34 / 69

第30話 継承

 オーバーヒート後の応急処置がされていたこともあるが、魔力相性のいいクラウスと添い寝したことにより、比較的回復は早かった。――そして夜明けとともに盛りのついた犬の如く始まった調律のせいで、魔力に関しては非常に調子がいい。すこぶる眠いことだけが難点だ。  朝から風呂に入り、すっきりとした体でダイニングルームに向かって皆で朝食を食べた。セリルが終始不機嫌そうにしており、フォルトンが声をかけると、セリルがギッとクラウスを睨みつけた。 「誰かが朝から防音結界なんて張ったものだから、起きて眠れなかっただけですよ」 その一言で、レイはぎくりと身を震わせたが、クラウスは涼し気な顔で「それは災難だったな」と呟いた。その声に、どこか愉快そうな響きを感じた。  嫌がるセリルをフォルトンがなだめすかし、家紋がついていない上等な馬車に押し込んで、二人は大学へ向かって行った。二人を迎えに来てくれたバネッサが非常に呆れた顔をしているのを、レイはじっと見つめた。昨日の今日で疲れた顔をしていたバネッサの下唇は、熱を持ったように腫れており、自身のケアをする暇もなかったことを思うと申し訳なくなった。程なくして、呼び出された仕立て屋を乗せた馬車がやってきて、レイはクラウスの私室に連行された。衝立の向こうで着替えるよう指示をされて、何人か来た店の人の補助を受けながら着替えていると、なにやらクラウスがカタログを見ながらあれこれ注文しているのが聞こえてきて、サスペンダーでズボンを釣り上げたところでレイは慌てて衝立から顔を出した。 「……もしかして俺のを買おうとしてないか?」 そう言った瞬間、クラウスが非常に真面目な顔をして答えた。 「しばらく滞在するとなると、色々物入りだろう」 「そうかもしれないが……」 こんな高級な店で買う必要ない、などと店員の前で言えずレイはそれ以上の反論ができなかった。クラウスは立ち上がってレイの近くに寄ってきた。観察するようにレイの周りをぐるりと一周する。 「なんだよ」 「いや……着飾る姿を見るのは初めてだから、つい」 まだシャツとズボンしか着ていないのに? と思わなくもなかったが、指摘するのも面倒で、レイはそのままベストを羽織った。普段身に着けているものより生地も厚く織も綺麗で柔らかい手触りがして、レイは少し緊張した。じっくりと頭から足先まで観察してくるクラウスに、無言で仕立て屋の店員が二種類のタイを見せた。レイは藍色と黒色のタイを見ながら、脇から汗がじわりと滲み出たのを感じた。クラウスが一度レイの顔を見て、ふっと顔をほころばせると、店員の手から藍色のタイを手に取ってレイの首に巻き始めた。――バレた。レイはもう恥ずかしくて目を開けることができずにいた。 「……そんな可愛い顔をしていると、思わず唇が寄りそうになる」 耳元でそう呟かれ、レイは目を開けた。余裕の笑みを浮かべるクラウスを睨みつけてから、姿鏡で全身を確認する。やはり、既製品とはいえ、高級な品を使っているだけある。生地の光沢感が違う。 「着慣れないな……」 レイがぽつりとこぼすと、クラウスが不思議そうに反応した。 「ここまでなら普段の姿とそう変わらないだろう」 「服じゃなくて金額を着てる気持ちになる」 その言葉に、クラウスが一瞬首を傾げそうだったが、レイの視線を気にしてかそれ以上の反応をしなかった。フロックコートと手袋、帽子もかぶって問題ないことを確認し、受け取りのサインをした。レイは今後の返済労務についてマルキオン教授と相談しなければいけないなとため息をつきながら帽子をとって、箱にしまった。 店員が恭しく礼をして部屋を出て行ってから、クラウスはレイから脱いだフロックコートを受け取ってハンガーにかけた。ズボンとシャツも普段のものに着替えると、クラウスはまたレイの周りをぐるりと一周してにこりと笑う。 「いつものレイだ」 「当たり前だ」 そう言いながら、レイはループタイを付けて、普段着ている丈夫な生地のベストを羽織った。クラウスが、じっとレイのループタイに視線を向けるので、そう言えばクラウスに見せるのは初めてだったかもしれないと胸元にあるチャーム部分を持ち上げて見せると、クラウスがループタイを覗き込み始める。 「……これは、魔力石か? 中に魔法陣が見えるが……見慣れないものだ」 「あぁ、調合台に使われる魔法陣だ。魔法薬士でなければ見慣れないだろうな」 レイはしゃがみこんで、床にチャームを向けると、裏側についてる小さなくぼみに魔力を通した。チャームを覗き込んで目を凝らさないと見えなかった魔法陣が、チャームの中で煌々と光り始め、床にその魔法陣を照射した。照射された魔法陣を見て、クラウスが頷いた。 「確かに、こう見るとルミアの研究室で見たものと同じか」 「そう。簡易調合台。ばあちゃんちには調合台があるからな。あっちではほぼつけていなかった」 「なるほど、便利そうだ」 「便利だ。ただ、まめに魔力を貯蓄しておかなきゃならんことと、実際にできるのは貯蓄した魔力量によってできることが異なるという欠点がある。持ち運びには便利だが、実用としては、やはりきちんと調合台があった方がいい」 チャームをトンッと軽くたたくと、照射されていた魔法陣が消え、チャームが光を失っていく。  説明が終わると、レイは立ち上がってふと時計を見あげた。 「そろそろ出る時間か?」 そう言うと、クラウスは深いため息をついた。気乗りしないのを隠そうともしない態度に噴き出しそうになったが、互いのため一番頑張っている人に流石にそれはできなかった。  クラウスはレイの額に惜しむように軽くキスを落とすと、自分の衣装部屋に入って行った。そういえば、昨日は諜報用の姿なのか、全身黒で統一された動きやすそうな姿をしていたが、流石にあんな恰好をして参城はしないだろう。そもそも諜報部なんて秘匿された組織だ。表の顔としてはどこに所属しているのかをそう言えば聞いたことが無かった。  しばらくして衣装部屋から出てきたのは、騎士服姿のクラウスだった。白色のチュニックの端にはオルディアス王国の国章である『叡智の鍵により開かれた書より出でる太陽』の意匠が入っており、腰ベルトにはロングソードが下げられていた。それを隠すように深い青色に金色の縁取りが入ったマントを羽織っていた。マントの留め具を整えながらこちらに歩み寄ってくる姿は、まるで絵画の中から抜け出したようだった。  レイは苦笑しながら、恭しく頭を下げてみせた。 「王の盾である騎士様に、ご挨拶申し上げます」 「やめてくれ……厭味が過ぎている」 髪型を総髪に直しながら、クラウスはぼやいた。白色のガントレットを嵌める姿が様になっていて、少しかっこいいなと惚れ直しつつ、レイはそのガントレットを注視した。魔術師である彼には飾りでしかないだろうガントレットには、使い込まれた傷があり、明らかに戦いの痕跡だった。 「……クラウス、剣も使えるのか?」 「職業柄、一応な。流れの用心棒か冒険者として雇われて潜入することもある。……ただこれは、ほぼ長兄との訓練でついた傷だ」 レイの視線に気付いたクラウスが、自身のガントレットを少し寂しそうな目で見つめながら、静かに視線で撫でていた。その仕草には、言葉にできない想いが滲んで見えた。  先の西の帝国との戦争で亡くなったクラウスの長兄は、優秀な魔法剣士だった。レーヴェンシュタイン公爵家は、魔術師を多く輩出する家だったが、残念ながら亡くなった長兄は魔術師としては大成するだけの魔力量が無かったらしい。それでも剣と魔法を組み合わせた攻撃スタイルを打ち破ることのできる騎士はおらず、実力で王より剣を賜った。そして戦争時に、西の帝国側の魔術師による一点集中砲火を受け、こちらの魔術師隊の結界魔法が間に合わず――彼は、光の中で命を落とした。戦争における歩兵に対する魔法の使用は、その虐殺性により倫理面において世界規模で禁止されている。それを堂々と破った西の帝国は、世界中より非難を浴びた。西の帝国の言い分としては、「魔法使いを歩兵として起用しているオルディアス王国の落ち度」という主張であった。当時オルディアス王国は、レーヴェンシュタインが歩兵として参戦するための「戦時における魔法の使用を禁止する」内容の宣誓魔法を使用していたことを明かしたことで、西の帝国に世界中から非難が集中し、停戦へ至った。長く続いていた西の帝国との戦争に区切りをつけたレーヴェンシュタインの長兄は、英雄として名を残すこととなった。――そう思うと、魔術師たる資質を持って生まれた三男は、レーヴェンシュタイン公爵家としては待望の子であったのだろう。だが、英雄として名を残した長兄の影を思えば、クラウスが生きづらさを孕んだ環境でもあるのかもしれない。 「クラウス」 レイは、今まで聞くに聞けなかったことを切り出した。 「――レーヴェンシュタイン公爵家を、出たいか? もし、俺のことを養わなきゃいけないとか、領民のことを考えなきゃいけないと思ってるんだったら、それは、違う。俺は、クラウスの本当の意思を知りたい」  クラウスはすでに公爵家を出ていると言っていたが、こうやって繋ぎ止められ、縛られようとしている。ただ、それが本人の希望なのだとすれば、それは枷にはなりえない。レイは、「今、後継者となるわけにいかない」としか聞かされていなかった。それはきっと、こちらに対する配慮でしかなかったはずだ。  レイの言葉に、クラウスの瞳が揺れ、再びガントレットに視線が落ちる。そっと指先で傷を一つなぞって、クラウスは口を開いた。 「……正直、私も分からない。おそらく私は領主になっても、王家の息がかかったものを影に置いて治めることになるだろう。それを良しとするか、悪しとするかもあるが、きっと私が直接治めるよりはいいとは思う。だが、それなら私が後継者である必要はあるか? しかしながら、貴族年鑑にわざと似せずに描かれていた私の顔が、先日新聞で白日の下に晒されたことにより、諜報部として今までのように活動するのは難しいかもしれない。……ディートリヒがいたならば、私は喜んで公爵家を正式に出て、君とともにいられる道を探していたと思う。そんな気持ちの者が、治めていい領地ではない」  クラウスの言葉を聞きながら、レイはクラウスのガントレットの上に手を乗せ、クラウスの瞳をしっかりと見た。――視線で訴える。ちゃんと言え、と。クラウスは、その視線を真っ向から受け止めて、ゆっくりと息を整えるように呼吸を繰り返し、レイを見つめ直した。 「レイ、苦労を掛けることになるのは分かっているんだが――」 レイはその一言を首を振って応えた。そんな前置きはいらない。それが伝わったのか、クラウスは一つ笑みをこぼした。 「……私は、この公爵家を、残したい。正直、いい思い出と辛い思い出、どちらが多いか判別もつかないぐらい、割とくそくらえだと思っている家なのに、兄が、母が、愛したこの公爵家が、他人の手に渡るのが、私はどうやら許せないらしい」 決意が固まった表情をしたクラウスの顔は、とても輝いて見えた。レイはにこりと笑って、いい表情を浮かべるクラウスの頬に背伸びをしてキスを落とした。 「公爵家とあろうお方が“くそくらえ”とは……俺の口の悪さが移ってしまったか?」 レイの一言に、くっくと喉を鳴らして笑い、クラウスはレイにキスを贈り返した。 「公爵家に名を連ねる以上、レイも気を付けてくれよ」 「おっと、この口の悪さも好きだなどと宣ったのはどの口だ?」 二人で笑い合いながら、「この口だ」と言わんばかりに深い口付けを交わした。  王城で一人、国王と戦うことに対してではなく、今度はレイと離れたくないというクラウスをなだめて送り出してから、レイは慣れない大きな館に一人取り残されることになった。いや、正確にはレーヴェンシュタイン公爵家の使用人がいるんだから、一人ではないのだが。クラウスからは自由に過ごしてほしいと言われているが、レイとしては明日の初公判までの間にやらなければならないことは終わってしまっている。手持ち無沙汰が否めない。  レイは改めてレーヴェンシュタイン公爵家に張られている結界を仰ぎ見た。高くドーム状に広がる結界は、広い敷地をすっぽりと覆っている。いったいこれを賄うためにどれくらい魔力石が使われているんだろうか。結界自体はルミアの魔法薬店にかかっているものと比べるとすんなり読めてしまうような錯覚を覚えるが、解読するにはとても時間がかかるだろう。  レイはそのままレーヴェンシュタイン公爵家の庭を歩いた。綺麗に整えられている庭を眺めながら、“薬草として植えられたわけではないはずの”草花を見つけては、庭師に頼んで不要な箇所でいいからと切ってもらった。 「化膿止めのヴェルミン、魔力の乱れからくる頭痛に効くサレッドセージまでは分かるけど、鎮静作用のあるエルヴァンローズまで……これ結構希少なのに……」 レイにはもう、ここは薬草園にしか見えていなかった。

ともだちにシェアしよう!