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第48話 宿命

 アパートメントを出て夏の夜道を進んでいると、後ろからついてくるフォルトンが声をかけてきた。 「お前、危ない橋渡ってるんじゃないだろうな!?」  心配を滲ませるその言葉にも、レイは足を止めることなく聞き返した。 「と言うと?」 「さっき、男を誘う方法がどうのって」  そう聞いて、レイは小さく「あー……」と漏らした。確かに、聞けば心配する言葉だとは思う。 「大丈夫です。ちょっと、色々あって。でも危ない目には遭ってないですから」  レイは先日の昼間、フォルトンが覗いていた窓のある建物の玄関を探した。おそらく、ここであっている筈だ。 「……それは、お前の感覚での話だろ? 見ず知らずの男を誘うって行為は、充分危ないぞ」  ぐうの音も出ない正論に、レイは苦笑して立ち止まった。振り返ると、フォルトンは真剣な目でこちらを見つめていた。 「ちょっと、使えるものは使っていかないと……時間がないんですよ」  苦し紛れにそう言うが、フォルトンの顔は険しくなるだけだった。 「──先輩、俺って、かわいい顔してるんですか?」  レイはフォルトンに一歩近付いて、彼の胸元から喉仏あたりをゆっくりとなぞるように視線を上にあげる。上目遣いで見たフォルトンの目が一瞬だけ驚いたように開かれた。 「……いきなり何言ってんだよ」 「さっき、先輩がそう言ったんじゃないですか」  もう一歩フォルトンに近付く。フォルトンがレイの異様な気配に気付いたのか、半歩だけ後ろに下がった。  何も答えないフォルトンに、レイは言葉を続けながら更に距離を詰めた。 「ホノ曰く、俺は『男娼みたいな格好』をして、じっと相手を見れば寄ってくるって。少しだけ『欲しがれよ』って目で誘えば、落とせるって言うんですよ。……今は、そんな格好してないから、効果ないですかね?」  レイはそう言いながら、右手をフォルトンの肩に乗せた。そして、フォルトンの意識を右手に誘導し、視線を絡めたまま、左手はポケットの中でハンカチを握りしめる。 「いや、お前はそんな技量磨かなくても、充分に魅力的だとは思うし……ていうか、そんな事してまで引っ掛ける必要あるか? 素のお前で充分寄ってくる奴なんてごまんといるだろう」 「それじゃダメなんですよ。俺に興味のない奴ですら、いつか落とさなきゃ行けない日が来るかもしれない──こんな風に」  レイは右手の中に隠し持っていたアトマイザーを、フォルトンに向かって吹き付けながら、左手で素早くハンカチを自身の口元にあてた。  アトマイザーから、ほんのり赤い霧が散布され、フォルトンは顔を顰めた。 「なっ……で……」  まるで酩酊したかのように、フラフラと外壁に寄りかかり始めるフォルトンを支えて、レイはハンカチの中で呟いた。 「即効性を出すために、乾燥エルヴァンローズを使ってますが、安心してください。加工で副作用は軽くしてあります。ちょっと明日の朝、酷い二日酔いみたいになるでしょうけど」  周りに薬剤が残っていないことを確認し、ハンカチをしまう。レイはフォルトンの腕を自身の肩にかけながら、もう聞こえていないだろうフォルトンに、それでも語りかけ続けた。 「結局マジシャンや詐欺師と、やり口としては一緒ってことですよ。格好や小道具で『そういう雰囲気』を出してみたり、今みたいに『知り合いから誘われてるかも』っていう緊張感で思考の幅を狭める。視線を誘導する。油断させる。二人しかいない空間なら尚よし。……先輩は、優しいから、外見の話から持ってけば、言葉を選ぶのに思考を割いてくれるだろうとは思いました」  懺悔のように語るレイは、分かっていなかった。――その理論を実践するには、一定以上の容姿がないと難しいということを。  フォルトンを玄関の中へ引きずって、部屋の中を見た。まだ家主は帰ってきていないようで、レイは迷った末にスプリングが飛び出しそうな古いソファに引きずって寝かせた。 「……すみません」  本人に届かない謝罪に意味は無い。それでも、レイは謝った。ただのエゴでしかないのは分かっていながら。  レイは静かに寝息を立てているフォルトンの顔を見てから、そっと部屋を出た。誰にも見られていないことを確認し、玄関のドアを静かに閉める。本来なら隠密魔法を使って移動したいところだが、隠密魔法薬はすでにタールマンとの会話の後に使用しており、もう手元にない。  レイは、タールマンに言われたことを思い出し、先ほど煙草型の頭痛薬を服薬していたので、洗浄魔法で匂いを消した。鞄を持ち直し、静まり返った裏道を足早に走っていく。フォルトンのように、レイのことを『ロンロン』のノルドだと認識してもらえる人がいる間は何とかなるだろうが、フェリンブル伯爵家の貸倉庫の一件にレイが関わっていることは直に露呈する。となれば、レイが情報を得た私兵の事情聴取も行われるだろう。クラウスがレイを探しているのであれば、そこから情報を得て、いつこのリャンディン・タウンにやってくるかは分からない。  表通りから更に遠ざかるように、裏道を進む。リャンディン・タウンのすぐ隣は、表には出られない者たちの世界だ。深夜ということもあり静けさもあるが、それでもただじっとこちらを観察する視線を感じる。手を出してもいい相手か、そうではないか。どこかに所属しているか、所属していないか。見定めるための視線。その視線に“敵”と認識されたら、もう日の目を見ることは難しいだろう。  レイは、ある区画の古い消火栓の裏に回った。錆が浮いた裏蓋を強引に開くと、中にはボタンがついていた。カチカチカチと三回連続して押すと、消火栓のすぐ隣の壁に備え付けられた古びた棚の後ろから、うっすらと灯りが漏れた。程なくして、棚がズッと重い音を立てて横に動く。人ひとりがギリギリ通れるほどの幅にスライドすると、中からひょっこりと知った顔が覗いた。 「……もう帰ってきたのか」  顔を覗かせた老人が、レイに向かって声をかけた。 「ごめん、じっちゃん。ちょっとまずいことになった」  レイがそう言って、消火栓の裏蓋を閉めると、老人によって開けられた入口へと身を滑り込ませた。 「閉めろ。手動でだぞ。魔法の痕跡を残すな」  老人がそう言って、壁にかけられたオイルランプを吹き消した。レイが重い棚を全身の力で引きずって元の位置に戻すと、老人が透明な糸を通路を横断するように張り始める。 「魔法使いは、なんでも魔法でやる。世の中には、ゼーハン・ゾーのような奴もいるんだ。用心することに越したことはない」  手を止めずそう呟くように言われ、レイは少し複雑な気持ちになった。  ゼーハン・ゾー。それは、レイの父の名だった。レイの母であるルイファ・ヴェルノットと婚姻を結び、ヴェルノット家に入っているので、今の名前はゼーハン・ヴェルノットである。それをわざわざ旧姓で呼ぶのだから、この人の父嫌いは、根深いものがあるようだ。  そんなレイの父を嫌いなこの老人こそ、ルミアの隠されたパートナー、デリンその人である。  ルミアの懐妊は、当時大きな波紋を呼んだ。結婚もしていない子爵位の小娘が、素性の知れない者の子を身ごもった、伝説の魔術師の心を射止めたのは誰だ、と。ルミアはずっと相手について口を閉ざし続けた。実の娘、ルイファにすら伝えなかった。そして、それは孫であるレイにおいても同様だったのだ。しかし、幼少のレイが魔法使いの寄宿学校に入ると、ゼーハンが世界を股にかけ魔法史を追い求めるようになり、ルイファがそれに同行するようになった。18才で寄宿学校を卒業し、今の国立魔法大学に入学するにあたり、ルミアがそっとレイに耳打ちしたのが、このデリンの存在である。 ――「何かあったら、リャンディン・タウンの隣、デリン爺を頼れ。何もなければ、絶対に近付くな」  そして、初めてデリンを訪ねたのが、約1か月前。リャンディン・タウンで『デリン爺』の名前を出した途端、この場所へ連れてこられた。初めての邂逅だったにもかかわらず、互いが互いをすぐに認識した。デリンの髪は白髪も混じっていたが、深い紫色。母ルイファとそっくりの髪色だった。そしてレイはその両親の髪色を受け継がず、ルミアと同じ銀灰色の髪と、淡い青緑色の瞳を有していた。 「……父さんの力は、そんなにすごいの?」  レイは、行使されている魔力や、魔法使いの周囲に漏れ出る魔力の状態、共鳴音などは感知できても、流石に魔力の痕跡を探るほどの力を持っていなかった。いや、痕跡と呼ばれるものについては、感知できるのは調律痕のみだ。  糸を張り終わったデリンが床に置いていたランプを手に取り、暗い通路を歩きながらしわがれた声で話し始めた。 「ワシがよく拠点を変えている理由は、分かるか?」  レイはデリンの後ろを歩きながら、問われた意味を慎重に探った。モグリの魔法薬士というのは、実はそこまで忌避される存在ではない。民間企業に雇われている免許を持たない魔法薬士は珍しくないし、冒険者登録をされている者は、依頼に応じた調薬については不問とされている。本当に忌避される存在は、免許を持たず他人に『治療目的で処方をすること』が違法とされる。そういった意味では、デリンの存在は完璧に法の枠を逸脱している。魔法薬士免許も持たず、“表に出られない顧客”に対して治療を施しており、そしてカルテも書いていない。  ただ、それだけならば、わざわざデリンがレイに問いかけるようなことはしないだろう。となれば、懇意にしている顧客の都合か、もしくは――。 「……ばあちゃんのため?」  レイがそう答えると、デリンは嬉しそうに「ハハッ!」と声を上げた。デリンの表情は見て取ることができないが、その顔は朗らかに笑っていることが背中越しでもよく分かる。 「拠点を変えることが、必ずしもルミアのためになるとは思わんがな……あいつぁ、自分の懐に入れたやつを大切にしたがる。もう何年も会っていないが、きっとそういうところは変わらんじゃろ……それが、あいつの、弱さでもある」  最後の一言で、レイはデリンが語るその話をクラウスと重ねた。 「あいつがワシと籍を入れんかったのも、ワシを守るためだ。遠ざけるのも、ワシを守るためだ。……あいつは、強い。調律が必要な程、調子が悪かったためしもない。ワシがあいつにしてやれることといったら、あいつの目の届かないところへひっそりと消えてやることだけなんじゃよ」  淡々と語るその背中に微塵も愁いを感じなくて、レイは戸惑った。 「だが、バレる。ワシの居場所なんて、すーぐバレる。一年に二度三度場所を変えようが、年の初めに、手紙が調合台の上に置かれるんじゃ。『逃がさない』ってな。もうな、これは一種の愛情表現じゃ」  聞いているこっちが恥ずかしくなるような台詞を吐いて、デリンは一度大きく息を吐いた。 「……ところがじゃよ。ゼーハン・ゾー、あいつぁ、誰の手も借りずにワシの元へやってきた。誰かが魔法で閉めた壁の痕跡を見て、つい開けずにはいられなかったと。ワシを探しに来たというよりは、偶然じゃったんじゃろうが……隠されているものに対する執着が、どこか常軌を逸しておる」  声が低くなり、真剣な響きが通路に響く。レイはそれを眉を顰めて静かに聞いていた。 「あいつの能力は、わからん。見えている世界があまりにも違い過ぎる。正直、調律の相性でルイファを選んだとも思っておらん。……ワシは、あいつの底が知れないのが、恐ろしい。そんなことがあるとな、人間、臆病になるもんじゃ。ひっそりと消えてやらにゃならんと思いながら、こんなところで死ぬわけにもいかんと思う。意味が分からんな」  デリンの語る父親の姿は、幼い頃に見た父親の姿と全く異なっており、レイは俄かに信じられなかった。何かに衝動的に触るような姿も、何かに夢中になる姿も見たことが無い。ただ、レイに向けられる興味のない冷めた視線だけしか思い出すことができなかった。それは、数年前に一度だけ帰ってきた両親が、一緒に食事でもしようと声をかけてきたときでさえ、同じだった。  そして、自身がひっそりと消えることがルミアを守るためと言いながら、最終的には自身を守ることでルミアを守ろうとしている。このなんとも不器用な生き方は、年をとっても尚、悩みの中に生きていることをレイにひしひしと伝えてきた。 「……すまんな。子であるお前にこんな話をするのは、気持ちのいい話ではなかったな」  突然、肩越しにこちらを見ながら殊勝なことを言ってくるデリンに、レイは頭を振って口を開いた。 「いや、父さんのことは、正直どうでもいい。あぁ、能力についてはちょっと気になるけど。先天的にそれほどの力を有していたのか、それとも後天的に強まってしまったのか、とかね。それよりも俺が気になってるのは、じっちゃんのことだ」  さらりと自身の父親のことを“どうでもいい”と一蹴した孫を見て、デリンは複雑そうな顔をしたが、「なんじゃ?」と聞き返す。 「じいちゃん、調律しなくて大丈夫だったの?」  その一言で、デリンの口はきゅっと固く横に結ばれ、視線が前に戻っていった。レイはすべてを察した。ルミア以外に、調律相手がいたのだということを。ルミアは知っているのだろうか。いや、きっと知っているのだろう。 「……お前は、大変じゃの」  こちらの質問には答えず、デリンはこちらを心配するような声色で語りかけてきた。 「ワシとルミアは、お前たちみたいに最高に調律の波長が合う相手同士ではなかった。だからこそ、離れていられた。だが、お前は違う。唯一無二にして、最高の調律相手を見つけてしまった。それは、幸福でもあり、不幸でもある」  デリンが語る内容の意味が分からず、レイは訝しげにデリンの背中を見た。 「そんな相手を見つけてしまったら、もう離れては生きられん。どちらか片方が死んだら、もう片方も死ぬしかない。他の者では、魔力の奥底にある渇きは潤せなくなる。いつか飢餓に苦しみ、狂い始めるだろう。お前は他に調律相手もおらんのじゃろ? ……無理に離れようとすると、死ぬぞ」  デリンの話は、今のレイにとっては非常に重くのしかかった。やはり、クラウスの生存を優先するならば、レイが調律できない場合において、他の者が調律を行うことは、必至の話になるのではないだろうか。クラウスが死んでしまっては、レイも死ぬしかないのだから。 「……魔法使いの本能、か」  レイがぽつりと呟いた言葉は、暗い通路を照らすランプの光と共に揺れ、レイの心にひっそりと影を落とした。

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