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第43話 遭遇
長期休みということもあり、フォルトンは朝ゆっくりと起きてから街に繰り出す準備を始めた。
王都フィルドンの繁華街は、大きく二つある。一つは王城付近。いわゆる城下町だ。こちらは、役人や騎士などの宿舎もあり、ターゲット層が貴族向けの繁華街で、治安もいいが庶民は決して立ち入ることができない区画だ。フォルトンが向かおうとしているのは、もちろんそんなところではない。
もう一つは、王都フィルドンの顔とも言える転移港付近。こちらも決して治安が悪いところではないが、旅行客は必ずしも品の良い人だけではない。一つ裏通りに入れば、アングラな世界の入り口ともいえる世界が広がっている。もちろんフォルトンが向かうのはそんな世界ではないが、そこまで治安がいいとも言い切れない場所なのは間違いない。昨日の夜に連絡が来た、飲み屋で働いている友人の店がそのリャンディン・タウンにあるというだけの話だ。大学入学前からの友人で気心も知れているため、泊まりに来てもいいという。たまには羽を伸ばすかと、寮には三日程戻らない旨の申請を出した。
寮を出発しようと荷物を抱えて門をくぐったところで、視界に入った者を見てフォルトンは踵を返しもう一度門の中へ入ろうとした。人生で最も素早い判断だったと思う。運動神経がない自分としては、すんなりと動いた足を褒めてやりたかった。――しかしながら、相手の方が上手だった。回れ右して門をくぐろうとしたのに、大きな肩掛け鞄をわしっと捕まれ、フォルトンはその一歩を踏み出せなかった。昼前の午前中、その陽光を浴びてきらめく白金髪の男が、門の横でしゃがみ込みながら、フォルトンの荷物を掴んでいる。
フォルトンはため息をつきながら、観念した。
「何やってんの、オリン」
自分があげた染毛剤の色の出来具合を見ながら、フォルトンもオリンの横にしゃがみ込んだ。我ながらなかなかの色味だ。染め上げるわけではないので、太陽光の下にだと、少しぺったりとした光り具合になるのだけが惜しい。
オリンはのそりと顔を上げた。いつからここに座り込んでいたのかは知らないが、疲れた表情の上に泣き腫らした瞼が痛々しく、フォルトンはすべてを察した。
「だから……届かないって言ったじゃん」
フォルトンの言葉に、オリンの視線は再び石畳へと下がってしまった。
オリンの愚痴にたっぷりと付き合ったせいで、乗合馬車の時間一本ずらす羽目になった。目的地まで一時間揺られる乗合馬車は、長期休みの時期とかぶっているためか、なかなかの混み具合で、三泊分の用意を持っているフォルトンよりも大荷物の客もいた。
フォルトンは転移港の前で降りて、リャンディン・タウンに向かって歩き始めた。長袖だと流石に暑く、袖をまくり上げて歩く人の姿がちらほら見える。王城近くじゃ絶対に見られないそんな光景も、フォルトンにとっては馴染みが深くて息がしやすい。正直、大学の連中は貴族や成金出身が多く、フォルトンのようにあまり粗野な環境で育ってきたものがいない。それでも、やはり魔法使いとは変人ばかりなので、浮かずに済んでいるといってもいいだろう。
その筆頭がレイだった。レイは子爵位を持っているくせに、庶民と変わらない感性の持ち主だった。腕まくりもその一例だが、髪の毛はナイフで切るし、マグカップがなければビーカーで茶を注ぐし、茶もなければハーブを摘む。その上理屈っぽくて、うまくいかなかったら、うまくいくまでのトライアンドエラーに余念がない。だからこそ、少しも調律出来ないというのは過去に前例がないという理由で、調律の年には“封印されし伝説の杖”などという異名で語られる人となってしまったのは、自業自得だろうとフォルトンは思っている。
時間が押してしまって、到着が昼時から大きく過ぎてしまったが、友人宅は飲み屋の裏手にあり、夜遅くまで営業していることもあって、さっき起きたと連絡があった。店の裏手に回って金属製のドアノッカーを叩くと、しばらくしてからひどい寝ぐせで右側の髪だけが反り立った髪の無精ひげを生やした友人、パークが眠そうに出てきた。
「よぉ! 久し――酒くさっ!」
あまりの酒臭さに、フォルトンは思わず声を上げた。その声の大きさに顔を顰めながら、パークが気だるそうにフォルトンを中に招き入れた。
「飲み屋の店主なんて、そんなもんだろ」
「いや、飲むにしたってそこまで営業中に深酒しねぇよ」
「営業中には飲んでない」
「終わった後に飲んだら、ただののんべぇじゃねぇか」
呆れつつ、フォルトンは友人宅に入った。客間なんてものはないので、リビングにそのまま荷物を置く。その隅に置いてあるスプリングがひん曲がっていそうなソファーが、今日からしばらくフォルトンの寝床になる予定だ。
パークが大きな欠伸をしながらぼりぼりと腹を掻いたあと、はだけたシャツの前を合わせながらフォルトンに聞いてきた。
「メシ、食った?」
「いや、まだ」
「ん、ならなんか作るわ。二階上がってろよ。窓が開いてりゃ、幾分か涼しい」
そう言って、パークはリビングのすぐ隣にある小さなキッチンに入っていった。フォルトンは言われた通り、ソファの隣で据え置かれた急勾配の収納梯子を上がった。段を上がるたびにぎしりと軋む梯子を登りきると、小さな丸テーブルと椅子が窓辺に置いてあるのが見えた。既に開け放たれていた窓から気持ちのいい風が入り、黄ばんだカーテンを静かに揺らしていた。
ふと風に乗って、外から香の煙が部屋に流れてきた。柑橘系にハーブが混ぜられたさわやかな香りで、鼻につくようなものではなかった。フォルトンは、その香りは『虫よけ』だとすぐに分かった。柑橘系が入ると虫が寄りやすいイメージがあるが、この香りは酒に絞って入れられることが多いリペレントパイトオレンジという柑橘類で、果肉は美味しいのに、皮に虫が嫌う成分が含まれている。ハーブの方も、清涼感のある香りで虫を遠ざける効果があり、香りにしろ効果にしろ、絶妙なの配合だった。
香りの元を辿るように、フォルトンは窓辺に近付いた。店の裏側は、このあたりの繁華街に店を構えている人が住むアパートメントが所狭しと並んでいる。それでもいい風が通るのは、ちょうどこの窓がアパートメントとアパートメントの隙間に位置しているからだろう。まさに立地の運といえる。
窓から外を覗いた瞬間、右斜め向かいの住人と目が合った。二階建ての割には低いアパートの、屋上というには物干し場といった方がしっくりくるスペースで、シーツを伸ばしていたその人は、吹いた風に薄茶色の横髪を押さえながら、こちらを見ていた。
目が合ったことに驚いたのか、パッと目を背けられ、干されたシーツの陰に身を隠してしまった。細身で身長も低く、一瞬では女性か男性か判別できなかったが、骨格からおそらく男性だろうとフォルトンはあたりをつけた。判別できなかったのは、その人が膝丈のワンピースドレスを着ていたからだ。胸元はふくらみを感じず、華奢な首元には黒いチョーカーが巻かれ、肩から先が露出した腕は日に灼けてもいない。目を惹くその白い肌を見るだけで、男娼のようにも見えたが、フォルトンはこの店の近くには女装バーがあったことを思い出した。
確かに、あそこの『ママ』は、ああいった過激な服装を従業員にもさせていた気がする。オルディアス王国は、他国と比べると同性婚を認めているため、同性愛者に寛容な文化が根付いており、そこから派生して「性」に対する需要の幅が広く、さまざまなスタイルや生き方が自然に共存している。それを目当てに出会いの場として他国からやってくることも珍しくはない。リャンディン・タウンにもそういった店は三軒ほどあるが、女装をし、化粧をしている男性の店は、男娼の店以外だと、その店しか存在しない。
その薄茶色の髪の男性が、足元に置いていた香炉を持ち上げて、アパートメントに入ろうとしたので、フォルトンは声を張り上げて呼びかけた。
「その『虫よけ』作ったのって、あなたですかー?」
フォルトンの声に、その人は一瞬足を止めたが、そのまま何も言わずに立ち去ってしまった。しばらくフォルトンは消えたその人を探すように外を眺めていたが、虫よけの残り香をかき消すようにおいしそうな香りが階下から漂ってきて、梯子の上からキッチンが見えないかと、落ちないように気を付けながら覗き込んだ。
「何作ってんの?」
「にんにくー、油ー、海老ー、きのこー、鶏肉ー、パプリカー、トマトー」
「うっわその組み合わせ、昼間っから飲みたくなるー!」
「そんな君にこのバゲットをあげよう。持っていきたまへ」
パークの申し出に、フォルトンは梯子をゆっくりと降りてキッチンに入った。皿の上に盛り付けられた小さく切られたバゲットとフォークを持って、フォルトンはパークに声をかけた。
「なぁ、裏のアパートのさ」
「あ? 何? 聞こえない」
フライパンの上で多量の油の中を泳ぐ具材たちがおいしそうな香りを漂わせながらバチバチと音を立てており、パークは声を大きくして聞き返してきた。フォルトンはそれに負けじと声を張り上げる。
「裏のアパート! 薄茶色の髪の男!」
「あー……女装バー『ロンロン』の子だよ。でも、あんまり近づくなよ? デリン爺のエンコだ」
その名が出て、フォルトンはフライパンから調理中のパークへ視線を移した。モグリの魔法薬士デリン、通称デリン爺。このあたりで起こった『あまり表に出られない人たち』が起こしたいざこざの被害者が駆け込む先であり、いきなりアングラ側の入り口とも言える人物の名が出てきて、フォルトンは首を傾げた。
フォルトンがデリンと会ったのは、国立魔法大学2年の頃。パークの店の裏で血を流して倒れていた、明らかにカタギではない人に肩を貸して、案内されるままデリンの元に駆け込んだことがきっかけだった。身を危険に晒す行為だとパークから後々怒られたが、モグリとはいえ整った調合施設と薬草棚を見ると、やはり心が躍った。
当時はまだ免許を取得していなかったため、見学させてもらうだけにとどまったが、その技術はすさまじく、迷いがなかった。安定しているのに豪快な調薬。即効性を持たせる魔力加工のしやすい素材が豊富に揃えられていたのもあるが、魔力加工のスピードがとにかく速い。直接治療できる医療魔術ではないものの、その素早い調薬のおかげでスピーディな治療に移れていた。その板についた調薬に目を奪われたのをよく覚えている。
フォルトンが疑問に思ったのは、先ほどの虫よけの香だった。香りの加工には、おそらく調薬魔法が使われている。だが、豪快なデリンの調薬魔法から、あんな繊細な調薬品が出来上がるイメージがどうしても結びつかなかった。
「あくまで噂だけど、自分の孫をカタギに戻すために『ロンロン』で面倒見てるって話。接客担当ではないらしいけどな。派手なドレスに派手な化粧だったら、確かに身バレはあんまりしないかもな」
「逆に目立ちそうだけどなぁ」
「ま、噂に尾ひれがついただけかもしんないけど、関わらないに越したことはねぇな」
パークの話を聞きながら、フォルトンは先ほど見た薄茶色の髪の男の容姿を思い出そうとしたが、見たのが一瞬だったこともあり、さらに目を惹くドレスや肌の白さのせいか、その細部まで思い出すことができず、なるほどと頷いた。
今日の夜はオリンがまた愚痴りに来ると言っていた。パークの店で飲んだ後、『ロンロン』にでも行ってみようかな、と友人の警告を無視しようとしたその瞬間、フライパンから跳ねた油が手の甲に当たって、フォルトンは「あちっ!」と声を上げた。
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