部屋に案内される。広い部屋に大きな天蓋付のベッド、テーブルとソファが見える。奥の方には衣装部屋もありそうで、明らかに客室ではない様相の部屋に、レイは、もしかして、とクラウスを見上げた。
「そう、例えば……君が作った洗髪剤の件とか」
クラウスの瞳が、嫉妬の炎を宿している。レイは思わず顔をひきつらせた。
「そ、その話……今蒸し返す?」
「私の中ではずっと続いている」
「いや、お礼だって。あと、なんかもらった洗髪剤がちょっと面白くて、ついやり返してやりたくなっただけどいうか……」
言い訳をするレイの腰をぐっと抱き寄せ、唇を重ねてくる。呼吸を奪うかのように結ばれた唇をこじ開け、舌が侵入してきた。奥へと進もうとする乱暴なそれに、眉根が自然と寄る。舌が絡みつき、不意を突いて今度はレイの舌が吸い出された。舌の根が引っ張られて痛みを感じ、レイはクラウスの肩を思い切り叩いた。
クラウスの唇が離れたが、後頭部に回った手がそのままレイの頭をクラウスの胸元に導き、今度は強く抱き締められる。クラウスの鼓動と体温が伝わって、レイは思わず顔が熱くなった。眼鏡が顔に食い込み、鈍い痛みが走ったが、クラウスの嫉妬と不安が入り混ざった魔力が、レイを包み込んで離そうとしなかった。
クラウスの胸が大きく膨らみ、息が吐き出されるとともにしぼんでいく。まるで理性と戦っているような行動に、レイは見えないように、くすりと笑った。
「……大学へは、護衛を付けてなんとか行けるように掛け合ってみる。ただ、すぐに都合がつくかも分からない」
冷静さを装えるぐらいには落ち着いたのか、クラウスがそう言った。クラウスの胸の中から響く低音は心地よかったが、レイはそこで顔を上げた。
「護衛がつく学生なんて、VIP過ぎやしないか? 悪目立ちしそうだ」
「それは……すまない」
クラウスが申し訳なさそうな顔をする。それを見て、レイは眉を下げて笑った。――どうやら俺は、この顔に弱いらしい。
「……さて、俺だけ隠し事が多いと言われるのは、なんだか少し釈然としないな」
レイはクラウスの肩を押して離れると、二人掛け用のソファに座った。改めて辺りを見回すと、あまり飾り気のない部屋だが、置いてある調度品の一つひとつが高級そうで、使い込まれていて部屋に馴染んでいた。唯一ベッドとソファだけが最近新しくなったように感じる。おそらくへたったものを取り替えたのだろう。
「良い部屋だな」
思ったことをそのまま口に出すと、クラウスは苦笑した。
「……ありがとう」
その反応と返答に、レイはやはりここはクラウスの部屋だったかと思った。クラウスが応接室の時と同じように隣に座ってきて、軽いキスを落としてくる。その共鳴音は応接室で聞いたものよりも澄んでおり、レイは少しほっとした。
「さて、恋人にはちゃんと説明してくれるんだったか?」
レイがそう言うと、クラウスは静かに頷いた。
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