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第45話 露顕

 一房分の銀狼の毛を紐で括り、レイはタールマンとの合流場所に向かっていた。深夜ということもあり、あまり人の目はなかったが、それでも、試作した『隠密魔法薬』の効果が、今の魔力のコンディションでどれくらい持つのか不明だったため、レイの気持ちは焦るばかりだった。ふと脳裏に蘇るのは、レーヴェンシュタイン公爵領で、呪われたクラウスを抱えて空を跳び、森を走っていた記憶だった。あの時は隠密魔法ではなく、同時行使した魔法の効果がいつ切れるかと肝を冷やしていたが、今はあそこまでは切羽詰まった状況ではなく、ヘマをしても自分ひとりで済むので気が楽だった。  あわよくば、捕まった密偵も一緒に連れて帰りたかった。栄養状態が悪く、褒められた衛生環境でもない場所に患者を放置してくるのは、苦渋の選択だった。しかし、連れて帰ることができなかったのは、『身体能力強化魔法薬』の効果が途中で切れてしまったことにある。  隠密魔法と身体能力強化魔法の魔法薬化については、現在研究が進められている分野であり、まだきちんとしたレシピの確立ができていない。様々な研究結果を取り寄せ、一か月間苦心しながら実用化にこぎつけたものの、結果はこの有様である。――正直、自分でもはっきりと自覚できるほど、レイは魔力のコンディションが良好とは言えなかった。魔力の乱れにより最近は頭痛も頻発するようになった。魔法薬は魔力に作用して効果を発揮するため、今回の結果が、魔法薬のレシピの不完全さからきたものなのか、自分の魔力のコンディションが万全でなかったからなのか、どちらに起因するのか判別がつかなかった。  貸倉庫が立ち並ぶ区画を抜け、貴族御用達の店が立ち並ぶその場所に、馬車は止められていた。乗り込む前に合図のノックをしようと手を伸ばした、刹那。 「どうぞ」 ノックもしていないのに、背後から声がかかった。レイはパッと振り向いたが、そこには誰もいない。 「早く入ってください。後ろがつかえてます」  尚も聞こえる声に、レイは苦笑しながら馬車のドアを開いた。馬車の中は誰もいない。レイは御者側の奥の席に乗り込んだ。後ろから声をかけてきただろう人物がレイの後から入って、ドアを閉める。  レイの席の斜め向かいの席が少し沈み込み、ため息が聞こえた直後に、その席に隠密魔法を解除したタールマンが姿を見せた。 「まずは、お疲れ様です」  感情の乗らない一言がレイに刺さる。レイは額に手を当てるようにこめかみを押さえつつ、口を開いた。 「ついてきていたんですね」 「流石に、初心者を一人で行かせるはずがないでしょう。ただ、どう考えて行動するか、どのように行動するかを黙って見ていただけです。いないも同然でしょう」  それをこちらに伝えずに見ていたという事実は、試験していたということに他ならない。それをあっさり後出ししてくるタールマンにレイは内心毒つきながら、続きを待った。  タールマンは人差し指を立てた。 「まず一つ目。貸倉庫内にいた見張りの無力化。ここに関しては及第点でしょう。攻撃魔法薬の軽量化はうまくいったようですね。銃弾に封じ込め、着弾とともに作用させるには弾丸の素材調整も含め相当な技術力が必要だったでしょう。誰の発案です?」 「発案は俺です。ただ、銃の入手と銃弾についての助言は、知り合いに依頼しました」  レイの答えに、タールマンが無言で手を出してくるので、レイは腰についているホルスターから32口径リボルバーを取り出してタールマンの掌に乗せた。タールマンが弾倉を覗き、込められていた弾丸を取り出して注意深く観察し始めた。 「氷魔法が得意?」  タールマンの意外な一言に、レイは首を傾げた。そもそも先天的魔力回路の欠陥のせいで、魔法に得意不得意という概念を持ち合わせているほど、攻撃魔法を使用したことがなかった。レイが答えないでいると、タールマンは「そうですか」と呟いて、次はリボルバーそのものを一瞥し、明らかに不愉快そうな顔をした。 「この銃は……軽いですが、セーフティがついてない。あまりお勧めできませんね」  没収と言わんばかりに中に残っていた弾丸だけをレイに手渡し、リボルバーは懐にしまわれた。タールマンの掌から弾丸を受け取ったにもかかわらず、タールマンはその手を引っ込めようとしない。レイはタールマンには見えないだろうが、怪訝な顔をしながらタールマンを見つめた。 「もう一丁、あるでしょう」  タールマンが静かにそう告げてくる。レイは戦慄した。今日はこの銃を使用していない。にもかかわらず銃の存在を把握されている。いったいどのタイミングから見張られていたのだろうか。  レイは袖をまくり上げて、腕に固定するためのベルトから小型の41口径二連発ピストルを取り外してタールマンの掌に置いた。 「……着替えすら覗かれているとは思っていませんでしたよ」 「クラウスには内緒にしてくださいね。怒られたくないので」  頼むから覗いたことを否定してくれ――そう思いながらレイは咳払いをした。  タールマンが再び小型ピストルの弾倉から弾丸を抜き取り、吟味するように見つめ始めた。その目が一度細くなり、驚愕に開かれる。 「どうやって封じ込めました?」  その一言に答えようとした時、レイの隠密魔法薬の効果が切れた。タールマンの瞳がレイの目を射抜くように鋭く向けられた。レイは鋭さに視線を泳がせながらため息をついて、観念したように答えた。 「S級魔力石と、俺の血を少々」 「やり方は?」  興味が尽きないようで、間髪入れずに飛んできた質問に、レイは流石クラウスの師匠だな、と感じた。 「魔力石に俺の血で古代文字を使用した魔法陣を描きました。砕けた瞬間に発動するように魔法陣を設計し、あとは、既存古代魔法のフル詠唱です」  レイは、自分の魔力回路が古代魔法との相性がいいことを知っていた。そして、古代魔法の欠点は、その詠唱にある。古代魔法は、それを扱う適正のある者でないと発動しないが、その発動のための詠唱をするだけで現代魔法の発動スピードに劣る。レイはその古代魔法を発動するためのぎりぎりまで短縮して使用していたが、短縮せずに行えば、魔法によっては発動させることができた。ただし、その詠唱は早口であったとしても3分ほどかかる。まるで曲の歌詞のような繰り返しが入り、短縮していたのは、正直覚えていられないのもある。 「……発動、するのですか?」  タールマンが、期待と恐怖を綯い交ぜにした表情を浮かべている。それもそうだろう。これが発動すれば、古代魔法の欠点は、消える。  レイは、口元を吊り上げ、ニヤリと笑った。 「――します」  タールマンの瞳が、真意を見定めるようにすっと厳しく細くなった。レイはその瞳を真っ向からしっかりと受け止めるように見据えた。  そもそも、古代魔法を扱おうとする人がいない現代で、適性があり、その本領を発揮できる魔法使いは、ほぼいない。加えて、本領を発揮できるほどの力を持つ魔術師だったとしても、詠唱してしまえばいいのだから、封じ込めて使おうなどと発想自体が存在しない。――これは、古代魔法を扱える魔法薬士のレイだからこそ出てきた発想だった。  タールマンの視線がなかなか外れないので、レイは懸念事項を付け加えた。 「ただ……S級魔力石が必要なんで……やるコストが……」  その言葉に、馬車の中の空気が一気に緩んだ。やはり世の中、金である。  タールマンが苦い顔をしながらも、面白そうに笑い始めた。 「今回は、ケイジンが面倒を見るという約束のもとですので、構わないでしょう……『あなたの実力を見せる』という課題に対するコストは、ケイジンの財布が痛むだけですから。……では、講評の続きをしましょうか」  小型ピストルをレイに返却し、タールマンは2本指を立てた。 「隠密魔法薬については、実験段階の割にはうまくいっていたと思います。ただ……貴方、痕跡を残し過ぎですね」  タールマンの表情が一気に厳しさを帯び、レイは聞き漏らさないように真剣に聞いた。痕跡と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、密偵に渡した回復ポーションだが、飲み干されたので瓶は回収してきた。足跡がつくような泥汚れは無かったと思う。いったい何のことを言っているのか、レイには予想がつかなかった。 「……本来であれば、隠密魔法では消えるはずのものが消えていません。……匂いですよ。貴方、煙草を吸いましたね?」  指摘を受けて、レイは眉間を押さえた。厳密にいえば、レイが吸ったのは煙草ではなかったが、あえて煙草に見えるように作ったので、そういう意味では造形のクォリティとしては高かったということだろう。  レイが吸っていたのは、魔力の乱れからくる頭痛に効くサレッドセージで作った、煙草型の魔法薬だった。煙草ではないため愛煙家には向かない味と香りで、盗まれる心配も少ない。万一盗まれて吸われてしまっても、成分も軽めに作ってあるので、一度に5本以上咥えて吸わない限りは体調に影響はないと思われる。 「現状の隠密魔法薬を使用するなら、洗髪剤から食べ物まで、全てに気を配るべきですね。あと、足音。通常、隠密魔法を行使するときは、風魔法を併用して音を消します。音消しを別途準備するか、自分で掛けるかする必要があります。もしくは身体能力を鍛えて自分の足音を消しなさい。あれでは追跡してくれと言っているようなものです。クラウスがもしあの場にいたら、たとえ姿が見えなかったとしても捕まっていましたよ」  最後の一言で、レイは目を閉じた。煽るのがお上手で腹立たしい。タールマンは一つ息をついてから、立てる指を一つ増やし、講評を続けた。 「身体能力強化の効果が切れたことで、あの密偵を無理にでも連れて行こうとしなかったのは好判断でした。そして、物的証拠だけを持ち帰ったこともね。貴方の実力では、あれがベストでしょう」 ――クラウスなら、全てやってのけたでしょうが、と続きそうな口ぶりに、レイはため息をついた。あの男の隣に立つことの難しさは、重々承知している。現実を突きつけてくれるのは、むしろ優しさであることも分かっている。ただ、レイはこのタールマンの眼鏡にかなわなければ、現状クラウスの近くにいることは難しい。レイに課せられた課題の一つは、自身の有用性を認めさせることだった。 「総じて、文句はないです。素人の割にはよく頑張ってますよ。研鑽に励んでください」  その一言は、言葉こそなかったが、『合格』という意味を含んでいて、レイは心の中で「よしっ!」と叫んだ。すぐさまレイは懐から銀狼の毛をタールマンに手渡し、新しい銃の調達をしなくてはいけないと思案しながら口を開いた。 「では、よろしくお願いします」 「貴方も、早く行きなさい。すでに貸倉庫に応援は呼んであります。残り香からクラウスに追跡されても知りませんよ」  突然タールマンがそんなことを言い始めたので、レイはすぐに馬車から飛び出した。――レイに課せられた最後の課題は、約束の期日まで、クラウスに捕まらずに過ごすというものだった。  フォルトンはオリンと別れた後、注文したフィッシュアンドチップスを平らげ、何杯か酒をひっかけたあと、『ロンロン』を後にした。もうとっくに日付も変わっており、フォルトンはパークの店に顔を出してから、寝床へと引っ込んだ。ソファの固いスプリングの感触を感じながら、シーツにくるまって目を閉じる。酒を飲んだこともあり、隣の店の喧騒にも負けずに、すぐ眠れるだろうと高を括っていたが、これがなかなか寝付けない。  店の方からは美味しそうな香りが漂ってきているが、その香りに混ざって、サレッドセージを燻したような香りが、フォルトンの鼻をかすめた。  サレッドセージは、料理にはあまり向かない。というより、わざわざサレッドセージを使う理由がない。もっと料理に有効なハーブはたくさんある。であれば、この燻したような香りは何だろうか。  フォルトンは、一度横になったので、そのまま寝ようかと思案したが、一度心に引っかかった疑問を放置できない自分に従って、重い体を起こした。パークの部屋を出てすぐ、匂いの元を見つけた。今日――いや、正確には日付を跨いでいるので“昨日”になるが――薄茶色の髪の男が、物干し場で煙草を吸っていた。先ほど『ロンロン』で見た姿と一緒で、唯一違うのはエプロンを付けていないところだった。  フォルトンは、迷わずアパートの中に入った。不法侵入も甚だしいが、フォルトンは今行かねばならないと、自身を奮い立たせた。階段を静かに上がって、屋上の扉をそっと開く。薄茶色の髪の男が横髪を押さえながら、夜風に吹かれて煙草を燻らせている。 「……いい夜だな」  フォルトンが声をかけたが、薄茶色の髪の男は黙ったままだった。明らかにこちらを警戒しているのが分かるが、フォルトンは逃げられないように距離を保ったまま、男とドアの動線上に立った。男が息を吸うと煙草の先が光を宿し、口を離すとその光は鳴りを潜める。フーッと煙を風に乗せるように息を吐いて、男はフォルトンをじっと見ていた。 「サレッドセージは、魔力の乱れによる頭痛に効く。でも、そんな形の『魔法薬』、初めて見た」  男が口を開かないので、結果としてフォルトンの独り語りになっているが、気にせずフォルトンは言葉を紡いだ。 「昼間の『虫よけ』もさ、良くできてたじゃん。今度レシピ教えてよ。寮で使うからさ」  フォルトンが、にっこりと笑いかける。男の表情は変わらない。ただじっと屋上の手すりに寄りかかり、こちらを見つめている。  フォルトンは、煙草の副流煙を吸い込むように大きく息を吸って、吐き出した。 「……で、名前なんだっけ。『レイノルド』だっけ?」  その言葉に、初めて男は笑った。噛み締めるように、くっくと笑い始める。フォルトンはしてやったりと顔を綻ばせた。男が、手すりのそばにある灰皿に煙草を押し付けると、初めて口を開いた。 「――ただのレイですよ。いつになったら覚えてくれるんですか、先輩」  そう言って、黒色のチョーカーを外した。まるで空間がそこだけ歪んだかのように一瞬空気が震え、男の顔がはっきりと見えるようになる。チョーカーに顔の認識阻害の魔法機工がついていたのか、とフォルトンは納得した。濃い化粧が施されたレイの顔を見ながら、フォルトンはフフッと笑ってみせた。 「に、似合ってんじゃん」 「余計なお世話ですよ」 レイは苦い顔をしながら、そう言った。

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