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第34話 審問

 オルディアス王国法務庁の法廷進行官が着席するまでは、法廷の中は傍聴席に肩を寄せ合うように座る記者たちの話し声でざわついていた。原告側の席にすでにいたのはマルキオン教授とマーベック氏で、レイが審問の間に入ると席を立って迎えてくれた。 「おはよう、レイ君。事情は聞いたよ、大変だったね」 マルキオン教授の一言に、レイは胸をなでおろした。 「はい。ご心配をおかけしました。明日から護衛として雇った者を二人同行させます。ご不便をおかけしますが、よろしくお願いいたします」 「安全が第一だからねー。大学側も許可してるんだから、僕がどうこう言う問題じゃないよ。今日は、その護衛さんは?」 「審問の間の前で待機中です」 「んじゃあとで挨拶しないとね……頑張ろう、打ち合わせ通りに」 普段はそんなことをしないマルキオン教授が、柄にもなく拳を差し出してきた。レイもそれに倣ってマルキオン教授の拳に軽く拳を当てた。小さく耳の奥で鳴る共鳴音を聞きながら、レイはマルキオン教授の魔力を観察した。――うん、今日は調子が良さそうだ。  レイは緊張で脈が速く打つのを感じながら、審問の間をぐるりと見渡した。証言台を中心として、正面の壁にオルディアス王国の国章が掲げられ、その前に玉座がある。証言台の左側に、レイ達がいる原告側の席があり、反対側には被告側の席があるが、被告であるディートリヒの入場は開廷時間のギリギリとなるため、弁護人席以外はまだ空席だ。 「事前情報ではレイ君の拉致監禁傷害事件については認めるものの、浄化薬の件は完全否定らしい」 マルキオン教授が声を潜めてレイに話しかけてきた。レイはその一言に、小さくため息をついて呆れたように口を開いた。 「なんと、まぁ……」 「謝罪は?」 「今のところはありませんね。自宅に届いている郵便物についても、謝罪文らしいものは届いていないことは確認済みです」  そんな会話をしていると、審問の間の脇にある扉が開き、三人の進行官に続いて騎士二人に挟まれながらディートリヒが入場してきた。傍聴席のざわめきが一気に静まる。皆が着席し、定刻までの僅かな時間を黙して待った。  玉座へ向かう国王が姿を見せると、一同立ち上がって顔を伏せる。国王の歩く音だけが静かな法廷に響き渡り、その音すら途切れると、進行官が宣言した。 「これより、ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインの後継者たる資質の是非について審問を始める。着席してください」  指示に従い、一同が席に着く。どうにも突き刺さる国王からの視線に気付かない振りをしながら、レイは必死に姿勢を正した。  全員が着席すると、進行官が「被告、ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインは証言台へ」と指示を出す。騎士二人に連れられて、ディートリヒが証言台に立ち、証言台の近くに置いてある椅子に騎士が着席したところで進行官が罪状を読み上げた。 「――異議はありますか?」 「あります」 その一言で、ざわりと傍聴席がどよめいた。進行官がカンッと木槌を鳴らすと、傍聴席が一呼吸おいてまた静まり返った。 「被告は異議内容について、お答えください」 進行官の一言に、ディートリヒは一度レイの方を見た。その瞳は暗く、屈辱に満ちており、レイはそれを真っ向から見据えた。一呼吸置いて、ディートリヒが前に向き直ると、口を開いた。 「まず、拉致監禁についてですが、確かにそう言われても仕方がない行為だったと思います……たとえそれが痴情のもつれだったとしても」 レイは耳を疑った。今ディートリヒはなんと言った? マルキオン教授の視線がレイに向き、レイが首を振って否定すると、マルキオン教授が苦い顔をした。 「私とレイ・ヴェルノットは深い仲でしたが、一方的に別れを切り出されました。訳を聞こうにも連絡を一切絶たれてしまいました。彼がレーヴェンシュタイン公爵領に入ったという情報があり、私はすぐさま領地へ帰って彼に会おうと画策しましたが、彼は会ってはくれませんでした。それが彼の怒りに触れたのでしょう。呪いの浄化薬のエラー品を入手し、あたかも患者が使っていたと虚偽の報告をして、私を陥れようとしたのですから」 レイは腸が煮えくり返る感覚に、思わず手が震え始めた。――こんなに……こんなに怒りに震えたのは、いつぶりだろうか。 「彼とどうにか話をする必要が出てきたので、やむを得ず手荒な手段を用いて話し合いの場を設けました。急いでいたために、過剰に手荒い方法となってしまったのは私の落ち度と言わざるを得ません。話し合いの上、彼に新しい恋人ができたことが分かり、私は逆上して彼を刺しました。結果として、拉致監禁・脅迫・傷害という罪を犯してしまったことについて一切否定はできません。しかしながら、呪いの浄化薬については、事実無根でございます。――以上です」 レイはディートリヒを見たが、ディートリヒはこちらに一切視線を向けずに視線をやや下に向けているだけだった。冷静になれ、と沸騰しそうな頭で考える。こんな主張は全て証拠がある以上覆せる。ただ、なんの意図があってディートリヒがそんなことを言ったのか、その一点が鍵となる。  レイは大きく深呼吸をした。覆ることが分かっていたとしても、言った理由はなんだ。証拠によって否定できるところを頭の中で取り除く。浄化薬についてはロット番号から誰に渡ったのかが追尾できるから、クラウスが証言台に立てば覆る。連絡を取ったことが無いことは通信魔法機器のログから判断はできるだろう。ただ、通信魔法機器を使用していない連絡手段と言われてしまったら否定は難しい。 ――レイはディートリヒと恋仲だったが、新しい恋人ができたから捨てるような人間。これだけの否定が難しい。もともとないものを出すことができない。意味が分からない。それを言うことでなんのメリットが?  レイは、痛感した。この公判は、レイの名誉を傷つけるために使われている。将来、クラウスの伴侶としての品位を落としにかかっている。それをすることでメリットがあり、ディートリヒに強要できる存在。 「くそったれ……」 レイは小さく呟いた。――黒幕は、第二王子関係者か。 「では、原告側、反対尋問を――」 「レイ・ヴェルノット」 進行官の言葉を遮って、低い声が法廷に響く。有無を言わさぬ圧力を孕んだそれは、法廷にいる人を震え上がらせるには十分すぎた。  オルディアス国王の声が、静かにはっきりと聞こえた。国王が、貴族裁判にて判決時以外に口を挟むのは、『玉座の問い』と言われ、過去数例しかない。 「そなたの反論が聞きたい」 マルキオン教授たちが連れてきた弁護士がレイを見る。レイは促されるように立ち上がった。 「はい」 はっきりと答えて、証言台に向かう。ディートリヒが騎士二人に連れられて証言台の後ろに下がったのが見えた。足が震えている。法廷中の視線が突き刺さり、全身から汗が噴き出る。それでもレイは、ディートリヒに一瞥もくれずに堂々と歩くことに専念した。ここが虚飾の劇場であるというなら、虚勢を張って生きてきた自分には、もってこいの舞台だろう。精いっぱいの力を振り絞って、レイは証言台の前に立った。 「レイ・ヴェルノット。反対弁論をどうぞ」 進行官の声に、照らされる照明の熱さを感じながら、レイは大きく息を吸った。 「……人生何が起こるかわからないですね」 証言台にある拡声器に向かって話しながら、レイは不敵に笑って見せた。 「自分が誰かの妄想上の恋人になりうるんですよ? こんな経験、なかなか無いですよね」 ぷはっ マルキオン教授が原告側の席で静かに笑った音が聞こえた。笑わせた自分が言うのもなんだが、ここで笑い声が出せるのが流石のマルキオン教授である。レイは笑みを絶やさないまま、証言台に両手をついて話し始めた。 「ではここからは事実に基づいてお話させていただきます。私がディートリヒ卿と顔を合わせるのは、本日で二回目。もちろん一度目は拉致監禁された日となります。私は子爵位をいただいておりますが、しがない学生の身分であり、社交経験もありません。そも、ディートリヒ卿と接点を持つこと自体が難しいのに、どうやって深い仲になるのでしょうか。会ったこともない人からの連絡などあるはずもありませんが、必要であれば通信魔法機器のログの提出に協力いたします」 そこまで言い切ってから、一度大きく息をついて、改めて話し始めた。 「次に、学生である私がレーヴェンシュタイン公爵領を訪れた理由についてですが、私の祖母であるルミア・ヴェルノットが所有している魔法薬店を、所用により1年間任せたいと言われたためです。私は大学4年時に魔法薬士免許を取得しており、患者を診ることが可能です。……患者がいるのであれば、誰かが診るしかありません。私は休学届を大学に提出し、急ぎレーヴェンシュタイン公爵領に向かいました。そこで診た呪われた患者が持っていたのが、呪いの浄化薬のエラー品でした。呪いの浄化薬の使用期限は製造日から3か月。私が見た品は製造日から2か月の品です。解析魔法を行使し、明らかに流通してはいけない品であることを確認しました。これを、レーヴェンシュタイン公爵領に住む者が持っていた。それは紛れもない事実です。明らかにエラー品しか使用できていない患者の魔力汚染はすさまじく……よく、生きていてくれたとしか言いようがありませんでした」 当時のクラウスの姿が脳裏に浮かぶ。あの汚染された魔力の臭いは、今でも強烈な記憶として残っている。 「該当のエラー品については、証拠品として提出済です。そして、ロット番号よりどこで製造され、どこを経由し、誰のもとに届いたのかは追跡可能です。その追跡履歴も証拠品として、国家安全保険機構の協力の下、提出済です。証拠番号AとCをご覧ください。尚、患者名については、患者より許可を取っていないため、マスキングされていることをご了承ください」 すらすらと言ったが、実は患者であるクラウスに名前の公表をしていいかなんて、一言も聞いていなかった。出す必要のない情報なら、出さないに越したことはない。  レイのその言葉で、進行官が空中に映像魔法で証拠品の浄化薬と追跡記録をまとめた書類が映し出された。 「浄化薬のロット番号と、追跡記録に書かれているロット番号は同一です。レーヴェンシュタイン公爵領にて製造され、テリプロント輸送が魔法薬専用便で該当患者へ運んでいる記録が確認できます。また、証拠番号Bでは、浄化薬についてオルディアス魔法薬士連盟が出した品質鑑定書がついております。――鑑定結果はE、使用不可品です」 追加で空中に鑑定書が映し出され、目を惹く大きなEの文字に、傍聴席が一瞬どよめいた。 「レーヴェンシュタイン公爵領は、例年エラー品として廃棄されている量が少ない領であることは、証拠番号Dにある通り、国家安全保険機構の監査記録からも読み取れますが、ここ数か月のエラー品の少なさは、目を見張ります。それはそうでしょう。そのエラー品は一人の患者のもとに『正品』として集まっていたのですから。これは、悪意を持って患者の生命を脅かそうとした事実に他なりません。そしてそんなことをしでかせる人物こそ、レーヴェンシュタイン公爵の代理を務めるディートリヒ卿です」 レイは証拠番号Dの表示を待たずに続けた。 「加えて、ディートリヒ卿は、このエラー品を故意に作り出せる環境を整えていました。浄化薬の製造所で、このロット番号の製造ラインには、ある呪われた魔法薬士がいました。呪われた魔法薬士が関わったラインの浄化薬については、良くても品質上C判定ばかりであったことは、証拠番号Eにてまとめてあります」 次々と提示される証拠に、表示できる空間が狭くなってきた。進行官が空中の証拠映像の大きさを調整しながら並べていく。 「呪われた魔法薬士は、レーヴェンシュタイン公爵領で製造された正しい浄化薬を使用しながら、呪いの諸症状についての治療を受けることも許されず、エラー品を作るよう指示されていたと聞いています。これが、浄化薬および浄化薬製造施設の私的流用以外のなんというのか、私は知りません。このような非人道的行為をしてまでも、当該患者へエラー品を悪意を持って卸していた事実は、一医療従事者として看過できません」 レイは捲し立てるように言って、ため息をついた。もう緊張はしていなかったが、魔法薬士として浄化薬の答弁に重きを置きすぎてしまっただろうかと思った。  レイは一度咳払いをして、続ける。 「私が、レーヴェンシュタイン公爵領の浄化薬製造の実態に近付いたことに気付いたディートリヒ卿は、それをやめさせるために拉致監禁の上、私に『浄化薬の改造をした上で報告をした』と偽の証言させるべく拷問にかけました。その時私が負った傷に対するカルテが証拠番号Fです。両頬骨不全骨折……両頬骨にヒビが入った状態と、左大腿刺傷。私は拉致監禁された施設から救出され、今こうして証言台に立っております。どちらが事実無根の話であったか、公平な判断をお願いしたく存じます。――以上です」 レイは一礼をし、進行官が着席の指示を出すのを待った。だが、進行官がまだそれを告げようとしない。進行を務めていた進行官を見ても、本人もおろおろとしている。 「レイ・ヴェルノット。直視を許す。面を上げよ」 レイは体を震わせた。審問の間で国王の顔を直接拝見することを許すなんて、前代未聞のことだった。一呼吸置いて、傍聴席がざわつき始める。進行官が「静粛に!」と声を上げながら木槌を鳴らすが、一向に声は静まらない。  レイは記者たちの声が響く中で、オルディアス国王の顔を見上げた。その顔は面白いものを見つけた子供のような表情で、レイを見降ろしていた。

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