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第46話 渇望

 レイが馬車を降りてからしばらくして、突然馬車のドアが開いた。その不躾さにタールマンはやれやれと諦念を滲ませながら、開いたドアを見つめた。 「……どういうことだ」  何もない空間から、聞き知った声が聞こえる。タールマンはその声を無視して、手に持っていた銀狼の毛を開いたドアめがけて投げつけた。すると、まるで空気にぶつかったかのように、銀狼の毛はぴたりと宙に浮かんだ。 「クラウス、それを持ってディートリヒのところへ行きなさい。そして、『お前の大事なものは保護した』と。……身内なら面会も可能でしょう」  声をかけられ、クラウスは隠密魔法を解除し、タールマンから視線を外さず銀狼の毛を後ろへ差し出した。馬車の外で待機していたバネッサが隠密魔法を解除し銀狼の毛を受け取ると、クラウスはタールマンを睨みつけた。 「突然商業地区の貸倉庫へ向かえと言ったかと思えば、そこは無力化したフェリンブル伯爵家の私兵だらけ。地下には縄を解かれた密偵が倒れ、密売目的の保護生物が檻に入っている。現場を無力化しただろう何者かの匂いを辿れば、タールマンしかいない。……誰がここにいた?」  タールマンは、ひとつ息をついてクラウスを見た。明らかに顔色が悪く、魔力のコンディションが崩れている男が、執念だけでそこに立っている。 「聞いてどうします?」 「どこに行った? いや、どこにやった、が正しいか?」  疲れで視野が狭くなっている教え子の姿に、タールマンは呆れ返った。一度、自分の恋人を誘拐したからと、次も同じと考えるとは。 「帰らせましたよ。匂いが辿れなくなったのであれば、彼が洗浄魔法をかけて対応したのでしょう。きちんと指摘されたことを改善する、素晴らしい生徒です」  タールマンの言葉に、クラウスの顔がより険しくなった。それを見て、タールマンは鋭くクラウスの目を見た。――こんなことで感情的になるように育てた覚えはない。  クラウスが、怒りを抑えながら声を発した。 「……レイが、あの人数の私兵を無力化したのであれば、体に相当な負担がかかっているはずだ。何故そんな無茶をさせた」  その言葉に、タールマンは合点がいって、ため息をついた。そそり立つ氷柱、眠らされ捕縛されている私兵たち。貸倉庫の状況を見て、魔法によるものだと判断したのだろう。魔法回路のリミッター解除剤を使用したと考えたクラウスの焦りは分からなくもない。 「彼はほぼ、魔法を使っていません。相当な準備をして、一人でやってのけたのです。……一人で、やってのけたのですよ、クラウス」  強調するように重ねて言うと、クラウスの眉がピクリとわずかに跳ねた。そのまま押し黙る教え子に、タールマンはさらに言葉を浴びせる。 「この一か月間、彼は相当な努力を重ねました。『貴方に守られなくても大丈夫だ』と証明するためにね。自らの研究を犠牲にしてまで、与えられた期間のうちに結果を出そうとしています。それに比べてクラウス、貴方はなんです? 自己管理もできない体たらくで、どうあの子を見つけるつもりですか」  夜な夜な亡霊の如く街を彷徨うこの男を、レイを口実にして叱責した――つもりだった。  クラウスの目がスッとより細まり、タールマンを射抜く。 「……“与えられた期間”、だと?」  クラウスの言葉に、タールマンは表情を変えずに押し黙った。クラウスのあまりの酷さに口が滑った。明らかな失言だった。  馬車の出入り口を塞ぐように立っていたクラウスが、タールマンに詰め寄る。 「吐け。レイに何をさせている」  答えない限り退くつもりがない。座席の背もたれに手をかけ、覗き込むようにこちらを見ながら、そう態度で示してくる教え子に、タールマンは冷ややかな視線を送りながら、どう答えるのが最適かを考えた。レイとの賭けの全貌を明かすわけにはいかない。だが、ある程度は事実に沿わないと、この男は納得しないだろう。かといって長考が過ぎれば、それも逆効果になる。 「フェリンブル伯爵家とディートリヒのつながりを探れ、と。助けを借りてもいいが、実行は全て自分で行うように命じたまでです」  課題ではなく、手段のみを端的に伝える。間違ってはいないが正しくもない。しかし、この回答だけでは、この男は真意を探ろうとするだろう。タールマンは、気が進まないが、敢えて煽るだけの情報を付け加えた。 「だから、フェリンブル伯爵家の私兵を閨に誘って情報を引き出したのは、彼自身の判断であって、私の指示ではない――」  刹那、タールマンの胸倉をクラウスが掴みかかった。――そう来るだろうとは予想していた。  タールマンは冷静にクラウスの足首に縄状にした魔力を結びつけ、外に向かって引きずり出した。それでも胸倉を離そうとしないクラウスの握力の高さと執念には、タールマンも脱帽せざるを得なかった。老いた身では、単純な身体能力ではもうクラウスには敵わない。全体重をかけてタールマンの体勢を崩しにかかるクラウスの足首を、今度は魔力の縄で馬車の上に吊り上げる。長い脚が馬車の外で宙に浮き、クラウスの腰がドアにぶつかる。 「くっ!」  クラウスは手を離した。体を器用にしならせながら、他の場所にぶつけないように身を翻し、ドアの上に姿を消した。ガタンと馬車が揺れたのを確認し、タールマンはすかさず魔力を操作してクラウスを馬車に縛りつけた。  タールマンはゆっくりと馬車を降りた。バネッサが馬車の傍らで、二人の様子を静かに見守っているのが見える。タールマンは、屋根の上で膝をついた状態で、まるで荷物の如く縛り付けられているクラウスに視線を送りながら答えた。 「安心しなさい。部屋に入った瞬間襲ってきた相手をすぐに薬で眠らせ、ひん剥いて宣誓魔法の痕跡がない事を確認してから、記憶を遡る魔法で探りを入れていただけです。貴方が心配するようなことは何一つ起きていませんよ。……相手に同情を禁じ得ないぐらい容赦がないことには少々驚きましたが」  馬車の屋根の上で、悔しさを滲ませるクラウスと視線が合い、タールマンはため息をついた。 「……皮肉ですかね。感情を表に出さないよう訓練したはずなのに、彼のこととなると、それが簡単に剥がれてしまうようになるなんて。私の教育者たる資質のなさを痛感します」  自嘲のように見せて、語ったのはクラウスへの叱責だった。しかし、それに反応したのは意外な人物だった。小型通信魔法機器でオリンに指示を飛ばしていたバネッサが、通信を終えて歩み出た。 「それを、クラウスの甘さと捉えるか、押し殺してきた感情の噴出と捉えるかによっては、そうかもしれませんね。タールマン様」  普段、タールマンに口答えするような人物ではないバネッサが、クラウスと自分の前に立ちはだかり、静かにそう告げてきた。小さな体では、タールマンとクラウスの間の視線を遮ることはできない。だが、その存在感はまるで弟を守るような姉のように凛としていた。  タールマンは視線を落とし、畏怖に震えながらも視線を外さないバネッサを見る。貴族の中では行き遅れと言われる年齢のこの女性は、家から自立し国に奉仕している。魔術師であり、医療魔法に特化した彼女がいるからこそ、本来なら魔法薬士であるレイは諜報部には要らない存在だった。ただ、バネッサはそのサポート特化故に、現場に出ることは能わず、裏方としてのしわ寄せは全て彼女の華奢な両肩に乗ってきた。前線でサポートができる者がいるならば、それに越したことはない。タールマンが今回考えていた采配は、そういった意味を込めた試験的な布陣でもあった。  タールマンは息を吐いて、クラウスの拘束を解いた。 「レイが情報を引き出した私兵は、何事もなかったかのようにあの貸倉庫に出勤していました。貴方にとっては唯一の手掛かりでしょう。……残り1か月を切っていますからね。せいぜい、励みなさい」  そう言い捨てて、タールマンは転移魔法を発動した。転移魔法は、タールマンが最も得意とする魔法だった。膨大な魔力量がないと発動できないそれは、通常人間には行使できない。だから人は、魔力石を用いて転移装置を作り、発動に頼る。おそらく世界で発動できるのは、もはやタールマンとルミアぐらいだろうが、ルミアは「酔うからヤダ」と言って頑なに使おうとしない。  タールマンは、王城の自身の部屋に刻まれた魔法陣の上に転移した。王城には似つかわしくない、長念使いこまれた書見台の近くには、手垢のついたくたびれた書物が置かれている。タールマンはそれを手に取り、表紙を撫でた。  古代エルフ語で書かれたその書物は、もとは師である前任の秘術官の所有物であった。 「……どうするのが、正しい指導者なのでしょうね」  独り言ちて、師を偲ぶ。自らの師であったエルフには、自身は遠く及ばない。しかしながら、人であるクラウスに、自身の後継が務まるとも思っていなかった。  長い白髪を耳にかけて、タールマンはその書を開く。髪がかけられた耳は、人間のそれより先が尖っており、エルフよりは短い。  タールマンは、人間とエルフの間に生まれた、孤児だった。人間の世界にも、エルフの世界にも馴染めない半端者として生まれ、気が付いたときには前任者の元で生活を送っていた。 「調律などというくだらないものに囚われるから、人間というのは愚かなのですよ」  書物を読んでいても目が滑る。タールマンは本を閉じて、窓の外の月を仰ぎ見た。遮蔽物のない空を眺められるのが、この城の唯一気に入っているところだった。  ぽっかりと浮かぶ月を見ながら、タールマンは悶々と考えていることを胸の内で言葉にした。  ハーフエルフたる自分の自尊心すら傷つけた、ルミア・ヴェルノット。その正体はいったい何なのか、レイ・ヴェルノットから探れないだろうか。――これが、レイを諜報部に迎え入れることに同意した、彼の思惑だった。  レイは洗浄魔法を振りかけるように行使して、またチョーカーを首に巻いた。フォルトンが訝しげにこちらを見てくるので、レイは「どうしました?」と声をかけた。 「いや、顔が変わらないから……壊れた?」  認識阻害の魔法について疎いのだろう、フォルトンがそう質問を投げかけてきた。レイは周りを一度見てから、歩きつつ小声で答えた。 「誰が巻いているのか分かってたら、もうそれを阻害することはできません。だって、チョーカーを巻いたって、先輩はもう俺だって分かってるでしょう?」 「へーそんなもんなのか」  好奇心の赴くまま頷くフォルトンに、レイは肩をすくめた。二階にあるレイが住んでいる部屋の扉を開けて、フォルトンを招き入れつつ、説明を加える。 「本来なら、このドレスと薄茶色の髪を見たら、『ロンロン』で働いているノルドだと思うんですけどね。そう思い込めば、そう見えるのが認識阻害魔法の原理です。なのに、何故か先輩にはそう見えてなかったようですね。俺のことを聞かれたら『ロンロン』で働いている人だと伝えるように言ってあるはずなんですが」  レイはソファベッドに腰かけてヒールを脱ぎ始めた。その様子を見ていたフォルトンが不意に目を逸らしながら質問に答えた。 「いや、そう言われたよ。けど、まず俺の第一印象はあの『虫よけ』だったからな。ああいう香りの作り方をするのは、俺の中ではレイの印象が強かった。それでも半信半疑でさ、『ロンロン』に行ったわけよ。でも実際ノルドを見ても、全く昼間に見た男と認識が一致しなかったわけ。だから、俺には別人に見えた。そういうことなんだろうな」  その返答に、レイはヒールを揃えて部屋の隅の方に置きつつ、思案した。もしフォルトンが言った通りなら、ちょっとまずいことになったかもしれない。  浮かない顔をし始めたレイに、フォルトンが視線を戻して「どうした?」と聞いてきた。レイは一度フォルトンの顔を見て、視線を姿鏡に移した。ノルド役を担っている同室者のドレス姿の自分が見える。 「もし、『ロンロン』で働いている人間を、俺だと確信してきた者がいた場合、『ロンロン』で働いているノルドを見た後、俺に出会ったら、認識阻害魔法が上手く働かず、ノルドとして認識されない可能性が出てきた」 「――外見が似ている別人がいるって思うから……ってことか?」  フォルトンの解釈に、レイは大きく頷いた。 「早急に別の代役を立てる必要が出てきました。髪色も変えます。これは急がないと、まずいことになる」  レイがソファベッドから立ち上がると、フォルトンがレイの手首を掴んできた。 「なぁ、なんでお前は逃げてんの? ちゃんと説明してくんないと、協力できない」 「誰にも言わないでいてくれたら、それで充分ですよ。これ以上先輩を巻き込むわけにいきませんし。俺が正体を明かしたのは、あのまま何も言わなかったら、ずっと付きまとわれると思ったからですよ」  レイの物言いに、フォルトンは少し顔を歪ませた。フォルトンの性格上、心配してくれていたのは充分理解しているが、流石に国王との賭けの内容を、フォルトンに話すわけにはいかなかった。  フォルトンがレイの手首を離すと、真剣な眼差しでこちらを見てきた。 「……クラウス卿、憔悴しきってるぞ」  久しぶりに聞いた名前に、体が震える。 「たぶん、きちんと眠れてない」  レイは、目を閉じた。容易に想像できるぼろぼろのクラウスの姿に、寂しげな藍色の瞳に、心がぎゅっと締め付けられる。心の空洞を埋めたくて、レイは左手で右肘を抱えた。 「お前は、会いたくないのかよ」  ――逢いたい。  口から飛び出そうな言葉を、ごくりと喉を鳴らしながら飲み込んだ。

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