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第32話 家族

 レイは、自分を包む心地よい魔力の感触に目を覚ました。どうやらいつの間にか眠っていたらしい。  レーヴェンシュタイン公爵家に仕える人達と一緒にお昼を食べ、午後からはアルが気を利かせてレーヴェンシュタイン公爵家の書庫に案内してくれた。魔術師でないと閲覧を許可されない禁書は置いていないと言われ、流石に管理が徹底されていると歯噛みした。魔術師を多く輩出しているレーヴェンシュタイン家には絶対あると思っていたため、期待していた分、非常に残念だった。魔法薬についての蔵書はほぼなかったが、攻撃魔法や潜入に使うような魔法の構成の解釈だとか、西の帝国との戦争に対する考察だとか、国立魔法大学の図書館に置いてあるものよりも実用的なものから、レーヴェンシュタイン家に入るのであれば知っておいた方がいいだろう事柄についての知識の宝庫であった。レイは時間が惜しくて、午後から速読で読み漁った。  一度アルにお茶に誘われて、先ほど一緒にお茶を飲んだ人たちとは違う使用人たちと机を囲んだ。将来的なことを見越した、顔見せという計らいだったのかもしれない。その後もまた書庫に籠らせてもらって、棚の上段一列を読み切ったところで夕食の声かけがあった。クラウスが夕食について家で食べると言って出発していたので、クラウスを待つ旨を伝えてまた読みふけっていたはずだが、朝が早かったこともあって、どうやら寝落ちたらしい。  目を開けると、隣の椅子に腰かけながらクラウスがレイの顔を覗き込んでいた。 「おかえり」 レイが声をかけると、クラウスの細い目がさらに細くなり、柔らかく微笑んでくれた。 「ただいま。待たせてすまない」 クラウスの一言で、レイは時計を見た。夕食をとるというには少し遅い時間で、レイは固まった体を解すように背もたれから身を起こした。クラウスが立ち上がろうとしたレイに手を差し出したので、レイは苦笑しながらその手を取った。 「男同士でも、エスコートっているもんか?」 「いるということにしておこう。私が君に少しでも触れていたい」 「ただの助平心じゃないか」 「その言い方は承服しかねる。せめて下心までにしておいてくれ」 「変わらないよ」  棚から引っ張り出した本を戻しながら、二人で笑い合った。改めてレーヴェンシュタイン家の書庫をぐるりと見渡す。流石に大学の図書館と比べると蔵書数は少ないものの、充分な広さの部屋に、いくつも通路を作るように背の高い重厚な本棚が並べられていた。窓も一応あるが、日焼けを防止するため分厚いカーテンがかけられている。レイが座っていたのは、その本棚の一角にある小スペースで、簡単に読み書きができるような小さな机と椅子が2つずつ置いてあった場所だ。 「流石公爵家だよ。面白い本がたくさんある」 「……ここにある本を面白いと形容できるのか」 クラウスが呆れたようにこちらを見てくるが、レイは片眉を上げて見つめ返した。 「面白くないのに、よく読めたな」 「当時の私は、必要に駆られて、追われるように読んでいたよ。だが、それで今の私があるのだから、昔の私が真面目でよかったよ」 クラウスが書庫を見渡しながら遠い目をするので、レイは「今でも充分真面目なくせに」という言葉を飲み込んだ。彼の目に映る記憶が、どうか寂しいものとしてよみがえっていませんように、と切に願った。  クラウスの横顔を眺めていると、視線に気付いたのかクラウスがレイを見降ろしてきた。「行こうか」とクラウスが腕を出してくるので、レイは苦笑しながらその腕を取って歩いた。腰に手を添えられるよりは、確かにこちらの方が“下心”らしい。  長い廊下に敷かれた絨毯の上を連れ立って歩きながら、レイは聞いていいのか迷いながらも口を開いた。 「今日は……大丈夫だったか?」 聞いた瞬間に、クラウスの顔から表情が消えて、レイは察した。どうやら今日も相当遊ばれたらしい。クラウスはたっぷり一呼吸置いてからため息をついて話し始めた。 「公爵家を継いでもよいという意思は示してきた。ただし、後継者としての指名は3か月待ってほしいと」 レイは驚いてクラウスを見上げた。クラウスの瞳はしっかりと前を向いていた。ゆっくりとこちらにその瞳が向いたとき、クラウスは再度口を開いた。 「すまない。話の都合上、君のことを話した。そして、王が君に会わせろと」 「…………え」 顔がひくりとこわばった。それを見てか、クラウスはすっと前を向いて、歩を進める。 「だから、明日会えると伝えた」 「……待った。まさか公判のことを言っているのか?」  基本的にオルディアス王国の裁判は司法機関が担い、法に則って裁いていく。しかし、貴族裁判においては、司法の役割はほぼ進行役にしかならず、あまりにも法から逸脱していない限りは王の裁量が反映されることが多い。それは、貴族がオルディアス王国を支える立場を担うため、行政麻痺が起こらないようにするための措置という側面が強い。レーヴェンシュタイン公爵家の公判ともなれば、王の立ち合いはあるとは思っていたが、まさか将来のレーヴェンシュタイン公爵家の伴侶としても品定めされる場になるとは思っていなかった。 「なんでこのタイミングで……」 「それは、すまない……言ったら早く解放してやると言われて……君といられる時間を確保したかった」 そんなことを言うものだから、レイは眼鏡のズレを直しながら厭味を返した。 「その割には遅かったようだけど」 「いつもよりも早く解放されたから、バネッサに護衛の件を相談しに行っていた」 「あぁ……それで」 レイは相槌を打ちながら、結局クラウスはレイのために一日を使ったことに変わりはなく、態度悪く接してしまったことに罪悪感を覚えたが、明日の公判のことを考えると素直に謝れなかった。  護衛について相談しに行ったということから考えても、バネッサはクラウスにとっては先輩か上司にあたる人なのだろう。直属の上司は国王だと前に聞いていたので、諜報部がどんな形態で動いている組織なのかは測りかねてしまうが、リーダー的な存在なのかもしれない。 「バネッサさんは、なんて?」 「公判後からバネッサともう一人、オリンという者が護衛として派遣される。オリンは諜報部での後輩で、実力は確かだ。今回の件を話したら、志願してくれた」  そこまで話したところで、ダイニングルームについた。長いダイニングテーブルの一番奥の席に座るべきレーヴェンシュタイン公爵は、現在療養のためここではない場所に身を隠しているらしいが、いつかそこにはクラウスが座ることになるのだろう。レイとクラウスはその向かい合わせの席に座った。 「なら、明後日から学校に行けるのか」 レイがそう切り出すと、クラウスは少し苦い顔をした。 「そう目を輝かされると、少し複雑だが……その通りだ。ただ、二人の休みも確保しなければならない。夜はここに帰ってきてほしい」 「夜の護衛はクラウスが担当する……ということか? クラウスの休みがあるのか心配になるが……」 「何もなければ君の隣で寝ているだけだ。むしろ公判中は顔が出る分、裏方仕事しかできない。夜ぐらい君に関わらせてくれ」 そんな話をしていると、リツトがスープを運んできた。目の前に置かれるスープを見ながら、レイは難しい顔で口を開いた。 「ここに帰ってくるとなると、魔力回路がオーバーヒートしない範囲でしか作業できない、か……致し方ないな」 「いっそ調合台を購入するか」 「気が早い。そういうのはプロポーズが成功してからにしろ」 レイの言葉に、リツトの視線が素早くクラウスに移動したのが分かった。その反応の仕方に、レイはクラウスの顔を見るが、クラウスの顔は平然としている。もう一度リツトの顔を見るが、平静を装っているのが見え見えであった。 「……クラウス、俺のことはみんなにどう話している?」 「将来迎え入れる人」 「決定事項か」  即答されて、レイは自嘲気味に笑った。スープをスプーンですくって、一口飲む。澄んでいる色をしているのに、しっかりとしたコンソメの味がした。 「食事のマナーもきちんとしているわけでもない。社交経験もない。魔術師でもない。これほどレーヴェンシュタイン公爵家にふさわしくない人間もいないだろうに」 「レイ」 クラウスが鋭く言う。レイはそれを手で制して続けた。 「苦労を掛けるのはお互い様だっていう話だよ。絶対非難されるぞ。俺を選んだこと」 レイがスプーンでくるくるとスープを混ぜる。沈殿していたスープの胡椒がふわりと舞い上がるのを見ながら、クラウスの反応を待った。クラウスも一口スープを口に運んで飲み下し、一呼吸おいてから答え始めた。 「私自身『レーヴェンシュタイン公爵』なんて器だと思っていない。二人で相応しくないなら、似合いだと言わせておけばいい」  予想していた答えより、こちらに寄り添った答えが返ってきて、レイは思わず笑みが零れた。スープをもう一口飲み込む。その味わいが身に染みるようだった。 「……皆はむしろ、君を歓迎ムードだったと聞いたぞ」 クラウスが少し不機嫌そうな声を出したので、レイは驚いてクラウスの方を見た。表情には出ていないが明らかに声色が沈んでおり、何が気に障ったのか、わからなかった。 「久しぶりの懇談会は、君の人となりがよく分かったと。調薬しているところも見せてあげたらしいじゃないか」 その口ぶりに、レイはぽかんとしながら聞き返した。 「……拗ねてる?」 「少し」 素直な返答に、レイは眉をしかめた。 「みんなが取られたそうで?」 「“君を”取られそうで」 その一言に、部屋の隅に立っているリツトが笑いを噛み締めているのが見える。レイは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、こめかみに手を当てた。 「クラウス?」 「分かっている。君が関わると狭量なのは」 一切表情を変えずにそんなことを言うので、気が抜けてしまう。肩をすくめて、レイは残りのスープに口を付けた。しばらくお互いに無言でスープを飲み、リツトが皿を下げていく。 「君の“家族”は、あたたかい人ばかりだな」 レイがダイニングルームを出て行くリツトの背中を見送りながらそう言うと、クラウスはふっと笑みをこぼした。 「ゆくゆくは、君の家族にもなる」 クラウスが視線で同意を求めてきている。レイはクラウスの表情につられて笑った。 「……そうだな」 レイはコップに注がれた水を飲みながら、同意した。久しく、家族とのふれあいをしてこなかった自分が、同じだけの愛情を返すことができるんだろうか。また、非力な自分で守ることができるだろうか。そんなことがふと頭をよぎったが、レイは静かに目を瞑ってその考えを打ち消した。そんなことは、その立場になった時に考えよう。その時に少しでも役に立つように、寝るまでの時間は、また書庫に籠ろうか、などと考えていたら、クラウスが声をかけてきた。 「明日の朝は早い。今日は早く寝るつもりで動いてくれ」 まるで心でも読まれたかと思ったが、レイは「ん?」と首を傾げた。貴族裁判が行われる場所は通常の裁判所ではなく、王城の中にある。レーヴェンシュタイン公爵家は比較的王城に近いのだから、そんなに朝早いとは思えなかった。  レイの様子を見て、クラウスがしれっと言ってのけた。 「明日、君は王の前に立つと言ったら、皆喜んで磨き上げると言っていたぞ」 「聞いてない……聞いてない……」 レイは頭を抱えた。いったい何をされるというのか。レイは余計に明日が億劫になった。

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