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第42話 焦燥
オリンは王城の地下にある諜報部の待機場所でぐったりと座っていた。簡素なデスクと椅子に座って、レイが使っていた通信魔法機器のログを追っていた。ログの多さもさることながら、内容がクラウスと学校関係者を除くと、ほぼ魔法薬に関わるものばかりで辟易していた。中には他国で研究されている呪いによる魔力回路痛の対処療法について論文の原文取り寄せ依頼だったり、それに対する意見交換であったり、中を見るだけで少なくとも3か国語でやり取りされていた。
オリンにはその内容が読めてもさっぱり分からず、バネッサにそれを投げた。バネッサはその内容を見て噴き出していた。
「すご……他国の魔法薬士や魔術師とあちらの言葉で意見交換してるの? 論文を読むだけじゃなくて? 所属している研究室の方針かしら……。相当な熱量がないとやってらんないわね、こんなの。それをきちんと返してくれる相手もなかなか熱いじゃない。……ふぅん……対処療法に使われている薬の……なんだろ、専門用語は流石に分からないけど、成分の抽出方法? について……」
そのログを齧りつくように読みふけり、バネッサのテンションが静かに上がっているのを見ると、オリンは余計に面白くなかった。通信魔法機器のログをひったくり、乱暴に机の上に置いた。バネッサが読んでいる途中で取り上げられたことにより、抗議の声を上げる。
「ちょっと! あんたが私に見ろって言ったんじゃない!」
「内容を精査しろって言ったんじゃねぇっス! アイツの手がかりにつながるようなものがないかって話!」
オリンは捲し立てた後、視線を逸らすバネッサにため息をついて机に突っ伏した。
裁判の中断から2週間が経った今でも、レイの消息は掴めない。かといって、諜報部もレイの捜索だけに時間を割くわけにいかなかった。現在オルディアス王国には様々な影が落ちている。例えば、隣国ザルハディア王国の動きだ。クラウスの実母による暴挙も、呪いの浄化剤の大量輸入も、ザルハディア王国に起因している。現在諜報部の人数がザルハディア王国での潜入調査に割かれているため、国内のことに関してはクラウスを含め5人で対応するしかないが、クラウスは顔が知られてしまったため表立って動くことはできなくなった。伝説の魔術師と言われるルミアも、今は霊峰ヘイムディンズに常駐しており、先日のような事態が無い限り助力を乞うのは不可能だ。むしろ、あちらのタイミングが合うときでないと、こちらの通信魔法機器の音声は届かない。この魔法が霊峰ヘイムディンズまで届いて話ができるのは、ルミアが我々と同じ通信魔法機器を持っているということと、その魔法を彼女自身が一時的に強化して無理やり繋げているからだ。本当に伝説の魔術師様はスケールが違い過ぎて理解が追い付かない。
「バネッサ、ディートリヒの第二王子側との繋がりについて、裏は取れたんスか?」
「まだよ。レイ君の拉致監禁に使われた私兵の以前の雇い主が、全員第二王子派のフェリンブル伯爵家ってことは分かってるけど、決定的ではないわね。フェリンブル伯爵家に密偵を送り込んでひと月は経つけど、まだ連絡はない」
「他に手掛かりは?」
「以前、何度かディートリヒの私邸に出入りがあった業者に、第二王子側の息がかかったところがちらほらあったけど、ここから探るのは難しいし、正直、非効率ね」
二人で顔を見あって、ため息をついた。人手が足りない。またしばらく休みはなさそうだ。そう思った矢先、遠くの方で待機場所の鍵が開く気配がした。階段を静かに降りる音が近付いてきて、ドアノブも鍵穴もない壁に開錠魔法がかけられた。カチャリと音を立てた後、壁が床に静かに沈み込む。壁の向こうから現れたのはクラウスだった。
「クラウスさん、あの――」
大丈夫ですか? オリンは腰を浮かせてクラウスに声をかけたが、言葉が続かなかった。明らかに大丈夫ではない顔色の悪さが、相変わらずの無表情ゆえに余計に際立っている。
クラウスがオリンを一瞥したが、オリンが言葉を続けなかったために、クラウスはそのままバネッサの元へ歩を進めた。
「バネッサ、頼む」
目の前に立つクラウスの姿を見て、バネッサは重いため息をついた。そのまま何も言わずに手を翳し、医療魔法を行使し始める。翳した手から白い魔法陣が浮き上がると、バネッサは集中してクラウスの状態を確認していった。
「……魔力の汚染は、見られない……けど、昨日も寝てないわね? 極度の疲労状態で魔力回路が著しく疲弊してる……あなた、夜な夜な何してるの?」
非難に近い口調での問いに、クラウスはただ黙っていた。答えないクラウスに、バネッサは苛つきを隠そうとしなかったが、それでもぐっと堪えて、冷静さを保とうとしていた。
「……ごはんは、ちゃんと食べられてるのね?」
その一言に、クラウスがわずかに目を見開いた。たった一瞬だが、藍色の瞳に灯が宿り、またそれが隠れてしまった。何かを懐かしむようなその表情を、オリンは見逃さなかった。――容易に想像ができる。過去に誰がその言葉をクラウスにかけたのか。
「食べている……家族が作っているから、残したら心配をかける」
その一言に、オリンは眉を寄せた。クラウスが家族と言える人は、もうあとは公爵本人しかいないはずだ。訝し気な顔をしたオリンを他所に、バネッサが少し驚いたように口を開いた。
「やっぱりレイ君に出会って貴方、変わったわ。以前だったら、『問題ない』って言って、取り付く島もなかったわよ、きっと」
バネッサの指摘に、クラウスは何かを考えて、目を閉じた。
「…………そうかも、しれないな」
長い沈黙の後クラウスがそう漏らして、踵を返し待機場所を出て行った。施錠魔法が行使されたことで沈んでいた壁が這いあがり、クラウスの姿は見えなくなった。
「オリン」
隣にいるバネッサに呼ばれて、オリンは顔を向けた。バネッサはクラウスが消えていった壁の向こうを見ながら、口を開いた。
「絶対、レイ君見つけるわよ」
その言葉に、オリンは内心どうでもいいと思いながら、「へい」と小さく答えた。
寮の自室で、フォルトンは通信魔法機器のログを遡っていた。レイに関わるログは、セリルと夕飯を食べるときのもので終わっている。その後に入っているのは、家族からの連絡と、後輩からの恋愛相談と、飲み屋で働く友人から「珍しい酒入ったけど、次いつくる?」という誘いの連絡ぐらいだった。傍受の可能性があるから通信魔法機器は使っていないと言っていたが、それでも知らない誰かから無事だと連絡があればいいなと、淡い期待を抱きながらつい通信魔法機器を覗いてしまう。
毎日通っている研究室に、あの銀灰色の髪が見えなくなって、もう一か月。新聞からもレーヴェンシュタイン公爵家の話題は一面から消えた。
フォルトンは机に頬杖を突きながら、適当に返信を返していた。夜遅くにこんなことができるのも、同室の寮生が長期休みに実家へ帰っているためだ。去年の今頃は、レイと二人、他に誰もいない研究室で暑い暑いと言いながら二人でマルキオン教授から言われた課題に取り組んでいたのに、今年の夏はそれすらもない。来年になったら、フォルトンは院生をやめて国安保に入る予定だ。先日、正式にマーベック氏から打診があった。こうやって一緒に研究できるのも最後の年になるのに、一つ年下のレイと楽しくいられる夏が無駄に寂しく流れていく。いや、そもそもレイもクラウスと結婚という運びになったら、きっと大学へも来なくなってしまうのだろう。だが、それがこんな形で早まってしまうのは、フォルトンは望んでいなかった。
不意に、コンコンッと窓を叩く音が聞こえる。フォルトンは驚いて通信魔法機器の魔力石を叩いて停止させ、窓から少し離れた。ここは5階で、窓をノックできるはずがない。魔法を使える者がやってきたのは明白で、フォルトンはレイとセリルと夕飯を食べた後の襲撃を思い出して、窓に近寄れなかった。しかし、もしかしたらこれは、レイかもしれない。そう思うと、引かれたカーテンを開けてしまいたくなった。フォルトンは部屋にある長い箒の柄を掴んで、窓から距離を保ったまま、そっとカーテンを開いた。
窓の向こうには、誰の姿も見えなかった。フォルトンは小さく「ひっ」と声を上げると、誰もいないはずの窓の向こうから声が聞こえた。
「私だ。開けてくれないか」
低く鳴る低音に、フォルトンは聞き覚えがあった。慌てて窓の鍵を開けて、一歩下がる。誰かが音もなく滑り込んできたような空気の流れを感じて、フォルトンは窓の鍵を閉めてカーテンを引いた。
「……クラウス卿?」
ぽつりとつぶやくと、何もない空間からクラウスが隠密魔法を解いて現れた。その顔には深い疲労が滲んでおり、フォルトンは同室者の椅子を持ってきてクラウスに座るように促した。
「夜分にすまない」
クラウスが椅子に腰かけながら、そう言った。クラウスとこうやって話すのは、あの襲撃事件以来だ。だが、記憶のクラウスよりも放たれる空気が固く重い。
「……レイは、まだ見つからないんですか?」
フォルトンの言葉に、クラウスはただ黙って頷いた。
「やはり、君のところにも連絡はないか」
「ない、ですね……残念ですが」
一縷の望みを託してやってきたのだろう。それも空しい結果となり、クラウスは視線を下に落とした。
フォルトンは、クラウスの全身状態を素早く観察した。怪我もないが、疲れ切っている。顔色も悪い。もしかしたら、クラウスは毎夜こうやってレイを探しに彷徨っているのかもしれない。まるで、亡霊のように。
「……そんな状態のクラウス卿、レイが望むと思えませんよ」
その一言に、冷静沈着な目の前の男が、眉を寄せて目を瞑った。何も言わないその男が深く息を吐いて、「そうだな」と呟いて、立ち上がる。
「ちゃんと寝てくださいよ」
フォルトンが窓に向かうクラウスの背に声をかけた。その歩みが止まって、姿勢の良い長身が、肩を丸めた。
「……何かわかったら」
「連絡します。必ず。だから、ちゃんと寝てください」
そう答えると、一呼吸分の間を置いて、クラウスが大きく息を吸う音が聞こえた。
「ありがとう」
呟くようにそう言って、クラウスの姿が瞬く間にかき消えた。カーテンが勝手に開いて、窓が開け放たれる。湿った空気がふわりと窓から入って、辺りは静寂に包まれた。
「おかえりが、遅いんじゃないですかね? クラウスさん」
クラウスが自室のベランダに降り立つと、ベランダの手すりに隠密魔法も使わずに腰かけていたオリンが、少し不機嫌そうに声をかけてきた。クラウスが自身にかけていた隠密魔法と身体能力強化魔法を解いてオリンを見ると、オリンとすぐさま目があった。隠密魔法を使っていたとしても、地面を蹴れば砂は舞うし、芝生を翔ければ足跡が残る。オリンは夜目が利く。おそらくそれで帰ってきたことが分かったのだろう。
「ここで何をしている」
クラウスが問うと、オリンは小さくため息をついた。
「クラウスさんを待ってたに決まってるでしょう」
意図を測りかねて、クラウスは眉間に皺を寄せた。夜風が吹いて、月明りが二人を照らす。クラウスはオリンの光る髪を見て、余計に眉を寄せた。金色に光るその髪は、自分の髪と見紛う程よく似ており、日中見たオリンの黄色い髪とは違っていた。
視線に気付いたのか、オリンが笑う。
「あ、気付きました? 似てますよね。フォルトンに作ってもらったんですよ」
その答えにクラウスは余計に困惑したが、別段どうでもいいかと思って深く掘り下げようとはしなかった。そんなことよりも、オリンがここにいる理由の方が重要だ。
オリンは話に食いついてこないクラウスに肩をすくめながら、ベランダから部屋の方に向かって歩き出した。
「とりあえずここじゃなんなんで、中で話しません?」
「断る」
ありえない提案に、クラウスは即答した。オリンが中に入るガラス戸に手をかけようとしたが、それは寸手で止められた。オリンの表情が一瞬曇る。
「なんでですか?」
クラウスは不快感を表した。クラウスは自身とレイが過ごした部屋に、レイが『家族』と称した働いてくれている者以外、入れたくなどなかった。
「要件は?」
クラウスは有無を言わさず答えるよう促す。オリンは、眉を寄せて、ため息をついた。
「…………わかんないですか」
オリンの目がじっとこちらを見つめてくる。
クラウスは、その視線の熱さにやっと理解が追い付いた。そして、自分が犯した失態を悔いた。――オリンに、レイの護衛を任せてしまった。フォルトンに髪の染色剤をオリンが直接頼むとは思えない。レイを経由して依頼したのであれば、流石のレイもこの男が抱える感情に気付いたはずだ。
「いつからだ」
クラウスの言葉に、オリンはがっくりと肩を落とした。その仕草に、少なくとも最近ではないのだろうと思い、余計に自分の察しの悪さを悔いた。
「クラウスさんの魔法を、初めて見た時からですよ」
そう言ったオリンの言葉に、クラウスはため息をついた。この男が自分を見るときの輝きは、羨望のそれだと思っていたが。
「……そうか」
クラウスはどう答えればいいか分からず、ただそうぽつりと呟いた。それを受けて、オリンが一歩クラウスに近付く。
「ね、クラウスさん。試してみましょうよ。いざと言うときに、どれくらい調律できるのかは分かっておいた方が――」
「断る。帰れ」
沸きあがる怒りを抑えて、クラウスはベランダから中に入り、すぐさまガラス戸を閉め、施錠魔法をかけた。
「なんでですか! アイツも言ってたじゃないですか! 生存に繋がるなら受け入れるって!」
ガラス越しにオリンが言う言葉はわずかにくぐもってはいたが、はっきりと聞こえた。
「二度と」
クラウスは怒りに震えながら、なけなしの理性を振り絞った。
「――二度と、その話を、するな」
魔法でカーテンを引き寄せるように閉めると、更に結界を張って外の音を遮断した。静まり返る部屋を見渡して、クラウスはポーチから青緑色に淡く光るオーナメントを取り出した。掌の上で、ゆらゆらと青緑色の魔法薬の中で銀色と虹色の粉がゆっくりと揺蕩っているのをじっと見ながら、姿の見えない恋人に思いを馳せた。
――恋しい。ここに、レイがいないことが、ただ辛く悲しい。
クラウスはオーナメントを握りしめて、ベッドに横たわった。自身の魔力が、オーナメントの中にあるレイの魔力に縋り付いていくのを、ただ茫然と見つめていた。
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