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第41話 挑発

 オリンは傍聴席に座っていた。記者に変装し、その場で撮影した画像が確認ができる魔力石付きの映像記録機まで持ち込んだ。流石に自前で用意したもののため、静止画しか撮れないものだが、騎士服姿のクラウスを堂々と撮れる貴重な機会を逃すわけにいかなかった。昨夜の疲れがほとんど取れておらず、眠たい目を擦りながら映像記録機がきちんと動作するかチェックし、裁判の再開を待った。  昨日の日中はいけ好かない奴の護衛任務で気を張っていたのに、昨夜は理由も伝えられずに突然招集されて、オリンはレーヴェンシュタイン公爵家の本邸近くに待機を命ぜられていた。耳に付けた対傍受用に開発された小型の魔法通信機器から、国王とクラウス、そしてレイの話し声をただ息をひそめて聞いていた。  オリンも知らされていないクラウスの病状にも驚きを隠せなかったが、一番驚いたのはレイの覚悟だった。クラウスがレイと一緒に生活するようになってから、クラウスの魔力のコンディションは格段によかった。別段オリンにはそれを察するだけの能力はなかったが、もともと速さと正確性が抜きんでて優れていたクラウスの魔法が、過去類を見ないほど見事なまでに揺らぎもなく威力を発揮していた。オリンは、ただ調律したというだけでなく、相性の良さからくる効果をまざまざと見せつけられていた。それほどまでに調律の相性がいい相手が、魔法使いにとって現れれば、当然惹かれ合うのは致し方のないことだと、オリンも頭では分かっていた。だからこそ、クラウスの生存に繋がるなら、他者と調律することを厭わないというレイの発言が、魔法使いの本能的に理解できなかった。 『――さよならだ、クラウス』  その言葉を聞いた瞬間、オリンはレイに敗北した。その余韻すらもらえず、クラウスがレーヴェンシュタイン公爵邸から飛び出したとバネッサが叫び始めた。隠密魔法も使わず、身体能力強化魔法のみでオリンの頭上をクラウスが悲痛な表情で飛び越えていくのが見えて、慌ててそれを追いかけた。  オリンは、あんな表情のクラウスを見たのは初めてだった。むしろ、クラウスが何かしらの表情を浮かべているということ自体が、事の異常さを語っていた。身体能力強化魔法をつかって追いかけても、本気のクラウスにはバネッサもオリンも追いつけない。 『バネッサ、なんとしてもクラウスをここに寄せ付けるな。オリン、聞こえているな? バネッサをサポートしろ。今ここで、レイと会わせるわけにいかない』  国王の指示が飛び、オリンの後方でバネッサがわめていたが、オリンはすぐさまクラウスに魔法による攻撃を開始した。クラウスの足止めをするには、そうするしかなかった。敬愛する実力者であるクラウスと一戦交えられるのは、不本意ながらも魔術師たるオリンの心は躍った。全力を出し、クラウスを殺すつもりで戦った。しかし、それすらも足止めにしかならなかった。 『バネッサ、オリン、もういい。よくやった』 国王の声が届いた頃には、オリンはクラウスの魔力によって拘束され地面に転がっていた。  護衛の任務を解かれ、久々の休みにしているのが、クラウスの盗撮まがい行為なのは、我ながら笑える。昨日のことを思い出しても、クラウスの実力には遠く及ばないという再確認にしかならなかったが、オリンはますます燃えていた。結果として、クラウスはレイに振られた。あとはクラウスを振り向かせることができればそれでいいのだから。仕事でバディを組むことも多かった。まだ調律はしたことないが、もしかしたらレイよりいい可能性だってある。そうでなかったとしても、レイとは違って自分は任務に同行できるだけの実力がある。  最後に選ばれれば、最終的に、レイに勝てればそれでいい――。  我に返って、オリンは口元を抑えた。思考の終着点が、クラウスの隣に立つことではなく、レイに勝つことにすり替わっている。それほどまでに、自分はあいつに負けたというのが許せないのか。 「……ハッ、なっさけね」  口から思わず漏れた言葉に蓋をして、オリンは視線を上げた。進行官が現れ、ほどなくして自分の上司である国王が姿を見せる。厳かに再開された裁判の内容については、正直あまり興味はなかった。ディートリヒがくそ野郎だってことはもう分かってるのだから、さっさと進めて死罪にしてしまえばいいのだ。  原告側にはレイの姿も、浄化剤の告発に尽力したというマルキオンという男の姿もなく、国安保のマーベックとその弁護人のみだった。弁護人が代理権を宣言して、主訴を述べていく。レイが行使したという宣誓魔法の宣誓書も公開され、レイの証言が真であったことが証明された。また、その宣誓にあたり、釈明として魔法捜査一課のウォンが防犯上の理由でレイに依頼したことを証言した。しかしそれでもディートリヒ側は悪びれることなく、被害者自体が捏造ではないかと主張し始めた。ディートリヒをつかってクラウスに『次期公爵候補は、呪われるような男』というレッテルを貼るためだけにどこまでも醜く食い下がってくる。後ろで操っている奴なんて、痛くもかゆくもない。こうやって次期公爵家の後継者となる人間を引きずりおろし、第二王子側にとって都合の良い者をレーヴェンシュタイン家に据えるか、クラウスが後継者となった暁には、その人間性に難ありとして伴侶に公爵家にたる者を、と囁くのだろう。――反吐が出る。 「では、ディートリヒ卿にその命を狙われた被害者に、証言をお願いしたいと思います」  原告側の弁護士から告げられ、進行官のうちの一人が証人控え室へ向かっていった。オリンは映像記録機を構えた。しばらくして、進行官を先頭に、クラウスが法廷に入った。記者たちが一斉にざわめき始める。クラウスは別件の被害者として事前に報道されていたものの、それが浄化薬の件だとは知らなかった記者たちが、クラウスが呪われていたという事実に気付いて驚いていた。さらに、大貴族が呪われていた事実が公にされたことも、その衝撃を広げていた。  記者たちがペンを走らせている。オリンの隣に座っている本物の記者は、「レーヴェンシュタイン家の対立」と走り書きしていた。カメラマンたちが映像記録機を構え撮影し始める。これは、検閲されないと踏んだのだろう。  クラウスが証言台に立ったところで、進行官が木槌を鳴らす。法廷が静まり返り、進行官が口を開こうとした時だった。 「クラウス」 国王が玉座のひじ掛けで頬杖を突きながら、面白いものを見るように声を上げた。オリンは眉を顰めてそれを見守った。本当にあの上司は速やかに進行させようとしない。自分勝手がすぎる。  記者たちが固唾をのんで、『玉座の問い』を待った。たった一呼吸の間が、法廷では非常に長く感じた。 「……お前は、レーヴェンシュタインを望むか?」 前代未聞の同一公判中2度目の玉座の問いに、記者たちはペンを走らせ、クラウスの返答に集中する。被告側だけが焦燥感に駆られているのが見て取れる。 「はい」 はっきりと答えるクラウスの顔は傍聴席からは見えないが、その声の響きには芯があった。その返答に国王がニヤリと笑う。 「それは、恋人を犠牲にしてでもか?」  その一言が紡がれた瞬間、オリンは臓腑が冷え、息苦しさを感じた。――たった一瞬、クラウスから放たれた重く鋭い殺気。記者たちが一呼吸おいて、訳も分からず咳込み始めた。  クラウスは答えない。だがその様子を見た王は、高らかに笑い始めた。法廷に響く笑い声と、国王が楽しそうにひじ掛けを叩く音。異様な光景に、法廷にいるもの全てが絶句していた。  ひとしきり笑った後、国王が口を開く。 「クラウス、賭けをしよう。期限は2か月。お前の恋人を見つけられたら、お前の望み通りにしてやる。それが出来なかったら、諦めろ――全てを。どうだ、やるか?」 国王の目がぎらりと輝いている。のってこい、と瞳がそう言っている。オリンはこのおかしな法廷に天を仰いだ。 「……受けて立つ」 クラウスの一言に、傍聴席が沸いた。歓声の中、王はまた玉座を後にする。二度目の裁判中断に進行官がやけになりながら「次の再開はおよそ2か月後! おって沙汰を出します!」と叫んで木槌を打った。 「――『前代未聞! レーヴェンシュタイン家と恋人をかけたクラウス卿の行く末は!?』……何これ」  研究室の椅子に座り、目の前で新聞を広げながらフォルトンが遠い目をして聞いてきた。それを聞きながら、オリンはビーカーに注がれたお茶を眺めていた。口を付けるのもなんとなく気が引けて、指先で机の奥の方へ押しやって、先ほどフォルトンからもらった染毛剤と洗髪剤を交互に見比べた。  各種新聞には、昨日の裁判で起こった内容が事細かに記されていた。クラウスが呪われていたという事実と、レーヴェンシュタインの後継者という地位をかけて国王と賭けをしたという内容まで事細かに。『玉座の問い』が行われたことだけでも歴史に残る瞬間なのに、その内容が領主決めを賭けで行うという意味不明さ。恋人は誰なのか、また何故領主になることが“恋人を犠牲にする”ことにつながるのか、疑問が疑問を呼び、色々な憶測や批判が飛び交っている。 「聞いてる!?」  フォルトンが声を荒げる。オリンはため息をつきながら二つのボトルを机の上にそっと置いた。どうもこうも、あの上司がすることなんて予想の斜め上なのだから、聞かれたところでどう答えろというのだ。 「聞いてる聞いてる。ありがとな、色落ちしづらい洗髪剤まで付けてくれるなんて」 「聞いてねぇじゃん!」  フォルトンがバンッと机を叩き、先ほど机の中央に寄せたビーカーの中のお茶が波打って少し跳ねた。 「なんでレイが行方不明なんだよ!」 「あ、そっちね」 オリンは改めて研究室を見渡した。今はフォルトンとオリンしかいないようで、会話を聞いている人の気配はなかった。オリンはフォルトンに声の音量を下げるように手振りで伝えてから、ため息をついた。 「いや、むしろこっちも何か手掛かりがないかと思ってきてんだよ。アイツが行きそうな場所、知らね?」 フォルトンは煮え切らない顔をしながらお茶に口を付けた。どうでもいいがここにはカップを使うという発想はないのだろうか。  口に含んだお茶を舌の上を滑らせるように動かしてから嚥下し、フォルトンはオリンの目をしっかりと見た。 「……レイが、連絡もなく姿を消すなんてありえない。それこそ、脅されるか攫われるかしてない限り」  オリンはフォルトンの言葉を聞いて、視線を泳がせた。フォルトンの言うことは、ある意味当たっている。一昨日の夜に、タールマンに拉致されたレイは、それ以降、消息が不明だ。国王が隠したとみるのが妥当ではあるが、昨日の裁判後に諜報部全員から問い詰められて、「それなりの手助けはしたが、閉じ込めているわけではない。姿を現さないなら、それがレイの意思ではないか?」と白状していた。国王の言う手助けというのが、どういうことなのかも分からないが、諜報部全員で手分けしても構わないという自信満々な態度に、“それなり”の程度が相当なものであることは、容易に想像できる。そこにレイ自身の希望が入っていればと思い、今日レイを良く知る人物を訪ねたわけだが、当てが外れたようだ。 「そうか、邪魔したな」 オリンがそう言ってもらったボトルを持ち上げると、フォルトンはすかさず口を開いた。 「それ、きちんと染まるんじゃなくて、上から塗って一時的に色を変えるタイプ。専用の洗髪剤を使わないとすぐ落ちるようになってる」 「は? なんでそんな仕様に――」 何の説明書きもない染毛剤からフォルトンに視線を移すと、フォルトンはジト目でオリンを見た後に、わざとらしくため息をついてきた。 「横恋慕って醜いと思うけど、気持ちは分からなくない。……クラウス卿には絶対オリンの気持ちは届かない。でもその時、自分の髪の色がクラウス卿と同じ色に染めた後だったらさ、しばらくしんどいでしょ」 ――届かないって決めつけんじゃねぇよ。 「呼び捨てにすんじゃねぇよ」 口から出そうになった言葉をぐっと押し込めて、オリンは別の言葉を吐き出した。白金髪に染めたいという希望で、自分の気持ちが露呈することは承知の上だったが、結果まで想定されるのは心外だ。 「他人への口の利き方も知らねぇ、しかも友人の恋人に横恋慕してるやつにつかう敬語なんてねぇよ」 オリンは苛立つ気持ちを抑え込みながら、内心で毒を吐いた。――魔術師でもない癖に、偉そうに。  オリンは踵を返して研究室のドアへ向かった。苛立ちながらも、しっかりと染毛剤と洗髪剤を手にしたまま。 「もし本当にレイが――」 オリンの背に、フォルトンの声がかかる。オリンは一度立ち止まって、肩越しにフォルトンに視線を向けた。フォルトンの表情は真剣そのもので、嘘偽りを言おうとしているようには見えない。 「……レイが、自分の意思で身を隠しているとしても、アイツは魔法からは離れられない。絶対に、何かの魔法の近くにいる」 フォルトンの言葉に、オリンは一瞬考えて口を開いた。 「何故そう思う?」 すると、フォルトンがきょとんとした顔をしてから、口の端を上げて笑いながら答えた。 「アイツは、根っからの魔法使いだからだよ」 その返答に、オリンは心の中にもやもやとしたものを抱えながら、研究室を後にした。根っからの魔法使いであるはずの男が、魔法使いの本能に抗って、調律相性のいい者から離れたという事実が、どうにも腑に落ちなかった。本当に魔法使いなら、縋り付いてでも共にいることを選ぶだろう。  オリンは歩みを止めて、手の中の染毛剤を見つめた。この染毛剤も、レイがフォルトンに依頼したものだった。色の専門なら、フォルトンだから、と。 「……どこまでも厭味な奴め。絶対好きになれない」 オリンはそう独りごちて、染毛剤と洗髪剤を鞄に押し込んだ。

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