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第39話 誘拐

 裁判の再開が決まったのは、初公判からちょうど一週間後のことだった。 「流石にさ、『次決まりました。明日です』って言うのは、横暴が過ぎると思うんだけど」 「振り回され過ぎて、こちらとしてはもう『いつものこと』という認識になってしまっているのが怖いな。あの人の多忙さを見ていると仕方ないのかもしれないが」 クラウスの自室でレイがブレンドしたハーブティーを飲みながら、二人でため息をついた。つい先ほど届いた召喚状を眺めながら、こんなことがまかり通ってしまうのがオルディアス王国なのかと思うと、レイは少し嫌な気持ちになった。今頃マルキオン教授は発狂しながら弁護士と連絡を取っているころだろう。  レイは拉致監禁傷害事件の被害者ではあるが、貴族裁判が刑事も民事も全て一緒に行われてしまう性質を持つためか、非常に暇を持て余していた。結局、レイが直接受けた被害については概ねあちらも認めており、あとは呪いの浄化薬の私的流用部分の問題となってしまったからだ。大変なマルキオン教授に変わり、自分がやると申し出たが、それは断られてしまった。それが、レイに対するレッテル貼りを避けようという配慮なのだろうと思うと、レイは遣る瀬無かった。  次の裁判ではレイが自身にかけた宣誓書の公開が予定されており、レイが嘘を言っていないことは証明されるはずだ。ただ、どう抜け出したのかという部分に関してはまだ公開するわけにいかないため、秘匿内容が漏れないようにマスキングされる予定だ。  裁判が延期されればされるほど、プロポーズされる保証が確保できるので、レイとしては裁判に勝ちたい半面、もう少し延期してもらいたい気持ちもあった。  レイはベッド脇に置いてある、菱形のオーナメントに視線を移す。青緑色の魔法薬が光に照らされて、ベッドサイドに彩を添えている。まだ退色傾向は見られない。その鮮やかさが、まだ約束までの猶予を示していると同時に、約束の時期まで、もう二か月を切っているという事実を見せつけてくる。ディートリヒ側が再公判を求めるとしたら、クラウスの後継者選任は更に延期される。領地にしてみればたまったものじゃないだろうが、もう少し耐えてほしいところだ。  召喚状をローテーブルに置いて、カップを持ち上げた時だった。部屋のドアから重いノック音が聞こえた。 「クラウス様、レイ様。お客様でございます」 アルの声が聞こえて、レイはクラウスの顔を見た。もう夜も遅い時間帯で、客人が先触れもなく訪れるのは普通ではありえない。  クラウスがポーチから小型の機械を取り出してトンッと軽くたたいた後、左耳に装着し始めた。静かな部屋に、クラウスが耳に付けた機械から人の声が幽かに漏れる。何を話しているかはわからないが、なんとなくバネッサの声のような気がした。 「……『王の秘術官』が何故?」 クラウスが口にした言葉に、レイは目を見開いた。――王の秘術官、タールマン・ギース。国王の従者にして魔術師。すでに戦いの場から一線を退いてはいるが、伝説の魔術師ルミアが台頭するまでは、その人が世界一の魔術師と謳われていた人物だ。 「レイ、応接室へ行こう」 クラウスがソファから腰を上げてレイに手を差し出した。その手を取ろうとした瞬間、レイは身を強張らせた。背後にいきなり現れた異様な魔力の歪みを感じて全身の血が一気に冷える。レイは一瞬遅れてソファから飛び退いた。慌てすぎて床に転がったが、その視界の端でクラウスが驚きながらも戦闘態勢に入ったのが見える。 「時間がないからお邪魔させていただきましたが、気付きましたか。隠密魔法で遮断できなかった? いや、転移の揺らぎのせい? どちらにせよクラウスが気付かなかったということは、やっぱり君が感知能力を持ってるっていうのは間違いないみたいですね。いやはや、羨ましいですよ。君の父君の家系の力でしょう?」 何もない空間から、声だけが響く。口調は丁寧なのにも関わらず、やっていることは人としてマナー違反甚だしい。すでに魔力の歪みはなくなっており、今声の主がどこにいるのかが分からない。レイは神経を研ぎ澄ませるが、クラウスの魔力しか感じない。完璧に隠匿されている。 「さて、クラウス。日中護衛を付けたところで、意味がないことは分かりましたか? むしろ君が隣にいたって、簡単に攫おうと思えば攫えますし、殺せます。君の自己満足で時間を稼げば稼ぐほど、君の大切な人は命の危険に晒されるわけです。無駄な抵抗はやめて、さっさと首を縦に振りなさい。さもなくば、ケイジンが強硬手段を取りますよ?」  タールマンの最後の一言に、レイはクラウスを見た。ケイジン・オルディアス、オルディアス王国の現国王の名前だ。クラウスは国王に期限の話をした後、別段なにか要求されているとは言っていなかった。自分に伝えてこなかっただけで、何かを命じられていたのだろうか。そして、それを自分に伝えてこなかった理由は何なのか。  クラウスが厳しい表情を湛えながら、レイの近くに寄ってきて結界を張り始める。だが、見えない声の主は深くため息をついただけだった。 「悪あがきはおやめなさい」 その一言で、クラウスが張った結界が軋み始めた。クラウスの結界は、上級魔法ですら弾く強度を持っている。それが、今にも砕かれそうだ。クラウスはすぐに結界の構成を組み替えて、結界の解除に抗っていたが、一瞬消えた軋む音も、すぐまた鳴り始めてしまう。何度も結界の構成式を組み替えるクラウスに、タールマンはすぐに対応してくる。静かなのに高度な防衛戦が目の前で繰り広げられているが、レイはそれをただ眺めているしかできなかった。 「全く……その諦めの悪さは変わってないですね。ですが、誰が貴方に魔法を教えたと思ってるんです?」 がしゃんっ! と音を立てて、クラウスの強固な結界が粉々に砕け散った。きらめく結界のかけらが宙を舞い、刹那、まるで底なし沼に引きずり込まれるようにレイの体が床に沈み込んだ。それは一瞬の出来事で、レイは悲鳴を上げる暇もなかった。  ぐらぐらと視界が揺れて、レイはその気持ち悪さに酔いそうだった。だが、簡易転移装置で飛ばされた時と似たような、いやむしろ簡易転移装置よりも乱暴な感覚がして、レイは自分がどこかに転移させられていることだけは本能的に理解していた。  飛んだ先で殺されるのだろうか。そんな恐怖とともに転移が終わり、レイは腰からスプリングが効いたマットの上に墜落した。一度軽く跳ね上がるも、レイはその反動を利用してくるりと転がり体勢を整えようとしたが、転がった先がベッドの端だったようでそのまま床に転がり落ちた。 「ははっ! あんまり運動神経良くない方か? それとも、運動神経は良くても運がない方か?」 楽しそうに笑う低い声がして、レイはそちらに目を向けた。綺麗に磨き上げられた大理石の床に分厚い絨毯が敷かれ、その上に置かれた一目で高級だと分かる長ソファの上に声の主は座っていた。葉巻を燻らせるバスローブ姿のその男と、レイは完璧に目があった。慌てて逸らすには時すでに遅いのは分かっていながら、床に膝をついて頭を垂れる。 「叡智の太陽にあらせられる――」 「良い、直視は許してあるだろう。こちらに座りなさい」 言葉を遮り、オルディアス国王が有無を言わさず告げてくる。レイは恐る恐る立ち上がり、国王が座る長ソファの向かい側に座った。ふかりと沈み込むソファに、レイは自分の家のベッドより寝やすそうだと現実逃避した。 「急に悪かったね。どうしても話しておかねばならんと思ったんでね」 まるで親戚のおじさんが語り掛けてくるような国王の砕けた話し方に、レイは内心疑問に思いながら黙って傾聴した。国王は葉巻を咥えて大きく吸い込んだ。葉巻の先が太く灰に変わり、そのまま灰皿へ押し付けながら煙を口から勢いよく吐き出した。葉巻の臭いを嗅いで、レイは葉の種類を当てようとしたが、あまり嗅ぎ慣れない匂いで分からなかった。 「……クラウスの容態は、大丈夫なのか?」 まさかの一言にレイは思わず国王の目を見た。その目には嘘偽りなく、クラウスを心配してるのが伝わる、真摯な眼差しをしていた。嫌がるクラウスに後継者になることを日々迫っている人とは思えなかったが、レイはその目を信じて答えた。 「はい。呪いはもうないと言ってもいいと思います」 「煮え切らない返答だな。完治していないのか?」 鋭く言葉尻を拾い上げる王に、レイはなるほど食えないと思いながら、素直に白状した。 「自身でかけた呪いは、再発の可能性が捨てきれないそうです」 「再発の可能性が捨てきれない“そう”とは?」 「国立魔法大学の呪いの治療専門家であるサルベルト教授に聞いた話です」 「なるほど。……今現在は再発していないということか」 「はい。現在、魔力に汚染は認められません」 オルディアス王がじっとレイの目を見据えてくる。レイはそれに負けじと目を見たが、尊顔直視を許されているとはいえ、どこまで見てもいいのか分からなくて内心どこで目を逸らそうか迷っていた。 不意にまた魔力の歪みを感じて、レイはそちらに目を向けた。今度はその歪みの中から白色のローブを着た長身の老人が出てきた。その骨格の太さから、おそらく昔は鍛えられた肉体を持っていたのが見て取れ、洗練された魔力を感じた。 「タールマン、どうだった?」 「そうですね。打ちひしがれてました。あなたも酷いことを為さる」 タールマンは国王が座るソファの後ろに回り、立ったままレイを見下ろした。その表情は柔和でありながら感情が一切読み取ることができず、まるで諜報部として話すときのクラウスを彷彿とさせた。 「まずあの家に張られた結界に魔術師だと気付かれないように細工をして入り、私室にまで転移して誘拐できる人間がどこにいるというのです。私とルミアぐらいでしょう」 「1回鼻をへし折ってやらんと、危機感を持たんだろう? 我が甥っ子は少々頑固がすぎる」 二人の会話を聞きながら、レイは王の家系図を頭の中に思い浮かべた。どうにも繋がらない血筋の線に困惑していると、オルディアス王は肩をすくめた。 「なんだ、アイツはそんなことも言ってないのか」 「いや、言わないでしょう。普通。オルディアスの恥部ですから」 「……そういうものか? 恋人だろう?」 タールマンの言葉に、国王は解せないとでも言いたげな顔をしながらレイに顔を向けた。 「私とクラウスの父は、所謂異母兄弟だ。まぁ、国家秘密だから、黙ってるように」  簡単に国家機密を話す国王に拍子抜けしながら、レイは黙って頷いた。先代国王によるお手つきがあった事実は、普通は公言しないだろう。  葉巻ケースからもう一本取り出そうとする国王をタールマンが咳払いで諫め、国王が渋々ケースを閉じながらため息交じりに口を開いた。 「さて、話しておかねばならない話の前に……レイ、今クラウスに言われて魔法通信機器を使ってない、であってるな?」 「はい。傍受の危険性があるので今は使うなと言われております」 国王の質問に答えると、タールマンがローブのポケットからクラウスが使っていたような小型の機械を取り出した。それをレイに放り投げてくるので慌てて受け止める。手の中の機械を見ると既に起動しているようで魔力石が光を放っている。タールマンが左耳に付けるように手振りで伝えてくるので、指示のとおりに装着した。 「もしもし?」 おそらく通信魔法機器なのだろうと思って声をかけてみるが、誰と繋がっているのか分からず、とりあえず声を出した。 『――レイッ!』 鼓膜が破けるのではないかと思う圧に、レイは頭を振った。同じように国王とタールマンも顔を顰めて首を捻ったので、おそらくこれを持っている人に聞こえるようになっていると見た方がいいようだ。 「……ばあちゃん、生きてるから……むしろ耳にトドメが刺される……」 耳の奥に音圧の余波を感じながら、レイは言った。ルミアはそれでもやはりいつもの調子のまま話し始める。 『お前と言うやつは、本当にいつも大事なことを言わないんだから! どうせルイファとゼーハンにも言ってないんだろ!?』 ルミアが捲し立ててくるが、レイは一体なんのことか分からなかった。むしろ久しぶりに聞いた両親の名がどうして出てきたのかもピンと来ていない。 「えっと、何の話?」 レイの一言に、目の前の国王とタールマンが顔を見合せて呆れたようにため息をついている。レイだけがどうやら分かっていないようだ。耳につけた機械からもルミアのため息が聞こえる。 『クラウスと将来を約束したんだろ!? なんでそんな大事のことを言わないんだい!』 ルミアの一言に、レイの思考は一周まわって冷静になった。確かに言っていない。言ってはいないのだが。 「……いや、確かに、結婚を前提として付き合ってはいるし、そのつもりでいるけど、まだ決定じゃないし……ってこれ今言わなきゃダメな話? もうちょっと落ち着いてから――」 『クラウスの通信魔法機器がハッキングを受けた問題から、いきなり『レイが危ない』って話になる身内の気持ち、ちょっと考えな!』 そう言われて、レイの脳裏にヘイムディンズからの超長距離狙撃の光景が浮かぶ。あの時には既にクラウスから話が伝わっていたのかと思うと、せめてもう少し前に自分から報告するべきだったかと反省した。 「ちゃんと、クラウスに返事してから言うつもりだった。ごめん。……助けてくれて、ありがとう」 素直に謝ると、機械の向こうからルミアのため息が聞こえ、通信が切れたような感覚がした。――不甲斐ない。守られてばかりで何もしていない自分に、嫌気がさした瞬間だった。

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