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第47話 暗躍

 ガチャンとドアが閉まる音がして、玄関を見ると、薄茶色の髪の男が立っていた。目の前にいるレイと同じドレスを着ている痩せ型の、『ロンロン』で働いていたノルド役の男は、フォルトンと目が合って驚いて固まっていた。 「ホノ、おかえり。すまない、一人バレた」  レイがそう言うと、ホノと呼ばれたその男は、ため息をついてレイがさっきまで座っていたソファベッドに腰掛けた。レイと同じくヒールを脱いだ後、ソファベッドに倒れ込む。 「んじゃ、僕もお役御免でいいのかな?」  ずっと話さなかったホノの声を聞いて、フォルトンは納得した。お互いの声に似せ合うのは無理だろう。ホノの声は見かけによらず、小鳥のさえずりのようなボーイソプラノを彷彿とさせた。レイの芯のある声質と違い過ぎる。 「早急に代役をもう一人用意してほしい。メンバーに同じような体格の人はいる?」  ホノは唸りながら首を捻り、静かに首を振った。 「いや、正直ノルドと同じ身長の男性ってだけでハードルが……そう睨むなって。僕だって低いんだ」 「低いと自称するな。他が高いだけだ」  レイの主張に、ホノがフォルトンに肩をすくめてみせた。店にいる時よりも人懐っこく見えるが、フォルトンはホノから表に出られない人たち(アンダーグラウンド側)の気配を感じ取っていた。目の奥の光が、どこか濁っているように感じて仕方がない。 「もし難しいなら……ホノ、できるだけ遠くに逃げて欲しい。ほとぼりが冷めるまで……半年ぐらいは戻ってこない方がいいと思う」  そう言われて、ホノは「えー」と不満そうな声を上げた。 「うーん、とりあえずボスにはそう伝えておくよ」  ホノはそう言うと、ドレス姿のままうつらうつらとし始めた。レイがジト目でホノを睨むと、眠そうな目を何とか開けて、ホノは身を起こした。 「……まさかと思うけど、今から動けって言ってる?」 「言っている。ことは急を要する」 「勘弁してよ、今日めっちゃ疲れたんだけど」  ホノがシーツにくるまり寝ようとするので、レイはそのシーツを剥ぎ取った。 「やぁん……ノルドのえっちぃ」 「ふざけてないで、少なくとも化粧は落としてから寝て。あとここは俺のベッド。ホノはあっち」  もぞもぞと動いてソファベッドから動こうとしないホノに呆れながらレイはそう言った。フォルトンはそのやり取りを見ながら、いつの間にかレイが母親のようなことを言い始めているなと思った。 「えっと、どういうご関係?」  フォルトンがレイに聞くと、レイは一瞬困った顔をした。これは聞かない方が良い話だったかと思って、フォルトンはニッコリと笑った。 「浮気?」 「違います!」  レイは剥ぎ取ったシーツをホノに投げつけ、諦めたように自分のドレスを脱ぎ始めた。 「先輩、とりあえず、俺は元気でやってます。でも、少なくとも今、見つかるわけにいかないんです」 「今? 今じゃなかったら見つかっていいってことかよ」  フォルトンはレイから視線を外し、ソファベッドで寝ているホノが、本当に寝ようとしているのかそっと覗きながらそう言った。  レイは手早く着替え、サスペンダーでスラックスを吊り上げると、化粧を落とし始めた。 「あ、もう止めちゃうのか? 勿体ねぇ」 「何か言いました?」  話の腰を折るように言ってきたフォルトンの言葉に、レイは圧を込めて言い放った。ちぇっと口を曲げるフォルトンに、レイは普段使っている眼鏡をかけるかどうか迷って、そのままケースにしまって鞄に突っ込んだ。 「あ、そうだよ。お前今眼鏡してないけど、あれか。一時的に視力をあげる魔法点眼薬使ってるのか。あんまりオススメできないぞ、あれ。副作用で眼圧上がるし、魔力が乱れて頭痛が――」  言いかけて、フォルトンはハッとした。レイがわざわざ煙草型の魔法薬を作って服用している理由は、これかと思った。日常的に頭が痛くなるから、そのたびに薬を服用しているところを見られると、余計な詮索を避けるため、リャンディン・タウンの風景に溶け込めるような服用方法を取ったのか、と。  レイは「あ、バレたな」といった顔をして、誤魔化すように笑って見せた。それを見たフォルトンが、呆れたように息をついた。 「そんなかわいい顔してもダメだぞ。せめて眼鏡を変えろ!」 「かわ……眼鏡を変えたって、そんなに印象変わりませんから。普段見慣れてる印象からガラッと変えるに越したことはないです」  そう言いながら、髪型をただの一つ結びに直した。レイは必要なものを鞄に詰め始め、荷造りを終えると、自身のソファベッドで眠るホノを揺すって声をかける。 「ホノ、お別れだ。きちんと逃げてくれ」 「ん……どこいくの? ノルド」  眠い目を擦りながら、ホノがまたもぞもぞと動き始め、レイをベッドに引っ張り込もうと手を伸ばした。レイはその手を掴んで、ため息をつく。 「……君に男の誘い方を習えたことには感謝しているが――」 「え、ちょっと聞き捨てならな――」 「先輩はちょっと黙ってて」  言ったそばからちゃちゃを入れてくるフォルトンに、レイはぴしゃりと言い放って、ホノに向き直った。 「ベッドの中の手練手管までは必要ない」  掴んだ手をホノの顔めがけて乱暴に投げた。ホノは残念と言わんばかりに片眉を上げる。 「へぇ? 彼氏が喜ぶかもよ?」 「君に習う方がよっぽど嫌われるよ」  苦笑してレイは答えた。 「一か月間、お世話になりました。お元気で。……絶対捕まるなよ、夢見が悪くなる」  レイがそう言うと、ホノは見送るためか、仕方なく上体を起こした。 「君、結局何から逃げてるの? 僕らに報酬まで払ってさ」  ホノの言葉を聞きながら、レイは玄関の扉を開け、振り向きざまに答えた。 「……彼氏」  にやりと笑ってそう言うと、ドアを静かに閉じた。シンと静まり返る部屋に、遠くの方の喧騒が聞こえる。 「……彼氏に嫌われたくないのに、逃げるって……ほんと、意味わかんない」  ホノはそう独り言ちて、またシーツにくるまった。  捕縛したフェリンブル伯爵家の私兵の尋問を全て終えたのは、三日後のことだった。うち一日は、私兵の半数が体調の悪さを理由に尋問できなかったことにある。  ディートリヒに対する脅迫の裏付けから、それが誰の指示によるものだったかも含め、今回の指定保護生物の捕獲・密輸の関係者の洗い出しなど、フェリンブル伯爵家の余罪を証明する必要もあり、張りつめた空気の中で尋問されていた者たちは、最後に付け加えられた質問に、皆一様に首を傾げた。 「……最近、男を買ったか?」  オリンの質問を、そっくりそのまま繰り返してくる私兵に、正直自分でもなんでこんなことを聞かなければならないのかと、疲れたようにため息をついた。 「金銭のやり取り問わず、な……どうなんだよ」  オリンが苛つきながら返答を促す言葉に、私兵は下卑た笑みを浮かべ、ずいっと身を乗り出してきた。 「何、兄ちゃん、溜まってんの?」 「……いいから答えろ」  冷ややかにそう言うと、私兵はつまらなそうに体勢を元に戻した。小さな机越しに見る私兵は口をへの字に曲げて、手錠を嵌めたままの手で顔を掻きながら答える。 「……買ったよ」  その一言に、今度はオリンが目を見張った。私兵が恥ずかしそうに語る様子を、オリンはじっと見つめた。 「でも、あの日は本当に最悪だったぜ。結構な上玉でさ……あっちから誘ってきたんだぜ? こうさ、目がよ? じーっとこっちを見てくるわけよ。目で語るってヤツ? 『来いよ』『抱きたいだろ?』ってな感じでさ。色気が半端じゃねぇ。久々に、痺れたねぇ……なのに記憶がねぇんだ」  思い出して悔しいのか、私兵は大げさなほど頭をがくりと下げて、盛大にため息をついている。 「いや、たぶん途中まではうまくやったんだと思うんだよ。金を渡して、ホテルの部屋に入って、ドアの前であの華奢な肩を掴んで、顎を持ち上げたところまでははっきりと覚えてる。なのに、そのあとの記憶がすっぽりと抜けちまってる。あの日結構深酒してたせいだろうけどさ……気がついたら、朝。誘ってきた男はいねぇし、俺は真っ裸。きっとヤったんだろうなぁとは思うけど、最悪だ! くっそもったいねぇ!」  オリンは自分の背後の気配がすっと移動するのが分かった。隠密魔法を使っているのに、隠しきれないないほどの怒りを纏って、姿が見えないその人物が、そっと私兵の後ろに立ったのが、はっきりと分かった。 「別に無くなっている所持品もなかったし、一仕事終えて帰った感じなんだろうな。……あぁ、また会えたらお願いしてぇなぁ……」  項垂れる私兵に、オリンはもう一人の気配に怯えながら質問をした。 「その男の名前は?」 「一夜限りの男だぞ? 聞かねぇなぁ。今となっちゃぁ聞いときゃよかったなぁと思ったよ。ただありゃぁ、あの辺で雇われてる男娼じゃねぇな。モグリだったんなら、あそこら辺を牛耳ってる奴等にとっちゃぁ目の上のたんこぶだろうぜ。あんなのに立ちんぼされたら、商売あがったりだろうし。……もう会えねぇだろうなぁ」  まるで恋をしたかのような言い草に、オリンは肝を冷やしながら次の質問を投げかける。――巻き込まれたくない。そして、のそんな感情むき出しの姿なんて見たくない。そう思いながら。 「なら、その男の特徴は?」 「薄い茶色の髪、華奢な体……あとは……うーん? えらい別嬪だったことは覚えてるんだけどな……身長は、低めだったかな……?」  突然あやふやなことを言い始める私兵に苛立ち、オリンは眉間に皺を寄せながら身を乗り出した。 「おい、変に隠したって良い事はねぇぞ」 「いや、俺だって正直に話してるさ! ただ、酒のせいかなぁ……もう一度会えるんだったら、俺はもう酒をやめてもいい」  悲しそうにそう答える男に、本当に思い出せないのだと分かり、オリンはやれやれと肩を落とし、次の質問に移った。 「んじゃ、場所は? どこで会った?」 「そいつは、言えねぇな」  突然私兵がそんなことを言い始め、オリンは「はぁ?」と声を上げた。腕を組み、オリンを見据えていた私兵が、少し目を伏せて、ポツリと呟いた。 「……なんで聞きたいんだ」  さっきまでと雰囲気が違う、真剣な表情の私兵に、オリンは訝しげに視線を向けた。その表情を見て、私兵はなおも続ける。 「何であいつを探している? あいつは何をやらかしたんだ? フェリンブル伯爵家が何か関わってるのか?」  その声色は、心配を滲ませていた。オリンは訳が分からなかった。たった一夜を共にしただけの男娼に、妙に入れあげるその理由が見当たらない。 「おいおい、たかが男娼の情報だろ?」  姿を現さない第三者がオリンに敵意を向けないか心配になりながら、オリンはそう言った。しかし、私兵の顔は険しいまま変わらない。 「あんな上玉だぞ? 店か、どっかで囲われてたはずだ。なのに、あんなところで立ちんぼしてたんだ。何か事情があったはずだ。逃げてるんだったら、俺はしゃべるわけにゃいかねぇ」  最後にきりっとした顔でそう言うが、オリンは心の中で頭を抱えた。見た目に反して、妙に男前なことを言うこの私兵の、誤解と幻想を打ち砕けたらどんなに楽か。お前はただ利用されるために狙われてたんだよ、レイ・ヴェルノットに! 「な、なんでそんなにかばい立てる?」  オリンがそう聞くと、私兵は一呼吸おいて、答えた。 「一夜の夢を見せてくれた、惚れた男をかばおうとしちゃ、悪いかい?」  ――あ、馬鹿。オリンがそう思ったのも束の間、目の前の私兵が思い切り机に突っ伏した。ダンッ! という重い音が響き渡り、オリンは立ち上がった。 「だ、だめです! 尋問による暴行は規定で――」 「そのまま聞け。決して顔を上げるな」  オリンの一言はまるで耳に入っていないかのように、隠密魔法を解こうともしないクラウスの威圧感のある声が響いた。クラウスの殺気が漏れ、胃が一気に冷えあがる。机に顔を押し付けられている私兵が、震えてガチガチと歯を鳴らす音が聞こえた。 「その人は、お前ごときが触れて良い人ではない。夢にも見るな。命惜しくば、大人しく吐け」  嫉妬にまみれたその言葉に、オリンのクラウスに抱いていた情念が悲鳴を上げた。  私兵は震える歯を、なんとか食いしばって口を開いた。 「だ、誰が言う――」  その言葉が言い終わるよりも早く、ドッという音とともに、柄にナックルガードがついた刃渡り30cmほどのナイフが男の首と耳たぶの間を通って机に突き刺さった。頭を押さえつけられている男からは、きっと見えないだろう位置への脅しを突き立てて、クラウスは更に言葉を重ねた。 「私の我慢がいつまでも続くと思うな」  それは最後の警告だった。オリンは震えあがりながら頭の中で魔法の構成を整え、いつでも私兵に保護結界を張れるように準備した。次に私兵が言わなかったら発動させなければいけない。こんなくだらないことでクラウスの経歴に瑕を付けてはいけない。惚れた弱みで情が動いた。 「りゃ、リャンディンだ!」  私兵が叫ぶように言う。 「リャンディン・タウン、その外れのちっさい公園で立ちんぼしてた! それ以上は、知らねぇ!」  男がそう言った瞬間、私兵はびくりと感電したように体を震わせると、そのまま沈黙した。クラウスが恐ろしい速さで魔法を使い、男を昏倒させたことだけはよく分かった。 「リャンディン・タウン……」  クラウスがそうポツリと呟く声を聞いて、オリンは椅子に身を預けるように倒れ込んだ。

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