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第40話 覚悟

「本題に入るぞ」 国王の声に、レイははっとして顔を上げた。国王がやれやれというようにレイを見ている。 「――クラウス、聞こえているな?」 その一言に、レイはびくりと体を震わせた。そういえば、この通話はいつから繋がっていた? まさかだが『鼻をへし折ってやらねば』のくだりすら聞かせていたわけではないだろう。そう願いたかった。 『……聞こえている』 機械からクラウスの声が流れてきて、レイは内心ほっとしつつも、心臓が静かに早く脈打ち始めた。 国王が足を組み替えながらソファの背もたれの上に腕を預け、口を開く。 「ということは、自分の病状も把握したな?」  レイはその一言に項垂れた。クラウスに、再発の可能性については示唆していない。その兆候が現れたらそれとなく伝えるつもりだったが、問題ないのであればわざわざ言う必要もないと判断していた。先に言うことで、余計な心労を抱えさせたくなかったというのもあるが、それも今となってはただの傲慢だったのだろう。むしろ、レイがよく診ておかねばならないからと、クラウスの近くにいてもいい理由を、作っておきたかっただけかもしれない。  国王が畳みかけるようにクラウスに言った。 「考えろ。愛すべき人を失った時、お前は一人で立っていられるか? そうでないなら、私はこの結婚を認めるわけにいかない」  レイは国王の言葉に歯を食いしばった。この人は、全て承知の上でレイを拉致し、自分にクラウスの病状を語らせたのだ。他の誰でもない、レイ自身に。  そして、国王はレイに向き直った。鋭い眼光がレイを射抜く。 「加えて、レイ。お前はクラウスの仕事を分かっているのか? 魔法使いは調律が大事なのだろう? だからわざわざクラウスはお前と婚姻を結ぼうとしている。だが、実際には仕事となった場合、お前と長期間離れることもあるだろう。その時、お前の実力では共に行くことはできない。そうしたらどうする? 調律をしておかねばならない時、お前はクラウスが――」 『やめろ!』 クラウスが国王の話を遮るように、鋭く声を上げた。だが、レイはしっかりと国王の言葉を通信魔法機器で塞がっていない右耳から聞いていた。 「他の誰かと調律することを認められるのか?」 聞きながら、レイは心にそっと蓋をした。  この問いは、レイはずっと心の片隅で考えていたことでもあった。以前、クラウスと初めて調律するときに話していた言葉が、ずっと胸につかえていた。「任務のときにどうしても必要な場合は、調律をしていた」と。もし補佐を置いて名前だけの公爵となり、そのまま諜報部を続けるのであれば、避けて通れない道であることも、ずっと考えていた。――エルヴァンローズが見せたあの悪夢の日よりも、ずっと前から。 「……私は」 レイは、クラウスに聞かれているということを承知の上で、口を開いた。 「それが、クラウスの生存に繋がるなら、受け入れるしかない、と……思っています」  声に出して、震えた。自分の魔力が驚くほど恐怖している。実際にそんなことがあったら、理性と感情の板挟みで、きっとレイはレイの形をした何者かになり果ててしまうだろう。わかりきった破滅を受け入れてでも、レイはクラウスの命と引き換えとなるような選択を取ることができなかった。  目の前の国王も、タールマンも驚いたようにレイを見ていた。即答では無いにしろ、あらかじめ用意していた答えだということが伝わったのだろう。ただ、レイは目の前の二人の反応よりも、左耳から流れてこないクラウスの反応が気になって仕方がなかった。 「……あー、その。なんだ……想定されていたか」 国王が、言い淀む。 「……私は、幸せ者だな。理解のある国民に恵まれている。そして、その覚悟をもってまで、クラウスのそばにいようとしてくれていたとはな……」 国王が両手を握り、顔に当て俯いてしまった。深い沈黙が下りる。レイはただ、灰皿の上で消された煙草の火を茫然と見ていた。 『レイ』 左耳に付けた機械からやっと聞こえたクラウスの声は、少し震えて苦しそうで、やっと絞り出したような声だった。レイは震えた。クラウスのどんな言葉でさえ、レイは悲しい未来しか想像できなかった。 『私は……私は、望んでいない』  ――……ほら、やっぱり、そう言った。  レイは想定通りの言葉に、胸が苦しくなった。そう言われたならば、レイはこう答えなければならない。始まってしまう。悲しい末路への会話が。 「クラウス、それは、ダメだ」 『レイ』 「君の命は何物にも換えがたい。いざとなったら俺のことを捨てるぐらいの覚悟でないと――」 『レイ、頼む、話を――』 「了承してくれ、クラウス」 『レイッ!』 冷静さを欠いたクラウスの声が聞こえる。レイは自嘲気味に笑った。クラウスが冷静さを欠くときは、いつも自分に関わることだった。自分は本当に、この男の弱点になってしまった。レイは目を閉じ、以前クラウスが言っていた言葉を思い出していた。――「君を人質に取られたりでもしたら、私は喜んで命を差し出しただろう」――それだけは、ダメだ。 「さもなくば、俺は君の隣に立っていられない」  レイの一言に、タールマンがレイを見つめてきた。国王は、視線を上げようともしない。長い沈黙の中で、かすかに左耳に届くクラウスの浅い呼吸音が、胸を締め付ける。  クラウスという男は、レイに優しすぎた。いかに冷静を装うとも、表情を殺そうとも、いざという時に切り捨てることができない。レイは彼の中で一番に据えられることが至上の喜びであると同時に、相手と対等であれない自分の無力さを突き付けられ続けるのが、苦しかった。対等であるためには、彼の荷物になるわけにはいかなかった。 『……えらべ、ない』 重い沈黙の後、そうして辿りついてしまうことが、レイには分かっていた。それは、魔法使いの本能ともいえる選択だったから。  肺が縮こまる。息が苦しい。目が痛い。それでも、言わなくてはいけない。 「――さよならだ、クラウス」 そう口から絞り出して、レイは左耳から小型の機械を震える指ではぎ取って、トンッと魔法石を叩いた。手の中の機械が音を発しなくなり、レイは静かにローテーブルの上にその機械を置いた。  国王の耳についている小型の機械から、バネッサらしき声が漏れ聞こえる。非常に焦っているのだけはなんとなく伝わっていた。 「……バネッサ、なんとしてもクラウスをここに寄せ付けるな。オリン、聞こえているな? バネッサをサポートしろ。今ここで、レイと会わせるわけにいかない」  吐き捨てるようにそう言って、国王も耳から機械を乱暴にはぎ取った。機械からバネッサの声が漏れていたが、問答無用で魔力石を叩いて黙らせていた。タールマンもやれやれと耳から同様に機械を取り外すのが見える。 国王は手で目を覆うように擦ると、深いため息をついて切り出した。 「こうなることを予想したうえで、言ったのか」 「……はい」 レイは心にぽっかりと空いた穴を抱えるように、左腕で右肩を抱いた。不思議と涙は出なかった。それが、レイには少し悲しかった。 「クラウスに、諜報部をやめさせるという選択肢もあったはずだ」  その言葉が国王としての言葉なのか、叔父としての言葉なのか、レイには測りかねたが、結局答えは一緒だった。ゆっくりと首を振って、レイは静かに答えた。 「……クラウスは、王の秘術官候補、なんでしょう?」  レイの返答に、王の私室の空気がぴんっと張るのが分かった。ただ、レイにはもうそれすらもどうでもよかった。心が虚ろで、どうしようという気にもならなかった。 「何故そう思う?」 国王が顔から手を離して、すっとレイを見据えた。レイは力なくその目を見返し、そのままタールマンに視線を移した。 「勘……も、そうですが、一番はタールマン様の存在です。クラウスは、強い。魔術師として一線を画していると思います。今でこそ祖母が世界一とされていますが、正直、次の秘術官としては、祖母は御するのは難しく不適格です。となれば、次世代の育成を行うのは誰です? タールマン様でしょう? そして、クラウスに自らおっしゃっていたではないですか。誰が魔法を教えたと思っている、と」  レイは、そこでやっと大きく息を吐いた。体が遅れて震え始めた。どっと感情の波が押し寄せてくる。冷静になろうとすればするほど、喉に力が入って声が出なくなる。 「……どうか、お願いです。クラウスから、レーヴェンシュタインを、取り上げないでください。アイツのよりどころは、もうあそこしかない」 レイは、真っ直ぐ国王を見据えた。国王の目がそれをしっかりと受け止め、一呼吸おいてから天を仰いだ。 「おいタールマン、なんとかならんか。この子、諜報部に欲しいんだけど。自己犠牲と献身に溢れすぎ」  いきなり砕けた態度を取り始めた国王に、タールマンはまるでいつものことのように「そうですね」と受け止めて、感情の乗らない声で答えた。 「正直、ここ一週間ぐらい観察していましたが、技術としては申し分ないと思います。本当にあとは魔力回路の問題だけです。どうします? 諜報部の調律担当として選任で雇います?」 「いきなりエゲツナイ事言うなお前。人非人かよ」 「冗談ですよ」 「そう聞こえないから言ってるんだ」 一気に緩んだ空気に、レイは乾いた笑みを浮かべた。 「それが出来たらよかったんですけどね。残念ながら、たぶんクラウスとしか調律出来ないです」 「ははは! まぁクラウスが許さんか」 「いや、そう言う意味ではなく……言い方が悪いですが、誰と寝ても調律出来たことがなかったんです。クラウス以外」 しれっとそう言うと、国王とタールマンの動きがぴたりと止まった。微妙な空気が流れて、国王がタールマンを見ながら口を開く。 「魔法使いはそういうこともあるのか?」 「いえ、初耳です。そんなことあります? 単純に試した母数が少ないのでは?」 タールマンの言葉に、レイは調律の年に何人と肌を重ねたのか思い出そうとしたが、正確な数を思い出せそうになかった。その様子を見て、視界の端で国王が少し引いているのが見える。しかしタールマンだけは、初めて感情をあらわにして眉を寄せた。 「……それだけ貴重な調律相手を、むざむざ手放したんですか?」  この場では魔術師であるタールマンだけが、その異常さと重要性を理解できていただろう。そして、それが本当であったなら、クラウスという存在が、レイにとってどれほどかけがえのない存在だったのかも。  レイはその言葉に、ただ苦笑するしかなかった。 「クラウスにとっては、私が唯一の調律できる相手というわけではありませんから。国としての重要性も、俺なんかとは比べ物にならない」  心が虚ろなせいか、一人称すら体裁を整えることが出来ていないことに、レイは気付いていなかった。自嘲した一言に、タールマンは呆れたように肩をすくめ、そのまま国王を一瞥すると、再びレイに視線を戻した。 「合点がいきました。貴方に足りないのは、成功体験ですね。自身の力のみといいますか、魔法使いとしての成功体験が無さ過ぎる。よくできたところは“運が良かっただけ”で片付けてしまっているでしょう。魔法薬士としての成功体験があったとしても、それすら魔力回路が足を引っ張って霞んでしまっている。だから、自分に価値を置けなくて捨ててしまえるんですよ。貴方が自分を捨てるから、クラウスがそれを必死に拾おうとしている」  タールマンがそこまで言い切って、初めてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その表情からは何を考えているか読み取れず、レイは少し恐怖を覚えた。 「ここはケイジン流に行きましょう。レイ・ヴェルノット、賭けをしませんか? 貴方が勝ったら、諜報部でまずは魔法薬士として雇い入れましょう。おそらくクラウスが公爵家を継いだら、顔が売れる分外交という形で潜入する任務も増えるでしょう。そうなった時に、こちらとしても身内がパートナー役だと幾分か楽です。基本は後方支援になるでしょうが」 「ほう? 賭けか。いいねぇ、面白そうだ。内容は?」 タールマンの言葉に、国王が楽しそうに同意する。まだレイ自身が返答もしていないというのに。レイは眉根を寄せて口を開いた。 「……それは、根本的な解決にはならないのでは?」 「クラウスの呪いの件ですよね? そもそも貴方が背負い込む必要あります? あの子の問題でしょう」  教え子を一刀両断する勢いで言い放つタールマンに、レイは苦笑した。確かに、言われてみればその通りかもしれない。 「さて、あとは貴方の意思ですよ? 乗りますか? 降りますか?」 問いかけるタールマンの目は優しく、先ほどまでの“鉄仮面”さは微塵も感じられない。レイは腕を組んで悩んだ挙句、こう答えた。 「大学でも研究できるっていう条件を付けてくれると、ありがたいんですけど?」

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