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第31話 安息
薬草を両手いっぱいに抱えて、レイは邸宅に入った。使用人用の廊下を歩いていた執事のアルを呼び止めて、綺麗な方がいいが、汚れても構わない場所がないか聞くと、非常に難しそうな顔をされた。
「……ご使用用途をお伺いしてもよろしいですか?」
確かに、昨日来た客人――しかも、のちの主人となるかもしれない三男がエスコートしていた男にそんなことを聞かれたら、邪険に扱うこともできないが、正直扱いには困るだろう。レイは申し訳ないなと思いながら、答えた。
「軟膏と茶葉でも作ろうかと。ついでに保管できる容器もいただけますか? これくらいの小瓶で大丈夫です」
人差し指と親指で高さを示して見せると、アルは少し考えてから口を開いた。
「お客様をお通しするのは憚られる場所ですが……」
「客として扱われるのも、気が引けますので構いません。もしクラウスに何か言われたら、俺がわがままを言ったって伝えてください。それに、そんなに時間は取らせませんから」
そう言うと、アルは柔和な笑みを浮かべ、静かに歩きだし案内してくれた。使用人用の廊下を何度も折れ曲がりながらついた先は、使用人の休憩室のようなところだった。昼前の時間帯で使用人はみな忙しく、誰も使っていないのだろう、人ひとりいなかった。真ん中に大きな机があり、その周りに質素だが丈夫そうな木製の丸椅子が8つ囲まれている。部屋の隅には小さな食器棚もあり、反対側には湯を沸かすためだろうか、小さな魔力石がはめられた一口コンロと水道が部屋の隅に設置されていた。やはり共同スペースだけあって綺麗に使われており、レーヴェンシュタイン公爵家の使用人の質の高さがうかがえる。
「こんなところで申し訳ありません。ただ、作業スペースとしてはここが一番よろしいかと」
「充分です。ありがとうございます」
レイは水道に向かった。出てくる水にこっそり解析魔法をかけると、やはり飲水可能なレベルの水であったため、そのまま薬草をじゃぶじゃぶと洗った。濡れた草花の水気を簡単に切ったあと、レイは魔法で水分を飛ばした。飛ばされた水分は収束し、そのまま排水溝へと滑り落ちる。広い机と拝借した平皿に洗浄魔法と滅菌魔法をかけ、種類ごとに薬草を分けていく。分け終えた薬草にも同じく洗浄魔法と滅菌魔法を施した。
レイは鞄の中から魔力回路の発熱抑制剤を取り出して、噛み砕きながらループタイから机に調合用の魔法陣を照射した。いい具合の大きさになるように距離を調整して、魔法陣の場所を固定するように魔力を流すと、ループタイの場所が移動しても魔法陣は変形せずにきちんとその場にとどまった。いつの間にか部屋を離れていたアルが戻ってきて、ジャムかはちみつでも入っていたのだろう小瓶を3つ持ってきてくれた。レイは「ありがとう」と伝えてその瓶と蓋にも洗浄魔法と滅菌魔法をかけた。
「よし」
レイは気合を入れてから、ヴェルミンの花弁部分を魔法でむしり取り、皿に移していく。こんもりとした山となったヴェルミンの濃いピンク色の花弁の皿を脇において、残った茎と葉の部分を魔法陣の上に置いた。
魔法陣に手をかざして、調薬魔法を行使する。茎と葉が宙に浮いて、茎と葉、萼の根本部分が小さくぱきりと音を立てて切れ目が入る。露出した蜜線から微量の無色透明な蜜を抜き取られると、不要となった茎たちは次々に魔法陣の上に落ちていった。大量の不要なヴェルミンから取れたスプーン一杯分の蜜が宙に浮いている。レイは一度魔法陣の上の不要なゴミを手で払いのけ、先ほど脇に置いた花弁の山を魔法陣の上に置く。ピンク色の小さな花弁がふわりと舞い上がる。空中で花弁が密に触れ合わないように蜜の周りに配置して、レイはゆっくりと液状の魔力を掌から放出した。今回は蜜の量が少ないので、少量で構わない。液状の魔力がゆっくりと小さな花弁を巻き込みながら、蜜の周りをくるくると旋回する。しばらくそのまま走らせてから止めて、魔力の色味を確認する。――少し発色が可愛らしすぎるか? レイはもう少し深い色になるように、黒く紫がかった赤色と言っても過言ではないエルヴァンローズの花弁を一枚とると、それを更に小さく割いて、花弁のかけらをヴェルミンの花弁でピンク色になった魔力の中に放り込んだ。
またくるくると空中で走らせると、魔力は瞬く間に深い艶のあるワインを彷彿とさせる赤色に変わった。着色された魔力から花弁を濾し取ると、浮かせていた蜜と混ぜ合わせる。均一になるように撹拌してから、レイは魔力加工を始めた。成分の浸透率と液体状の魔法薬を軟膏状になるよう調整する。エルヴァンローズを入れたので、せっかくだから鎮静作用も入りやすくしたい。レイの魔力回路が急激に熱を帯び始めるが、まだ耐えられる。本来、軟膏への加工作業はそこまで大変ではないが、なにぶん今回は簡易調合台での作業だ。作業者の負担の方が大きい。
レイは慎重に加工を施し、硬度を調整して状態を固定すると、ぽてっと瓶の中に落とした。瓶の半分ほどの量のリップバームが完成し、レイは一度簡易調合台を停止した。
完成したリップバームに簡単に解析魔法を行使し、自身が思い描いた作用になっているかと、保湿効果と発色の安定性も確認した。次に、洗浄魔法と滅菌魔法をティースプーンに施して瓶からリップバームを少量掬い取り、手の甲に乗せた。指先でなぞるように感触を確かめ、発色を見る。やや固めかもしれないが、色付きのリップバームとしては問題ないだろう。最後に香りを嗅いだ。鼻を近づけて嗅いでみて、強い臭いは感じない。唇に載せても臭いで酔ったりは無いだろう。レイはまずまずの出来栄えに頷いた。
「……無色の方が使いやすい、か? まぁ、あげる必要もないか」
独りごちて、机の上を片付け始めようと手を伸ばし、視線を感じて後ろを振り返った。部屋の入口に、アルを先頭にメイド姿の使用人と、フットマンが何人か首を覗かせるように立っていた。突然増えていたギャラリーに、レイは慌てて片付け始めた。時間を取らないと言ったのに、休憩時間に食い込んでしまったようだ。
「すみません、今片付けます」
魔法で使った食器やスプーンをシンクに運んで、机の上のゴミをまとめていると、皆が率先して片付けを手伝ってくれた。ある者はシンクで洗い物をし、ある者は机を拭くための台拭きを用意し、また別のある者はまとめたゴミを回収してくれた。言葉が無くても、静かな連携が取れている様をみて、レイは公爵家の一体感を見た。
「こちらは、いかがなさいますか?」
アルに聞かれて、机の上に残されたサレッドセージの山と、一輪のエルヴァンローズを見た。レイは少し考えて、サレッドセージを魔法で浮遊させると、初級の風魔法を応用してサレッドセージを空中で刻んで見せた。「おお」と部屋にいた使用人たちが感嘆の声を上げる。そこまで大したことはしていないのだが、やはり非魔法使いには珍しい光景なのだろう。刻んだサレッドセージを空中で集めて小瓶の中にさらりと落として蓋をすると、続いてエルヴァンローズの花弁をちぎって、こちらも風魔法を応用して一気に乾燥させた。部屋の中に少し濃いバラの香りが漂った。流石エルヴァンローズ、魔力に反応しやすい。
「窓を――」
レイが言い終わる前に、一番窓に近かったフットマンが窓を開けてくれた。乾燥させたエルヴァンローズをサレッドセージとは別の小瓶に入れると、すぐに風魔法で部屋に空気を通した。むせ返るような匂いがなくなって、レイは少しほっと胸をなでおろした。今からここでご飯を食べる人にとっては、バラの香りに満たされたところで食べたくはないだろう。
「ご迷惑でなければ、これ皆さんで飲んでください。薬に加工しなければ、割とさわやかな味で消化促進作用があるお茶になりますから……それではお邪魔しました」
そう言ってリップバームと乾燥エルヴァンローズの小瓶を持ってそそくさと部屋を出ようとしたところで、「待って待って!」と使用人一同に引き留められた。
「今のって何ですか?」
「赤い小瓶の方は何を作ったんです?」
「さっきのって、庭に植えてある花でしたよね?」
矢継ぎ早に質問が飛んできてレイはたじたじになったが、アルが一つ咳払いをすると皆がぴたりと止まって恐縮した。アルが申し訳なさそうに頭を下げて謝罪してきた。
「大変申し訳ありませんでした。お客様に大変気安い態度をとってしまったことを深く反省し、今後はこのようなことが――」
「待ってください。そんなことはしなくていいです。むしろ、こちらとしては有難いくらいで……かしこまられるほどの人間じゃないですし。クラウスの手前、そうせざるを得ないかもしれないですけど」
緊張でしどろもどろになりながら、レイは口を挟んだ。将来的にはクラウスと家族になると、この人たちに世話をされる側になるわけだが、仲良くできるなら仲良くしておきたい。
「あの、フレッシュハーブティーが苦手でなければですが……みんなで一緒に飲みませんか……正直、暇なんです」
おずおずと切り出すと、アルは再び柔和な笑みを浮かべた。さっとポケットから懐中時計を出して確認すると、口を開いた。
「では、お茶の準備をしましょうか」
部屋の空気が一気に緩み、皆が笑顔で一斉に動き出す。サレッドセージが入った瓶を持ち「この茶葉だったら抽出何分くらいかしら」と言いながらお湯を沸かす者、「キッチンにあったクッキー取ってきます!」と意気揚々と部屋を去る者、それを追いながら「おい他の奴にバレるなよ! 部屋に入りきらなくなる!」と注意を促す者と、様々だ。――クラウスが、この家を他の人に取られたくないと言った理由が、胸にすとんと落ちた気がした。
昼前だというのに、クッキーが山盛りにのった皿とサレッドセージのフレッシュハーブティーのカップが広い机に広げられた。レイはフレッシュハーブティーのさわやかな香りが鼻に抜けるのを感じながら、飲みづらい人には林檎やはちみつを一緒に入れてもいいかもしれないな、今度乾燥林檎でも入れてみるかと、など考えていると、明るい茶髪のメイドの一人が声を上げた。
「レイ様は――」
言われた瞬間、レイは小さく身震いした。やはり様付けは性に合いそうにない。いや、これは慣れなければいけないだろうか。クラウスの隣に立つならば、避けては通れないところだろう。レイはぐっと奥歯を噛み締めて堪えた。
「お医者様でいらっしゃるんですか?」
その質問に、レイは首を振りながらカップをソーサーに置いた。
「いや、俺は魔法薬士です。魔法医になるには、基本的に魔術師である必要がありますが、俺は魔術師ではないので」
「やくし……お薬を作る専門ってことですね」
「ええ、そういうことです」
一人の質問に答えると、次は黒髪のフットマンが身を乗り出して聞いてくる。
「おいくつなんです?」
「今年で28です。クラウスの一つ下になります」
「えっ! あ、そう、なんですね」
フットマンの目が泳ぐ。あ、これは若く見られてたなとレイは苦笑した。身長のせいか、敬語を使うとレイは大体20才前半に見られることがある。威厳が出てくるような歳ではないが、もう少し“いい年の取り方”が出来たらいいなとレイは常々思っている。ただ、残念ながらレイの周りには理想の“いい年の取り方”をしている大人が見当たらなかった。結局魔法使いは、色々と奇天烈な奴しかいないのだろう。
フットマンが質問を続ける様子が無かったので、今度は眼鏡をかけたメイドが手を上げた。
「さっき何を作ってたんですか?」
レイは質問に答えるために鞄から先ほど作ったリップバームを取り出して、眼鏡のメイドに渡した。みんなの視線がそのメイドの手の中に集まる。
「唇が切れて、熱を持つような腫れ方する時ってありません? そんな時に使いやすいリップバームを作ってみたんですが……女性としては色付きはやはり使いづらいですか?」
「あ、クラウス様用じゃないんですね」
言われてレイは、はたと気付く。確かに、迷惑をかけたバネッサの唇が痛そうだったから、お礼にどうかと思って試作してみたが、渡すとしたらクラウス経由になる。あの嫉妬の塊のような奴がすんなり引き受けてくれると思えない。
「……いや、庭で見つけた薬草で、できる物を作ってみただけです」
レイはあっさりと保身に走った。眼鏡のメイドは隣に座っているメイドたちとリップバームの色を真剣に見ていた。やはり女性はこういうことに目ざといように思う。
「色味はかわいいよね」
「えー? ちょっと重い色じゃない?」
「リエカの肌が焼けてるからそう思うだけでしょ!」
やはり反応は様々か、とレイは心に留めた。バネッサの口紅の色を思い出しながらなるべく近しい色にしたつもりだが、女性にとっては“近しい”ではだめなこともある。となると、エルヴァンローズを鎮静成分として採用する場合は着色を抜いて作る必要が出てくる。魔法加工の反応がいい素材である分抜きやすいが、有効成分も抜けやすい。さて、そうすると――と思考が飛んでいきそうになってレイは慌てて頭を振った。
「参考にします。ありがとう」
レイがにこやかにそう伝えると、眼鏡のメイドがリップバームの小瓶を返してくれた。レイは鞄の中にリップバームを戻していると、先ほどリエカと呼ばれた小麦色の肌のメイドがぽつりと呟いた。
「……なんか、久しぶりだな……こういうの」
その一言に、皆の表情に少し影が落ちた。レイは素早くみんなの表情を追った。唯一表情を変えなかったのは、執事のアルだけだった。アルもレイと同じように皆の表情を注視していた。
「リエカ……」
茶髪のメイドがリエカの強く握られた手の上にそっと手を重ねた。その様子を見ていたレイの様子に気付いた黒髪のフットマンが、レイに静かに伝えてくれた。
「以前ね、こうやってよく、手が空いた人が集まって、お茶を飲んでたんですよ。……奥様が声をかけてくださって」
レイはその一言で、レーヴェンシュタイン公爵家の痛ましい事件を思い知らされた。表に出ていない、隠匿された公爵殺害未遂事件。その犯人である後妻を討ったのが、実の子であるクラウスだ。その傷跡が、こんな形でまだ残っているとは、レイは思ってもみなかった。
「クラウス様のことを思うと、やりきれな――」
「リツト」
アルの鋭い一言に、リツトと呼ばれた黒髪のフットマンははっとした顔をしてレイを見た。レイはそれを受けて静かに微笑むと、ゆっくりと頷いた。
「俺も……そう思いますよ」
その一言に、アルの表情がやっと緩んだ。――レイは、秘匿されている事件の真相を知っている。それが、きちんと伝わったようだ。
レイは冷め始めてしまったハーブティーに口を付けてから、話を切り出した。
「レーヴェンシュタインの庭には、たくさんハーブがありましたね。また、飲みたくなったら、こうやって来てもいいですか?」
密かな将来への希望を託したその言葉に、机を囲んだ皆が一様に頷いてくれた。レイは、舌の上で広がるハーブティーの爽快感と裏腹に、心がじんわりと温まるのを感じた。
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